彼は首席だった。
あれだけの実力があれば、当然王都からの誘いはあった二人だが、地元を離れたくないという理由だけで、近所にある学園の中等部へと進学した。
地元進学ということもあり、彼らのケンカには生徒も学園側も慣れている節があった。両親は、後はよろしく! と言わんばかりにわずかな賄賂を渡していたが、学園側も、たった三年の辛抱だ、それにこの学園はさぞ狭かろう。と卒業後は二人が王都の学園へと飛び出すとタカを括っていた。
ようするに、エスカレーター式に二人がこのまま高等部へ進学するとは、露とも思わなかったわけだ。
そんな二人が切磋琢磨しながら中等部を過ごす事三年。進路相談でこの学園の高等部に進学すると話に聞き、学園長が「HAHAHAそんなバカなぁ!」と目を白黒させて頭を抱えていた頃、最後の学年末テストが近づいてきていた。
「なあ、毎年思うんだけど、剣術大会とテストの間隔短すぎないか? 昨日大会終わって帰ってきたら、来週には学年末テストだぞ? 授業だって途中から受けられてないのに、間に合うと思ってんのか?」
「そんなこと言って、ハヤテは毎年一位を取るじゃん。ハンデよ、ハンデ」
「いや、一位を取らせてもらってるけどさ、学年末のテストだけは毎年結構点数下がってんだよ」
「なに? 大会に出ていない私がずっと二位であることへの煽り? ブッ殺されたいの?」
「そ、そんなことないって! 毎年エマが付き合ってくれるから一位を取れているだけだよ」
「そう、ならいい」
中等部の剣術大会は各学年代表一人が出場する。そのため、選考で選ばれたハヤテだけが王都で行われる大会へ遠征していた。ちなみに当然のように三連覇したため、王都の学園からは生活費含め学費等全て学園負担の特待生待遇の話が来ていたが、ハヤテは地元を離れるつもりがない。
ここしばらくは剣術に比重を置いていたため、ハヤテのテスト対策は大幅に遅れていた。これまでは文句を言いながらもエマがギリギリまでテスト対策に付き合ってくれていたおかげで首席の座を守り続けていた。
だから今年もエマのご機嫌を取って装飾品か何かで釣って勉強を教えてもらおうと思っていたハヤテだったが、しかし――、
「今回は教えないから」
「え? なんで」
「最後は私が首席で卒業する。それに、大会中でも勉強する時間はあったでしょ? まさかずっと馬鹿みたいに剣を振っていたわけじゃないだろうし」
「あ、いや、身体を休めるのって、大事だよね? そう思わないかい? エマ」
「勉強すれば自然と身体は休まるでしょ」
エマは、かつてハヤテにカウンターで試合に負けた事を忘れていない。相手を嵌める技はエマも使える。それが剣で戦うか、ペンで戦うかの違いだけである。
ハヤテに負け越している以上、自分は凡才であると自負しているエマだが、学年次席であり、ハヤテと剣術では互角、これは間違いなく天才の証だ。剣術は確かにハヤテの方が上だが、魔法単体で勝負すればエマの方が上ではある。
二人の学力ももたった一問のミスが順位をひっくり返すほどに拮抗しているため、たとえハンデが無くともハヤテに勝てる可能性は十分にあった。
どうしてこの二人が剣術だけでなく、魔法や勉学においても天賦の才を発揮しているのかは神のみぞ知ることだが、少なくとも二人は並々ならぬ努力をしている。
天才が努力しているのだ、二人が相手を侮って驕りでもしない限り、凡人に勝ち目はない。そして、二人は誰が相手でも怪我をさせないように全力で戦う。つまり最初から勝ち目なんてものはないのだ。
「せいぜい徹夜で勉強することね。それと、勝った方が負けた側になんでも命令できるって勝負にしてあげる。そうすればあんたもやる気出るでしょ?」
「は? いやそれ俺が不利じゃん! 俺が勝ったら本当に命令してやるからな!」
不利な条件と分かっていても、挑まれた勝負からは逃げないハヤテはなかなかに自信家だった。
「今のハヤテが私に勝てるとでも? 後で許してくださいって泣きついても許してあげないから」
エマはハヤテの自信家である性格を利用していた。挑発するようにニヤリと笑い、背を向けて去るエマの心の中では既に勝ちを確信していた。
二人は当たり前のように教室で話していたが、学園側が二人を同じクラスにするはずがない。それでも休み時間になればどちらかが教室に赴いて、このように一触即発の空気になっていた。
ハヤテはエマの背中を見送ると、さっそく教科書を開き、大きく息を吐いた。
(やっべ~! 今回ばかりはマジで勝てる気がしねえんだけど! 調子乗って勝負受けたけど、自分で退路断ってどうすんだよ!)
珍しく追い込まれていた。
いや、エマとの剣術の試合でも何度も追い込まれたことはあるが、その度に逆転している。だから今回も必死な勉強で逆転……、
「いやきついって!」
剣術大会で学園を離れていた期間は約十日。その間はペンを握る事すらなく、優勝することしか考えていなかった。
これにはハヤテも大ピンチ! 最後の最後でエマちゃん逆転勝利! やったねエマちゃん! ……となるはずだった。
「ねえ、ハヤテ君、ちょっといいかな」
「んあ? なんだ?」
クラスメイトの女子生徒が、ハヤテにこっそり話しかけた。
「これ、ハヤテ君に渡してくれって預かりました」
「誰から?」
「匿名希望さんから」
なんだそりゃ? と思いつつ受け取ったのは、今回のテスト範囲を丁寧にまとめたノート五冊だった。テストは五科目、それぞれに対応したノートだった。
「お? おお! 助かる! ちゃんと俺がいなかった間の内容も書いてある!」
「少し見させてもらいましたが、ちゃんとテスト範囲のことがまとめてありますのでご安心を」
「ああ! これでエマに勝てるぞ!」
一体誰がハヤテにこのノートを用意したのかは分からないが、少なくとも、エマのツンデレ的なおせっかいではない。筆跡はエマとまるで違うからだ。
今回ばかりは絶対の自信があったエマだが、たった一つだけ誤算があった。それは、ハヤテに挑む者がエマ以外に“もう一人いる”ということ。
――そして、運命の日はやってきた。
〇
テスト当日の二人は、眼の下をクマで真っ黒にして、髪も手入れを怠りぼさぼさ。あいつにだけは負けてなるものかと死に物狂いで勉強した結果だ。やれることはやりきった充実感の元、成績発表の日を迎えた。
テストを終えた二日後、校舎前に設置された掲示板に、テストの成績トップ十名が張り出されることになる。
「一位は俺だ!」
「いいえ私よ!」
絶対に一位であることを譲らない二人は、当然掲示板に張り出されるのも最初だと疑っていない。
雲一つない快晴の日。このテストを乗り越えた者を祝福の春風が待つ。冬の凍えた風が吹き荒ぶ肌寒い日、二人の周りだけは、逆に夏のうだるような暑さを感じられる。何人かは暖を取るように手のひらを向け、実際二人から溢れ出した魔力が熱を帯びていることに気付いた。
「お、先生が来たぞ。これで勝敗がはっきりするな」
「ええ。私の勝利が確定するわ」
「ヘッ! 調子に乗っていられるのも今の内だぞ」
結果が最後の瞬間まで、二人は自身の勝利を疑わないのだろう。
学年主任の教師が、細く巻いた長紙を持ってゆっくりと歩いて来る。集団の先頭で今か今かと待ちわびるハヤテとエマを見つけ、ニヤリと笑う姿に、これは一波乱あるんじゃないかと周囲に緊張が走った。
教師が掲示板のてっぺんに手が届くよう台に乗り、紙の端を掲示板の上に張り付けた。
あとは下にスルスルと紙を下ろしていけば順位が分かるのだが、教師はここでわざと焦らしてなかなか順位を見せない。ただでさえ大きな紙に十名しか載っていないのだから、最初のひとりまでが遠い。
「せ、先生! 早く見せてくれ!」
「そうよ! 早くしてください!」
まあまあ、そう焦るなって。
教師がにこやかに笑い、そして、順位は一人ずつ公開された。
テストの順位、第一位が公開される。二人はその名前を見て、五秒は停止した。しかし、先に動き出したのはハヤテだった。
「や、やった! 満点だ! 俺が一位だあぁああああ!」
もしかしたら、エマは絶望に口が動かなかっただけなのかもしれない。
掲示板に一番に現れたのはハヤテの名前だった。文句の付けようがない堂々の満点、これは一位以外の何ものでもない。
テストは引っ掛けや意地悪な問題が多く、簡単に満点が取れないことは全員が知っている。だからこそハヤテに送られる拍手は畏敬の念が込められていた。
「う、うそ……嘘よ。負けた? そんなはず……何を間違ったの? 最後の記述? それとも単純なケアレスミス? いやあんだけ確認したんだからそれだけは絶対にない。じゃあ何を……」
現実逃避のような敗北原因の探求に走るエマは、ハヤテの名前から目が離せずにいた。
認められないわけじゃない。ただ勝てるはずの勝負を落とした自分が信じられなかったのだ。
「さぁて、俺の勝ちが確定した事だし、エマには何をしてもらおうかなぁ?」
勝負の取り決めを持ち出し、ゲスイ顔を浮かべてエマの全身をジロジロと舐めまわすように見るハヤテだが、心はまだ純真だ。醜い視線の奥は食い物で腹を満たすことしか考えていない。
彼の春はもう少し先にある。
教師がするりと二位の名前を公開する。当然そこに書かれていた名前はエマだ。さて、一体何点差で俺は勝ったんだとハヤテがエマの点数を見ると、
「……は? エマも満点? 一位?」
「え? あ、ほ、ホントだ……、ということは、私も一位?」
何を当たり前なことを、と思うかもしれないが、二人とも“俺(私)が勝つ!”という信念の元戦っていたため、まさか満点による引き分けになるとは露ほどにも思っていなかった。
「引き分け……だな」
「引き分け……だね」
最後の最後にして実に締まらない結果に着地したのだった。
そんな二人を遠くから眺める女子生徒が一人。ハヤテにノートを渡した少女だった。
少女は隣にいる少年の手をギュッと握った。
「満点はすごいですけど、わずか三点差で三位というのも十分にすごい事です。ですから、自信を持ってください。正々堂々と戦ったじゃないですか」
何もしなければ、少なくともハヤテには勝っていただろう少年に、少女はそっとハンカチを渡しつつ、彼の選んだ行動に敬意を表した。
「もし彼らがいなければ、間違いなく一位でしたね」
誰にも聞こえない程小さな声で、少女は満点にわずかに届かなかった少年の数字を見つめ、呟く。
最強かつ天才に挑んだ少年は、またしても届かなかった結果に悔し涙を流した。




