↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
121/126

第112話「荷の紙」

朝の商人通りは軒の下から始まっていた。


日除けの布はまだ巻かれたままで、店の者が縄を解いて回っている。

秤が台の上へ戻され、籠が奥から表へ出てくる。

三日前の夕方に仕舞われた順と、ちょうど逆に並び直されていく。


宿を出ると門の前でセナが待っていた。空はまだ白い。

今日は商会の手伝いでセナも杖を宿に置いてきている。

通りを進むうちに、荷を下ろす掛け声が先に聞こえてきた。


看板の下では若い衆が荷車から荷を下ろしている。

革の匂いと紙の匂いが戸口の光の中で混ざっていた。


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

「リクさん、今日は早いですね。ルカさんが帳場で待ってますよ」


若い衆の一人が担いだ荷を下ろさずに言った。

挨拶も早々にセナは土間の荷の山へ、僕は帳場へ向かう。

土間では若い衆の二人が作業を進めている。


戸口をくぐる時に袖口を一度引いた。

帳場の卓は拭かれたばかりで、板の色が濡れて濃い。

棚の綴りは背を揃えて並び、朝の光がその背の文字まで届いている。


帳場のルカさんが綴りを閉じて立ち上がる。


「リクさん。約束の日に……すみません、溜めてしまって」

「気にしないでください」


店の中を見回すと、土間の若い衆の声がいつもより低い。

奥の戸が閉じていて、その向こうで椅子の鳴る音がした。


「父が来ています。起きられる日は、奥に出るようになりました」


卓の上には紙の束が二つ置いてある。片方が厚く、片方は薄い。

厚い束は仕分けをする分、薄い束は綴りへ写してから荷主へ返す分のようだ。


紙の上の端はどれも角が立ったままで、届いてから誰の手も通っていない。

束の一番上には昨日の日付があって、下へ行くほど日付が古くなる。


帳場の端へ目をやると低い机にクリスが座っていた。


椅子は三日前に帳場の脇へ出したものだ。

机の前へ引いてあるが、座面のほうが机の板より高い。

膝が入らない分、体を横へ向けて掛けていた。


クリスは自分の帳面を開いて炭を手に持っている。

こちらへ頭だけ下げて、目はすぐに帳面へ戻った。


僕は上着の袖を肘まで上げて、厚い束を手前へ引いた。


---


紙は荷主の名と期日と数で一枚になっている。


一枚目を取って期日の欄を見た。待てる荷か、遅れたら困る荷か。

待てる紙が左に、遅れたら困る紙が右に増えていく。

手が迷う紙だけを卓の中央へ寝かせておく。


紙の荷主は街の店が多く、数日先の日付が記されている。

街道を来る荷は、期日の数字が街のそれよりも大きい。

数の欄には袋と箱と樽の別が書いてあって、数え方が荷ごとに違っていた。


若い衆が一人、今朝の荷車で着いた分の紙を土間から持ってきた。

僕は受け取るとそれを束の一番上へ載せた。

紙の面には荷の埃が乗っていて、指の腹がざらついた。


隣の低い机では、クリスの炭が紙の上で止まっている。

僕の手が一枚置くたび、クリスの目がその紙の行き先を追った。

右へ置く時は目が長く止まる。


土間の声が帳場まで届いた。

若い衆が札の数を言い、セナの声がそれに続く。


中央に寝かせた紙が三枚になった。

どれも期日の欄が空いている。

荷主の名は三枚とも街の店だ。


「……期日が、書いてない紙は」


クリスが顔を上げている。

目は僕でなく卓の中央の三枚に向いていた。


「着いた日を端に控えて、待てる束に入れるんだ」


言い終わる前に炭の先が帳面へ下りた。

書く手は一息で行の終わりまで進む。


僕が次の紙へ手を伸ばす前に炭の音は止んでいた。

書き終えた行の下に指の腹が一度当てられた。

炭を持つ手の下で帳面が傾いていて、机の高さの分だけ肘が上がっている。


僕は三枚の端に今日の日付を控えて左の束へ入れた。

期日の欄は空けたままにしておく。


炭は帳面の上で止まった。

クリスの目が左の束の厚みを一度なぞる。

帳面の行は短く、その先は白いままになっている。


そのあとも僕は紙を左右へ分け続けた。

帳面の上で炭は持ち上がらず、僕が紙を置くたびに椅子がかすかに鳴る。

二枚目の迷う紙を中央へ寝かせた時、その音が一度だけ止んだ。


戸口から入る光は朝より高い所から来ていた。


紙をめくる音と土間の声とが重なって続く。

右の束が左の束より低いまま、朝の分が終わりに近づいていた。


最後の一枚を左へ置いた時、手元には紙の山が二つ残っていた。

右の山は指の幅ほどで、左の山はその倍ある。

僕は炭を置いて、薄い束の写しへ手を伸ばした。


写しの束が半分になるまで、土間の声が続いていた。

若い衆が札を読み、セナが荷の口を数えて返す。


数は途切れずに進んでいく。

若い衆が数を返すたび、セナが札を裏返して床の山の上へ載せた。


麻袋を持ち上げる腰の入れ方に迷いがない。

持ち替える手も置く手も同じ速さだ。

若い衆が数を言い間違えた時だけ、セナの読み上げが止まって正しい数を返す。


荷を載せた台が床の上で鈍く鳴る。

樽が転がされて止まる音の後に若い衆の掛け声が一つ入る。


外の通りから聞こえる売り子の声が昼に近い高さになっていた。

土間の隅には数え終えた荷が積まれ、山ができている。

荷の上には札が一枚ずつ載っていて、風が入るたびに端が持ち上がった。


「セナさん、こっちの箱も頼みます」


セナの返事は、若い衆が箱を一つ置き直すだけ遅れて来た。


「……はい」


セナは箱の縁を掴んで数をすぐに読み上げた。

読み上げている間の目は箱の札でなく開いた戸口の外へ向いている。

通りを荷車が一台横切って影が土間の床を渡った。


若い衆が箱を担いで奥へ運んだ。


セナの目が次の荷へ落ちて、また戸口の光へ上がった。

手は札の数の通りに動いていて声も途切れない。

髪を結んだ紐の先が、振り向くたびに肩の上で揺れていた。


紙へ目を戻すと土間の声は次の荷に移っていた。


土間の荷が減るにつれ、戸口の光が床に広く落ちる。

セナの立つ場所は光の縁で片方の腕だけが日を受けていた。


写しの残りをルカさんの手元へ寄せる。

それと同じ頃に土間の声が止んだ。昼前だ。

数え終えた荷の札を若い衆が束にして帳場へ持ってくる。


ルカさんが卓の横に立った。

僕の右の束と荷の札とを一枚ずつ合わせていく。


紙を読み、札を読む。

指が紙の名を押さえて、札の数を押さえる。

指が次へ移る早さは最初から最後まで同じだ。


僕は卓の脇に立って紙の縁を揃える役に回る。

押さえられていない紙の端が卓から落ちないように指を添えた。


数が合うと札の上に紙を重ねて一組にする。

ルカさんは左手でその組を押さえたまま、右手で次の組を作っていく。


左の束も同じ順で通っていく。

紙と札が一組ずつ重ねられて、卓の上に低い山が二つできた。

期日の欄に今日の日付を足した三枚も既に山の中にいる。


ルカさんが最後の一組を置いて綴りを引き寄せた。


紐を解いて、山を上から順に綴じていく。

紐を通す穴は紙ごとに揃った位置に開いていて、指だけで紐が通る。


山が減るにつれて綴りの厚みが増していった。

紐を結び終えるまで手は一度も卓から浮かなかった。


綴りが閉じられて棚の列へ戻る。

戻す時に棚から古い紙の匂いが上がった。

棚の下の段では古い綴りが同じ向きで詰まっている。


ルカさんはもう次の紙を手に取っている。

午後に着く荷の分でここからは店の手で回す。

朝と同じ卓で、紙を置く場所だけが右の端から左の端へ移っていた。


昼の光が戸口から土間の奥まで届いていた。

朝は荷車の影で切れていた光が、今は帳場の卓の縁まで伸びている。

卓の木目が光の中で浮いて見えた。


低い机で紙の擦れる音がした。

クリスは机の端の紙を一枚だけ裏返して、白い面を上にしている。


帳面の上にある行はまだその一行だ。

裏返した紙を帳面の脇へ寄せて、炭を行の横に寝かせた。


---


昼の刻限に奥から茶が来た。


湯呑みを六つ、若い衆の一人が運んできた。

帳場の卓に二つ、低い机に一つ、それと土間の段に三つが置かれる。

セナは土間の段に腰を下ろして、両手で湯呑みを包んだ。


僕は湯呑みの縁を指で持ち替えて、口を付ける前に一度息を吹いた。

湯気が卓の上でまっすぐに立つ。


戸口の音は帳場まで届かず、店の奥は静かだった。

土間では若い衆が段に並んで座り、湯呑みを膝の上に持っている。

一人が空いた手で麻袋の縄を巻き直していた。


ルカさんが湯呑みを置いて棚から綴りを取り、日取りの欄を開いた。

息を吸って口を開く前に、低い机から声が来た。


「……十日後、ですか」


クリスは湯呑みに手を伸ばしていない。

炭を帳面の上に置いたところで顔だけ帳場へ向けている。


ルカさんは吸った息をそのまま頷きに使った。

頷きは一度でそれから僕を見る。

僕は湯呑みを卓へ戻した。


「はい。十日後の朝に伺います」


低い机で炭がまた持ち上がって帳面の行の下に短く走った。

奥の戸が開いて、ジョゼさんが顔だけ出した。


「ルカ。もう一杯もらえるか」


言いながら店の側を見回して、目が僕とセナのところで止まった。


「おう、リクか。紙はもう片づいたか」

「はい。朝の分は綴じ終わりました」

「そうか」


戸が閉じて、床の音が奥へ離れていく。

土間の若い衆が一人、湯呑みを置いて奥へ回った。


セナが両手で持ったまま奥の戸を見ている。

指はまだ縁を離れていない。

ルカさんの湯呑みは卓の上に戻されて、湯気が細くなっている。


若い衆が土間の隅で空の荷車を戸口の外へ引き出した。

車輪が段を越える音が二度して、通りの音に混ざる。


僕は湯呑みの茶を半分まで空けた。

帳場の卓には午後の紙が一枚置かれて、ルカさんの指がその上にある。


湯呑みを空にして立ち上がった。

袖を下ろすと袖口に炭の粉が少し付いている。指で払うと卓の上へ落ちた。


セナが土間の段から立って若い衆へ頭を下げる。

若い衆が二人、同じ深さで返した。


帳場ではルカさんが綴りの日取りの欄に指を置いている。

その欄の一つ上には三日前の夕方に書かれた今日の日付があった。


低い机で椅子の脚が床を擦った。


クリスは帳面を閉じている。

閉じた帳面を机の端へ寄せて炭を上に載せた。

立ち上がる時も体は横を向いたままで、椅子には手を掛けなかった。


僕とセナが頭を下げるとクリスは机の横で頭を下げた。

それから口を付けていない自分の湯呑みを取って奥の戸へ向かう。

戸が開いて閉じるまでに湯気が戸の隙間へ流れた。


ルカさんが戸口まで送りに出る。

帳場から戸口までの間に若い衆が荷を抱えて横を通り過ぎた。


「次も、朝からお願いします」

「はい」


ルカさんが頭を下げて帳場へ戻る。

土間の荷は朝と別の場所に積み直されていた。

若い衆の一人が空いた床に水を撒いている。


戸口の外では日除けの布が張り出されて、石畳に影を落としている。

縄は今、布の端を留める側に回っている。


---


段を下りて日除けの影を抜けると石畳の照り返しが目に入った。

通りはもう昼の音で荷車の間を人が縫って歩いている。


セナは先に出て荷車一台分向こうで待っていた。


僕は上着の前を合わせて店の方を一度だけ振り返った。


開いた戸の奥は昼でも灯りが入っている。

灯りの下に低い机があり、机の端に閉じた帳面が一冊載っている。


帳面の脇には裏返した紙が一枚、白い面を上にしたままだ。

紙の縁は机の端から少しはみ出していて、灯りがその白さを拾っている。


椅子の背は机の板と並んでいない。

戸口の側へ斜めに向いたまま残っている。


机の前に引かれたその座面が、帳場の灯りを受けていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。