Fランク初依頼達成祝い
自由都市フェルムへ戻った頃には、もう日が傾き始めていた。
門をくぐったシェルエリナは、見慣れた街並みを見た瞬間、大きく息を吐いた。
「帰ってきたー!」
「うるさい」
ノクトが言った。
「いいじゃない。帰ってきたんだから」
「毎回言うのか?」
「言うかもしれない」
「やめろ」
「なんで?」
「うるさい」
「それしか言えないの?」
「今のところは」
シェルエリナが何か言い返そうとした時、通りの向こうから声が飛んできた。
「おう、嬢ちゃん。今日は泥だらけだな!」
荷車を押していた男が笑っている。
シェルエリナは自分の服を見下ろした。
「これは冒険者らしくなったってことです!」
「転んだだけじゃねえのか?」
「違います!」
ノクトが横から言った。
「一度転んだ」
「ノクト!」
男が大声で笑った。
「やっぱり転んでんじゃねえか!」
「一度だけです!」
「回数の問題なのか?」
「ガイアスまで!」
その横を通り過ぎた老婆が、シェルエリナを見て立ち止まった。
「あらまあ。怪我は?」
「ありません!」
「そう。ならいいわ」
老婆はにこりと笑った。
そして。
「今日は何を倒してきたの?」
シェルエリナの顔が輝いた。
「聞きたいですか?」
ノクトが歩き出した。
「行くぞ」
「待って! 今から話すところ!」
「長くなる」
「長くしない!」
老婆が笑う。
「明日聞くよ」
「明日ちゃんと聞いてくださいね!」
「覚えてたらね」
「覚えててください!」
四人が歩いていく。
少し後ろから、老婆の笑い声が聞こえた。
「……シェルエリナ」
リゼリアが言った。
「なに?」
「明日、本当に話しに行くの?」
「もちろん」
「そう」
「リゼリアも来る?」
「行かないわ」
「即答」
「私が行く理由がないもの」
「一緒に冒険したでしょう?」
「それと、あなたが老婆に冒険譚を聞かせることに、何の関係が?」
シェルエリナは少し考えた。
「……一緒に褒めてもらえる?」
「いらないわ」
「欲がないなあ」
「あなたがありすぎるのよ」
「褒められたくないの?」
「別に」
「本当に?」
「本当に」
「ちょっとくらい?」
「シェルエリナ」
「はい」
「宿へ行くわよ」
「はい」
ノクトが前を歩きながら言った。
「リゼリア」
「何?」
「扱いが上手くなったな」
「誰の?」
ノクトがシェルエリナを見る。
リゼリアも見る。
ガイアスも見る。
「……なんで全員こっち見るの?」
誰も答えなかった。
◇
四人が泊まっている宿は、フェルムの冒険者街から少し外れた場所にあった。
一階が酒場。
二階と三階が客室。
そして裏手には、宿泊客が使える小さな湯殿がある。
豪華ではない。
けれど湯は熱く、料理は美味く、部屋は清潔だった。
冒険者にとっては、それで十分だった。
特に――料理が美味い。
この宿の主人、バルドは、熊のような男だった。
背が高い。
肩幅が広い。
腕が太い。
眉が太い。
声も大きい。
初めて宿を訪れたシェルエリナは、彼を見て小声で、
「絶対、元冒険者だ」
と言った。
違った。
ただの料理人だった。
本人は、
「料理人に『ただの』をつけるな」
と言った。
◇
湯殿から戻ってきたシェルエリナは、まだ少し濡れた髪を手で払いながら階段を下りた。
「お腹すいた!」
酒場にいた何人かが振り返る。
カウンターの奥から、バルドが顔を出した。
「うるせえ!」
「バルドさん、ご飯!」
「見りゃ分かる!」
大きな鍋から湯気が上がっている。
肉の焼ける匂い。
香草。
煮込まれた野菜。
焼きたてのパン。
シェルエリナは足を止めた。
「……今日、何?」
「食えば分かる」
「教えてくれてもいいでしょう?」
「食えば分かる」
「絶対美味しいやつだ」
「食ってから言え」
「匂いで分かります」
「なら聞くな」
「会話です!」
「面倒くせえ会話だな」
カウンターにいた常連客が笑った。
「嬢ちゃん、今日は何の祝いだ?」
シェルエリナが振り返った。
待ってました、と言わんばかりの顔だった。
「聞きたいですか?」
「いや、別に」
「Fランク初依頼達成祝いです!」
「聞いてねえ」
「言いたそうだったでしょう!」
「全然」
「顔がそうでした!」
「どんな顔だよ」
「こういう顔!」
シェルエリナが真似をする。
常連客が眉をひそめた。
「俺、そんな間抜けな顔してるか?」
周囲から声が飛ぶ。
「してるぞ」
「いつもだ」
「嬢ちゃんの方が似てる」
「ほら!」
「なんで私まで!?」
酒場に笑い声が広がった。
そこへ、遅れて三人が下りてくる。
ガイアスは髪がまだ濡れている。
ノクトはもう乾いている。
リゼリアはきちんと髪を整えていた。
シェルエリナは三人を見比べた。
「なんで私が一番最初なの?」
ノクトが答えた。
「早かったからだ」
「そうじゃなくて」
「では何を聞いた?」
「……分からなくなった」
「そうか」
「その顔やめて」
四人は、いつもの卓へ座った。
バルドが料理を運んでくる。
大皿に盛られた、厚切りの肉。
表面は香ばしく焼かれ、上から濃い色のソースがかかっている。
その横には、肉汁を吸った芋と野菜。
大きな籠には焼きたてのパン。
そして湯気の立つスープ。
ガイアスが料理を見る。
「おお」
シェルエリナがガイアスを見る。
「今、今日一番嬉しそうな顔した」
「そうか?」
「魔物を倒した時より嬉しそう」
「それは違う」
「本当?」
「ああ」
ガイアスは肉を見る。
少し考えた。
「……同じくらいだ」
「同じなんだ」
バルドが腕を組む。
「で?」
シェルエリナが見上げる。
「何が?」
「初依頼はどうだった」
シェルエリナの顔がまた輝く。
「聞きたいですか?」
「聞いてんだろうが」
「実はですね――」
「短く話せ」
「なんでみんな私にそれ言うの!?」
ノクトがパンを取る。
「実績がある」
「どんな実績よ」
「長い」
「まだ話してないでしょう!」
「今までの話だ」
リゼリアがスープを一口飲む。
一瞬、目を止めた。
シェルエリナがそれを見る。
「美味しい?」
「ええ」
「どのくらい?」
「美味しいわ」
「だから、どのくらい?」
リゼリアがシェルエリナを見る。
「なぜ程度を聞くの?」
「気になるから」
「美味しい。それで十分でしょう」
「すごく美味しい?」
「……」
「ものすごく?」
「シェルエリナ」
「はい」
「食べなさい」
「はい」
シェルエリナもスープを飲んだ。
止まった。
もう一口。
バルドを見る。
「ものすごく美味しい」
「知ってる」
「なんでそんなに偉そうなんですか?」
「俺が作ったからだ」
「……それは偉そうにしていいですね」
「だろ」
「認めるんだ」
ノクトが言った。
「美味しいから」
シェルエリナは肉にも手を伸ばした。
一口食べる。
黙る。
二口目。
三口目。
ノクトが見る。
「静かになったな」
リゼリアが言う。
「食べているから」
ガイアスが頷く。
「ずっと食わせておけば静かなんじゃないか?」
シェルエリナが肉を飲み込んだ。
「聞こえてるからね」
「喋った」
「当たり前でしょう!」
バルドが笑う。
「嬢ちゃん」
「なんですか?」
「初依頼、成功したんだろ」
「はい!」
「なら食え」
大きな皿が、もう一つ置かれた。
四人が見る。
追加の肉だった。
「え」
シェルエリナがバルドを見る。
「これ、頼んでないです」
「知ってる」
「じゃあ――」
「祝いだ」
シェルエリナが止まった。
「……いいんですか?」
「今日だけな」
「バルドさん」
「なんだ」
「大好きです」
「肉がだろ」
「バルドさんの料理が」
「俺じゃねえじゃねえか」
酒場がまた笑いに包まれた。
シェルエリナも笑った。
「でも、ありがとうございます!」
「ああ」
バルドはそれだけ言って厨房へ戻った。
少しして。
隣の卓から声が飛んだ。
「嬢ちゃん、Fランクおめでとう」
別の卓からも。
「初仕事で死ななくてよかったな!」
「縁起でもないこと言わないで!」
「次は転ぶなよ!」
「なんで知ってるの!?」
入り口近くにいた男が手を上げた。
昼間、荷車を押していた男だった。
「言った」
「早い!」
「フェルムは狭いからな!」
「絶対あなたが言いふらしただけでしょう!」
笑い声。
シェルエリナは頬を膨らませた。
その横で、リゼリアがほんの少しだけ口元を緩める。
シェルエリナは気づかなかった。
ノクトは気づいた。
何も言わなかった。
ガイアスは肉を食べていた。
たぶん気づいていない。
◇
しばらくして。
料理はほとんどなくなっていた。
シェルエリナは椅子の背にもたれていた。
「食べすぎた……」
ノクトが言う。
「祝いだからな」
「ノクトがそれ言う?」
「何か問題が?」
「最初、一番乗り気じゃなかったでしょう」
「料理は別だ」
「ガイアスみたいなこと言い始めた」
「それは心外だ」
ガイアスが顔を上げる。
「なんでだ?」
「ほら」
「何がだ?」
「なんでもない」
リゼリアが静かに茶を飲んでいる。
シェルエリナが彼女を見る。
「リゼリア」
「何?」
「楽しかった?」
「何が?」
「今日」
リゼリアは少し考えた。
「依頼?」
「全部」
少しだけ、間があった。
酒場は騒がしい。
誰かが笑っている。
皿の音がする。
厨房から、バルドが誰かを怒鳴る声が聞こえる。
リゼリアは茶の入ったカップを見る。
それから、三人を見る。
「……悪くなかったわ」
シェルエリナが目を見開いた。
ノクトを見る。
ノクトもリゼリアを見る。
ガイアスまで見る。
リゼリアの眉がわずかに動いた。
「何?」
シェルエリナがゆっくりと言った。
「今の、ノクトみたい」
「……」
ノクトが言う。
「心外だ」
「あなたまで言うの?」
リゼリアがノクトを見る。
ガイアスが笑った。
シェルエリナも笑った。
ノクトも、ほんの少しだけ笑った。
リゼリアは三人を見る。
「……もう寝るわ」
「逃げた!」
「逃げてない」
「リゼリア、今ちょっと恥ずかしかったでしょう!」
「違うわ」
「絶対そう!」
「シェルエリナ」
「なに?」
「明日の朝、起こさないわよ」
「ごめんなさい」
即答だった。
リゼリアが席を立つ。
階段へ向かう。
シェルエリナがその背中に声をかけた。
「リゼリア!」
リゼリアが振り返る。
「何?」
シェルエリナは笑った。
「明日もよろしくね」
リゼリアは少しだけ黙った。
「……ええ」
それだけ言って、階段を上がっていった。
シェルエリナは満足そうに頷いた。
「よし」
ノクトが聞く。
「何が?」
「なんでもない」
「そうか」
ガイアスが最後の肉を取ろうとした。
シェルエリナが気づいた。
「あっ、それ私の!」
「まだ食うのか?」
「食べる!」
「食べすぎたんじゃなかったのか?」
「それとこれは別!」
ガイアスが肉を持ち上げる。
シェルエリナも皿の反対側を掴む。
「離して!」
「お前、さっきいっぱい食っただろ」
「ガイアスの方が食べた!」
「俺はでかい」
「理由になってない!」
「なる」
「ノクト!」
「半分にしろ」
「リゼリア!」
返事はない。
もう二階へ行ってしまった。
「リゼリアー!」
階段の上から声が返ってきた。
「半分にしなさい」
ノクトが言った。
「だそうだ」
ガイアスが頷く。
「半分だな」
シェルエリナは少し不満そうな顔をした。
「……分かった」
バルドが厨房から叫ぶ。
「皿を引っ張るな! 割ったら弁償だぞ!」
二人が同時に手を離した。
肉が皿の上で跳ねた。
酒場が笑いに包まれる。
自由都市フェルム。
Fランク冒険者になったばかりの四人。
彼らはまだ、自分たちがどこまで行くのかを知らない。
どんな人と出会うのかも。
何を失うのかも。
何を得るのかも。
まだ、何も知らない。
けれどその夜。
シェルエリナは、初めてのFランク依頼を終えた。
仲間と湯を浴びた。
美味しい料理を食べた。
街の人たちに笑われた。
少しだけ祝ってもらった。
そして――
「ガイアス、そっちの方が大きくない?」
「同じだ」
「絶対大きい!」
「気のせいだ」
「ノクト!」
「俺を巻き込むな」
――最後の肉を、半分に分けた。
たぶんシェルエリナにとっては。
それで十分、特別な一日だった。




