第111話「それぞれの場所」
弦の鳴りが草の上を渡った。
土手の斜面で巣穴の縁が崩れて、土色の小さな獣が二匹まとめて転がり出る。
矢を負った一匹が先に止まり、もう一匹はセナの輪の際で動かなくなった。
エマの二の矢はもう弦の上にある。
矢先は次の穴の高さで待っていた。
「あんた、矢を拾っといで。そっちの穴はまだ残ってる」
街道沿いの巣払いは朝から始めていた。
ギルドからの依頼で、エマと新人二人に僕とセナが加わり五人が参加している。
今朝ギルドの前で落ち合い、仕事が終わればまた別々に戻る。
二人は春からエマに付いて依頼を受けていると聞いた。
得物は木剣ほどの長さの樫の棒で、穴から出た獣を叩く役目だ。
彼らを先に歩かせて、エマは半分後ろから声を発している。
依頼の紙にあった巣は三つ。どれも街道から離れた土手にある。
掌に収まる大きさの土の色をした獣で、巣が街道の下へ延びる前に払うのが今日の仕事だ。
朝のうちに一つ目と二つ目を落として、昼前にこの三つ目へ来た。
二つ目では新人が矢の回収を忘れて、エマに首の後ろを掴まれて土手へ戻されていた。
この街道では春先にも荷車が路肩を踏み抜いたと、依頼の紙の端に書き添えてあった。
街道の上ではいまも荷が動いていて、御者が僕らへ片手を上げて過ぎていく。
セナが土手の下に光の輪を伏せて逃げ道の草を塞ぐ。
輪の際まで来た獣が跳ねて、跳ねた高さをエマの矢が拾う。
矢は首の後ろを通っていた。
「セナ、草の際まで」
「ん」
輪の光が草の根の間へ広がる。
抜けようとした一匹が輪の上で止まって、新人の棒が届いた。
「ここらで打ち止めだ。焼きに入るよ」
新人二人が枯れ枝を集めて巣穴へ火を入れた。
一人が火の付け方で迷ってエマの声が飛ぶ。
「風上からだ。煙で燻り出してから焼くんだよ」
煙が低く這って、草の匂いが焦げた匂いに変わっていく。
煙で追い出せる分が尽きたら、そこで仕舞いだ。
「ここは5か。見立てどおりだ」
エマが落とした数を指で折って言った。
焼け跡には新人二人が土をかけた。
エマは埋めた上を踏ませて、抜け穴が残っていないか棒で探らせている。
僕はノートに巣の場所を書き足した。
街道からの歩数と土手の向き。飛んだ数と落とした数。焼いた穴の数。
三つ目の行を書き終えたところで、横から覗く息が近くなった。
「……それ全部書くんですか?」
新人が僕の手元とノートを見比べている。
「書くよ。数えたものは忘れるから」
「歩数もですか」
「歩数が先だね。次に来る誰かが探す時間を減らせるから」
エマが横から新人の襟を引いた。
「やめとけ。あんたが真似ると三日で寝込む」
新人が笑って、僕は行の続きを書いた。
笑う所は思い当たらない。
横でセナの目尻が下がっていた。
エマの弓には初めて見た時と同じ張りの革が巻いてある。
構えから離れまでの間も昔のままで、今日の矢は一本も外れていない。
帰り支度で、もう一人の新人が土手を下りそこねた。
草の上を滑って、足首を押さえて座り込む。
エマが靴の上から触って確かめた。
指の押さえどころに迷いがない。
「折れてない、ひねっただけだ。歩けるか?」
新人は頷いて、それでも立つのに時間をかけた。
もう一人が黙って肩を貸す。
「神殿の治療院へ寄るよ。ついでだ、あんたらも顔を出しな」
エマが先に街道へ出た。
弓を背負い直した肩が、新人の歩く速さに合わせて遅くなる。
セナが捻った足と逆の隣へ回って並んだ。
空の荷車が一台、僕らを追い越して街へ向かった。
---
神殿の坂は昼を過ぎて、石畳に日陰が伸び始めていた。
前庭では参りの人が二人、拝殿の階を上がっていく。
石の柱の間を抜けると通りのざわめきが薄れた。
捻挫の新人は坂の途中までもう一人の肩を借りていた。
段の手前で肩を持ち替えて、片足だけで一段ずつ上がっていく。
治療院は神殿の脇の低い棟だ。
戸口をくぐると薬草を煮る匂いが濃くなって、石の冷えが袖口から入ってくる。
壁際の棚には薬の包みが大きさごとに並んでいた。
竈の大鍋がゆっくり湯気を上げている。
薬棚の前にユルがいた。
袖を肘までまくって、引き出しの包みを一つずつ数えて出している。
白い前掛けに薬の染みが点々と残っている。
「あ。……いらっしゃい、じゃないですね。お久しぶりです」
棚の引き出しを閉めてからこちらへ来た。
歩きながら僕らの後ろの新人へ目を落とす。
「捻挫ですね。そこの台へどうぞ」
新人を台へ座らせて足首に手のひらを当てる。
新人の押さえていた手が足首から離れた。
「安静にしていれば腫れは今日中に引きます。今日は帰って休めてください」
台の下から布を出して、足首の巻き幅を指二本ぶんで測った。
巻き終わりの結びは靴の紐に掛からない位置へ寄せてある。
待つ人の腰掛けには年寄りが二人いて、奥の台では白い前掛けの年配が膝を診ている。
奥の年配が薬の名を呼ぶと、ユルは手を動かしたまま引き出しの場所を短く答えた。
「巣払いですか」
「うん。街道沿いの」
「夏の前はそれが増えますね。ここにも土手で噛まれた人が来ますよ」
新人の靴を足首まで戻して、紐を緩めに結ぶ。
それから顔を上げて、僕とセナを順に見た。
「二人とも、変わりないですか」
「うん。ユルは」
「見てのとおりです。いい勤め先だと思いますよ」
エマが治療の代を台の端へ置いた。
ユルが薬の包みを一つ添えて返す。
「腫れが残った時だけ使ってください。残らなければそれでいいので」
廊下の奥に古びた扉が見えた。
奥は古い書庫らしく、ユルもまだ入ったことがないと言った。
新人は足首に布を巻いてもらって、自分の足で戸口を出た。
ユルは送りには出ずに、待っていた年寄りの台へ回っていく。
呼ばれる声がもう次の名前になっていた。
ギルドで数の申告と精算を済ませて、表でエマたちと分かれた。
「今日はここまでだ。あんたらも気張んな」
新人二人がエマの後ろについて、武具屋の並びへ入っていった。
足を巻いた新人の荷を、前の二人が半分ずつ持っている。
---
夕方、商会へ寄る用が残っていた。
次の手伝いの日取りを決めておく約束だ。
商人通りは店じまいの支度に入っていた。
軒の下で秤が仕舞われて、売れ残りの籠が奥へ引かれていく。
商会の軒先にはもう灯りが入っていた。
店の土間では若い衆が今日の荷を棚へ上げていた。
夕方の店は朝と逆の向きで動く。仕舞う音が重なっている。
僕らに気づいた一人が、手を止めずに顎で帳場を示した。
帳場のルカさんが綴りから顔を起こした。
「リクさん、セナさん。……こちらから伺うつもりでした。助かります」
声はよく通って、言葉の継ぎ目に硬さがない。
綴りを一枚めくって、日取りの欄に指を置いた。
湯気が先に卓の端へ来た。
盆を持ったクリスが卓の横に立っている。
湯呑みは三つ。盆を置く手つきに音がない。
髪のリボンは結び目まできれいに締まっていた。
僕とセナが頭を下げると、クリスは空いた盆を胸に抱え直した。
奥へは下がらずに帳場の端の低い机へ向かう。
椅子に掛けて、店の帳面を開いた。
炭の音が、荷を仕舞う音の下に混ざり始める。
帳場の脇には誰も掛けていない椅子が一つ出したままになっている。
「次は三日後の朝からお願いできますか。荷の紙が溜まっていて」
「はい。伺います」
ルカさんは綴りを閉じて、今日の残りの紙を右の端へ寄せた。
朝に分け直した紙の並びが夕方まで崩れていない。
棚では綴りの背が高さの順に並んでいる。
出された茶が熱くて、冷めるまで帳場の前にいた。
セナが湯呑みを両手で包んで、土間の荷の動きを見ている。
若い衆の掛け声がひとつ上がって、棚の軋みがそれに応えた。
炭の音は湯呑みを空ける間も隅の机で続いていた。
戸口を出る時に振り向くと、帳場の灯りの下で帳面の紙が一枚めくられた。
---
ギルドの灯りはまだ落ちていなかった。
夕方の広間は精算帰りの声で埋まって、窓口の列は外まで短く延びている。
壁の掲示板には夏へ向かう護衛の紙が並び始めていた。
月が替わって最初の窓口だ。
手紙は昨夜のうちに書いて、胸の物入れに入れてある。
中身は一枚きりだ。仕事のこと、新人が一人、帰りに足をひねったこと。
窓口にミラさんがいた。
台の上を布でひと拭きしてから、こちらの紙を受ける。
「月の分の為替ですね。お預かりします」
台の上で銀貨が数えられて、手紙が重ねられる。
数える指は途中で止まらず、最後の一枚だけ台へ軽く当てて確かめた。
ミラさんが宛名を読み上げて、僕は頷いた。
判が紙の上で短く鳴る。控えの端が切られて僕の手へ戻った。
為替が西へ発てば、あとは叔母さんの手が村まで繋いでくれる。
「お疲れ様でした」
「はい。来月もお願いします」
窓口を離れると、精算の列にナギとレオが並んでいた。
東の街道の依頼から戻ったところだと言う。
レオの荷袋は中身を使い切って薄くへこんでいた。
ナギの精算が終わるのを待って、四人で表へ出た。
外はもう灯りの色だった。
「今日はどこへ行ってたんだい?」
「街道の巣払い。エマの新人と一緒に」
「へえ。どうだった、新人は」
「よく動いてた。一人は帰りに足をひねったけど」
ナギの歩みが半分こちらへ向き直る。
「治療院か。ならユルにも会ったのかな?」
「うん。前掛けが染みだらけだった」
「もう板についてきたんだね」
ナギの帽子のつばが灯りを受けて上を向く。
「ボクらは荷の付き添いだよ。行きも帰りも何も出なかった」
「何も出ないのがいちばんいい」
「キミが言うと帳尻の話に聞こえるなあ」
レオが荷袋を担ぎ直した。
「その新人に書き方まで教えたんだろ」
「聞かれたから」
「そりゃ災難だ」
ナギが笑って、次の四つ角で二人は東への道へ折れた。
「じゃあね。また声を掛けるよ」
つばの陰で手が短く振られて、レオの背中がその横に並ぶ。
二人の足音が角の先で薄れて消えた。
通りは夕飯の匂いに変わり始めている。
店じまいの水が石の上へ撒かれて、光の帯が足元まで伸びた。
濡れた石の上では足音が少し変わって聞こえた。
「今日の晩ごはん、何かな」
「豆じゃないかな」
「また豆かあ」
「昨日は当たったよ」
「当たってほしくない時に当たるんだよね」
隣の足音が半歩ぶん遅れて付いてくる。
僕は歩幅を緩めた。
それでも間は詰まらない。
途中で一度足を止めて、肩の袋を掛け直した。
セナも止まる。歩き出すと間は元の幅に戻っていた。
「ユルの前掛け、様になってたね」
「うん。染みの数だけ働いてる」
「リクはそういう数え方するよね」
声の高さは昼と変わらない。
通りの灯りが一つずつ増えていく。
足音の間は、宿の前まで同じ幅で続いた。
セナが先に戸を引いて、灯りの中へ入った。
---
部屋に戻りノートを開いた。
階下の広間から食器を洗う水の音が上がってくる。
灯りを寄せて、今日のページに行を足していく。
巣の場所と数。治療の代。商会の次の日取り。窓口の為替。
荷車が路肩を踏み抜いた場所も行の下へ足した。
炭の先が丸くなって、腰の小刀でひと削りした。
行の頭に、会った名前をひとつずつ置いていく。
書く順は歩いた順で手は迷わない。どの行も一行で足りた。
書き終えて読み返す。
名前の並びに頭の空いた行が一つある。
炭を置いた。
空いた行はそのままにした。
階下の水の音が止んでも、指はその行から動かなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




