彼は勇者だった
ついに魔王は復活した。
地脈の調査から推定した時期とほとんどズレはなく、翌年の暮れに魔王は復活の雄叫びを上げた。
しかし、王国民はあまり危機感がない。というのも、やはり現代最強と名高い二人がいるからだ。
かつての勇者が一人で相打ちだったのだから、最強二人にサポーターが二人も付いていれば、どう転んでも負ける要素ないよね? というのが王国民の危機感の低さの原因だった。
魔王とはつまり、そのままの意味で魔物の王様。王国から遠く離れた地から溢れ出す瘴気の塊によって生み出された双頭のオオカミが、魔王の正体だった。
古い文献から付けられた魔王の名前はオルトロス。成人男性の十倍はある漆黒の巨体に、鋭い爪と牙を持ち合わせていて、近づくだけで身体を蝕むほどの瘴気を常に放っている。
そんな魔王へと挑む勇者ハヤテと勇者エマ。その二人にサポーターとして、臨時でパーティを組んだ少女が二人。オリヴィアとエミリーだった。
この二人には当然ながら勇者たちが魔王と戦うための補助的な役割が与えられている。
どこかふんわりとした少女オリヴィアは、防御の魔法が得意であり、魔王が放つ瘴気から勇者たちを守るため常にバリアを張っている。もう一人、しっかり者のエミリーは回復に特化し、勇者たちが傷を負えばすぐに治療する役目を担っている。
二人はハヤテとエマと同い年であり、魔力値も高い。同じサポーターとして二人でパーティを組み、高難易度の魔物討伐の際に臨時で派遣される、ギルドの職員でもあった。
「オリヴィアがもっと訓練に励んでいれば、本当はもっと大人数で挑めたんですけどね!」
「許してくださいぃ。魔王の瘴気を四人分守るってしんどいんですよぉ! それにぃ、勇者様から魔王の弱点を探れって丸投げされてますしぃ!」
魔王の瘴気に当てられて、ゴリゴリと魔力が削られる感覚に恐怖を覚えながらも、オリヴィアは目の前で剣を振るうハヤテとエマ、エミリーと自分自身にバリアを張り続けた。
魔力を瞬時に回復する高価な飲み物、エリクサーは既に五本消費し、それでもまだ勝利への活路は見えていない。
「まさか、魔王が強化されて復活なんて聞いてませんよ! 恨みますからね、ギルド長!」
魔王の重い攻撃を受け止めて、右腕を痛めたハヤテを瞬時に回復させたエミリーは、脂汗を浮かべたオリヴィアにエリクサーを投げ渡した。
「さっさと飲んでください! バリア薄いですよ!」
「助かりますぅ! 勇者様ぁ、はやく倒してくださいぃ!」
かつては勇者一人と相打ちとなり封印された魔王だが、この数十年の間、自身を構成する瘴気の中で眠り続けた事により、ハヤテとエマを圧倒する力を得て復活した。
「クッソ! 相変わらずかったいし魔法も通じねえ。エマの方はどうだ!」
「こっちも同じ。どんなに氷を尖らせても触れた傍から消えちゃう」
魔王が放つ瘴気は勇者二人の接近を拒んでいた。一度強引に近づいて剣を当ててみたが、ハヤテお得意の炎を纏った剣は瞬時に灯を失った。魔王は固い外皮に覆われて、ただの攻撃では刃が通らなかったのだ。
エマもまた、遠距離からの魔法攻撃で弱点を探っていたが、魔王に魔法が触れると同時に、吸収されるように威力を失った。魔王には何一つ効いておらず、ケロッとして元気に暴れ回っている。
「オリヴィア! そろそろ弱点とか見つけられないか!」
ハヤテが魔王の牙やら爪やらを抑え込みながらオリヴィアに助けを求めると、六本目のエリクサーをがぶ飲みしたオリヴィアがついに見つけた。
「ぷは~! あ! み、視えましたぁ! で、でもぉ」
「なんでもいい、教えてくれ!」
防御に特化しているオリヴィアは、体内を流れる魔力の流れを視ることができる特殊な目を持っていた。そのため、魔王に魔法が通用しない原因をハヤテに丸投げされていたのだ。
「魔王の身体を構成する瘴気の流れが綺麗というかぁ、ちょっと完璧すぎますぅ! エマちゃんの魔法が当たってもぉ、瘴気の綺麗な流動で受け流されていますぅ!」
「えぇ!? じゃあオリヴィア、具体的にはどうすればいいの!」
「えっとぉ、なんとかして瘴気の流れを狂わせてくださいぃ。具体的にはぁ、大きな一撃を入れるとかぁ、頭を一つ落とすとかぁ」
それが出来ないからこうなってんだろうがッ! という叫びは心の中に押しとどめたハヤテは、魔王の振り上げた爪を剣でガードする。
双頭の魔王オルトロスは、ハヤテとエマを同時に相手しているが、動きに一切の隙がない。それぞれが気を引いて首を離そうともしたが、無理に追うことも無く、魔王自身の強みを活かした立ち回りをしている。
せめてあと一人アタッカーとなる者がいれば活路は見出せたかもしれないが、ないものに縋ってもないものはない。
撤退しようにも、底なしの瘴気を振りまく魔王を野放しにするのはあまりにも危険すぎる。図体の割にすばしっこい魔王なら、一日とかからず王都まで辿り着くだろう。つまり、勇者パーティに撤退の選択肢は与えられていなかったのだ。
エミリーに回復してもらっているとはいえ、精神的に満身創痍のハヤテは、魔王と適度に距離を保ちつつエマに尋ねた。
「なあ、エマ。もし魔王に一撃入れて魔法が通用するようになったらさ、エマの魔法なら倒せるだろ?」
「そりゃあ、魔法が通用するようになれば魔王が相手でも倒す自信があるわ」
「そうか、じゃあ、そういう作戦でいこう。俺がなんとかしてあの頭を一つ落としてみせるから、後は頼むぞ」
あっさりと覚悟を決めて剣を構えるハヤテを、エマは肩を掴んで止めた。
「ダメよ! あんた犠牲覚悟で突撃しようとしているでしょ! それでたとえ頭を一つ落とせても、もう一つがハヤテを食いちぎる! 生きて帰るの! 私たちは四人とも無事に帰んなきゃダメ!」
「じゃあどうやって魔王を倒す! 今もこうして防戦一方なのに、犠牲もなしに勝てるはずがないだろ!」
エマの手を払いのけ、ハヤテは一歩魔王へ近づいた。
エミリーの回復もあと数回が限度、エリクサーの消費も激しく、オリヴィアのバリアも長くは保てない。ハヤテは反撃できるチャンスはもう残されていないと判断し、この身を犠牲にしてでも一気に倒しきる選択をした。
魔王を倒した後の事は考えず、己の全てを犠牲にしてでも魔王の首を落とす。その瞬間にもう一つの頭に食われるだろうが、あとはエマたちがなんとかしてくれる。そう信じて疑わないハヤテは、エマに笑いかけた。
「安心しろ。俺は最強なんだ。絶対に失敗しないし、魔王を倒した英雄になってやるんだ。だから、……あとは頼むぞ」
「ダメ! 絶対にダメ! ハヤテが死んだら、私……」
「エマさん!」
「えっ」
エマが顔を背けた瞬間、魔王がその隙を見逃さず、エマを食らおうと突っ込んできた。
「――エマッ!」
突然の事で反応が遅れたハヤテが、慌ててエマを助けようと飛び出した。だが、間に合うはずがなかった。
走馬灯のようにゆっくり時間が流れる。エマを失えば魔王討伐は絶望的。ハヤテの顔が絶望に歪み、現実から目を背けるように目を瞑った。
「……え?」
それは誰から漏れた声だったか、魔王の牙はエマに届くことはなかった。
ガツンッ! と大きな音が響くと同時に魔王の右頭の牙が宙を舞い、顔面は一部陥没するほど潰れ、弾かれるように大きく仰け反っていたからだ。
「ど、どうして、ここにいるのですか!」
エミリーだけは、その男が誰なのかすぐに気付いた。
エマを守るように現れた一人の男は、罰が悪そうにエミリーに苦笑いを見せると、震える手で胸元の金色のタグを握りしめた。
魔王を弾き飛ばした正体、全身を隠せるほどの五角形の大盾が、エマに大きな影を落としていた。
強大な攻撃を受け止めた際に大きく負荷の掛かった右腕は骨が折れ、瘴気に当てられ黒く染まっていた。ダランと力の抜けた右腕をエミリーが即座に回復させたが、瘴気までは取り除けない。男は左手だけで盾を持ち上げた。
「あなたは」
男はエマの質問に答えず、仰け反ったままの魔王に突っ込んだ。
持ち上げた大盾の下先端で斬りつけるように振り回し、無防備な顔面を横凪にすると、唯一柔らかい眼球を切り裂いた。
だが、双頭の魔王は頭を一つやられても動じず、鋭い爪で切り裂こうとしてくるが、それを男は盾で受け止め、するりと威力を殺すように受け流した。
「あの動きは、それにあの大盾――」
エマを一旦下がらせたハヤテが見たのは、何度も苦戦を強いられた滑らかな受け流し、そして、カウンター。
ハヤテの剣すら弾く魔王の硬い外皮を、カウンターで威力を増した盾の先端が派手に切り裂いた。傷口となった箇所から黒い血のような瘴気が一気に溢れ出す。
再度爪で攻撃しようと振り上げた魔王の前足を、男は瞬時に距離を詰めて盾を押し付けた。攻撃はさせない、振り下ろすのを防ぐ。それにより力の行き場を失い、バランスを崩した魔王に大きな隙が生まれた。
どんなに強い攻撃も、繰り出せなければ意味がない。エマが剣術大会でハヤテ対策として参考にした戦法だった。
魔王の足元に潜り込んだ男の右腕は、瘴気によってついに朽ち果て、ボロッと落ちる。だが、左手があれば十分だった。
最初に顔面を潰した頭の下、顎裏に狙いを定めた男は高速で回転して盾に勢いをつけ、下から上へ、魔王の首を削ぎ落すように大盾を繰り出した。
「うおぉおおおおおおお!!」
吠えた。魔王の咆哮すら飲み込む力強い叫び。
それはハヤテの圧倒的な剣術に耐えるために手にした大盾で、それはエマの絶対的な防御を誇る氷の壁を打ち砕くために特訓した技。
長年の集大成による一撃は、確実に魔王の首を削ぎ落した。
たとえ彼らが勇者であり、英雄であろうとも、魔王の首を落としたこの瞬間だけは、常に前を追いかけ、手を伸ばし、走り続けたこの男が最強であると証明した。




