第一次茶番戦争③
九十二回目の周回にルイを送り出し説教部屋にはブラウンだけが残された。
【まったく……あのご老人も面倒なことをしてくれますね】
ブラウンからすればあんなものは乱数調整に失敗してしまっただけの結果だ。
老人は確かに強いし、油断すれば返り討ちには遭う。
だがルイの堅実且つ冷徹な立ち回りで攻めればその勝率は九割を切ることはない。
針の穴に糸を通すような老人の賭けが偶々通っただけ。
だというのにルイは我慢出来ず迂遠なやり方を選んでしまった。
【大人しくやられてしまえば良いものを】
ブラウンは知っていた。
器物解放戦線も、特対も、彼らに纏わる一連の闘争全てが茶番であると。
全ては脚本を執筆している黒幕のさじ加減一つ。
念のためにと用意はしていても、やる必要がないと判断されればあっさり処分される。
周回の中で器物解放戦線がルイの知らぬ間に壊滅してたりしたのがその証明だ。
茶番としか言いようがないだろうこんなもの。
【……誰も彼もが踏み台でしかない。惨い茶番です】
それがブラウンの偽らざる感想だ。
しかし同時に、その茶番が必要なものであることも承知していた。
世界の滅びという確定された答え。
極小と言えどそれを突き崩す可能性が生じるのは黒幕が茶番を弄した場合のみ。
【本当に彼はよくやってくれている】
狂気にも似た――いや狂気そのものであるルイの積み重ね。
それが茶番を発生させたのだ。
茶番が長引けば長引くほど、世界を救う可能性は高くなる。
とは言えしょうもない繰り返しは勘弁して欲しいというのも本音ではある。
あんな老人放置してさっさと話を進めて欲しい。
【……進言すれば絶対、ロクでもないことになるんでしょうね】
反省文や感謝状。
あれほどメンタルを削るものはない。
最早ブラウンにとってはトラウマになっていた。
【おっと、そろそろですか】
観察を続けていたら気付けばもう終盤。
ルイの胸を都合三度目になる入神の一撃が貫いた。
【お前がスパダリになれなかったせいで世界は滅びました。あーあ】
戻るや否やルイが無言で指を鳴らす。
ああ、茶と菓子ですね。今の気分は……塩辛いものと緑茶でしょうか?
そんなことを考えながらブラウンが茶と菓子を出せば、
「無能が」
これ。
二択をミスったかと思うブラウンだが、
「お前僕が今何をしているのか分からないのか?」
【えーっと……?】
「一からか? 一から説明しないと駄目なのか?」
【お、お願いします】
「あのクソ爺の何もかもを否定してぶっ殺すために僕は今、繰り返してるんだぞ?」
必要なのは木偶。サンドバッグだろうがと吐き捨てる。
二択どころかそもそも選択肢そのものが間違っていたらしい。
【……失礼しました】
言いたいことを全て飲み込んでブラウンは必要な器具を用立てる。
ルイは悪態を吐きつつ、学習の成果を確かめ始めた。
「こう……いや違うな。あの動きは……」
ゆっくり丁寧に丁寧に。
ミリ単位で気を配りながらのトライ&エラー。
十二天将を研究していた時と同じだが決定的に異なる部分がある。教材だ。
十二天将復元は現物があったし資料にまとめることも出来た。
だが今回の教材は十分にも満たない攻防の中で見た動きだけ。
それでやろうというのだから、
【……つくづく狂気】
入神の一撃。あれが老人の総決算だというのならばそこから逆算して積み上げた武を解析出来る。
まずその発想からして狂っていると言わざるを得ない。
にも関わらずルイは疑わない。
老人の武を暴けると、その積み重ねを自らに糧に出来ると。
【一体何周かかることやら】
十二天将の時より多くはならないだろう。
それでも相応の時間が必要になるはず。
何て面倒なマッチングをしてくれたのか。
別のところにルイを行かせてくれてたらこんなことにはならなかったのに。
特対の課長たちへの愚痴がつい漏れてしまうが、
【……うん? あれ?】
ふと、ある可能性に思い至ったブラウンはアーカイブを参照した。
儀式の基点を守る敵の配置だ。
【敵がこの面子で、味方がこれなら……】
別のところにルイを行かせれば良かったのに。
先ほどはそう思った。
だがこれは黒幕の意図なのではないか。
【彼の糧になるように、と】
黒幕の目的を考えればルイのスペックは高ければ高い方が良い。
今のルイも体術が悪いというわけではない。だが並の一流の域は出ていない。
だからこそ武を極めて逸脱した者を餌として差し出したのではないか。
【無茶にもほどがあるでしょう】
老人とぶつかって決着がつくまでの時間は長引いても三十分にも満たないはずだ。
その短時間で老人が培った武をルイがそっくりそのまま糧にする。
【どう考えても不可能と言いたいところですが……】
繰り返しというインチキがそれを可能にさせている。
黒幕がループに気付いている可能性は皆無だ。
もしそうならああもルイにドハマりしているわけがない。
【あちらの視点から見ればそうおかしなことでもないんですよね】
黒幕からすればルイの存在は異常の一言だろう。
齢十七にして異常戦力に肩を並べているのだから。
天才という言葉すら霞む、自らに比肩し得る存在と見ていても不思議ではない。
何せ単純な戦闘能力だけでなくあらゆる分野で秀でているのだから。
【そう考えると……】
ルイを見る。
こちらにはまるで意識を向けていない。
路傍の石ころか何かだと思っているのだろう。
只管に解析した老人の体術を反復作業で体に刻みつけている。
彼のことだ。老人が人生を捧げて積み重ね嘲笑うという目的を違えることはあるまい。
どれだけ時間がかかっても必ず成し遂げるだろう。
【最適解を選び続けていると言えなくもないわけですね】
茶番が続けば続くほど、ルイの正しさが証明される。
これがスパダリに至る器の持ち主というわけか。恐ろしい話だ。
「おい!!」
数年ほど経過したところで声がかかる。
次の周回を始めろということだろう。
【はいはい。ではいってらっしゃいませー!!】
新たな周回を一つ、また一つと重ねていく。
そうして九十八周目を終えたところで、
【……本当に成し遂げましたね】
「当たり前だろうが。僕だぞ」
遂にルイは老人の武を完全に会得してのけた。
「よーし、じゃあ爺ぶっ殺しに行くか。ブラァアアアアアアアアアン!!」
【敬老精神の欠片もない……いってらっしゃいませぇえええええええ!!】
九十八周目。
記念すべき百周目まであと二周だが今、ルイの頭にあるのは一つだけ。
あの老人の全てを否定する。それのみだ。
「あたら若い命を奪うような趣味はない。それが優れた若人であるなら尚更よ」
「僕も老い先短い老人の命を奪うような真似はしたくない」
まだ変化は訪れない。
最初に出会った時と同じ流れをなぞりながら話を進めていく。
「それが返答か」
「そうだよ」
すっ、と老人が腰を落とし構えを取った。
ルイもまた累百一式を光玉形態で背後に展開し構えを取り戦闘開始。
既に体術でも老人を上回っているがまだ見せない。
最初の時と同レベルであるかのように偽装し最初と同じ流れをトレースし続ける。
「……己が身を呪詛で侵して自爆とは無茶をする」
「これを無茶と捉えるのか。良かった」
自爆までタイムラインを進める――これで準備は完了だ。
「つまりあなたはその程度の意気でここに居るわけだ」
「……ほざいたな若造」
ここだ。ここで老人は覚悟を決めたのだ。
刹那の攻防から垣間見えたルイの能力が自分より圧倒的に上であると。
油断や慢心があれば付け入る隙もあろうがこの相手にはそれがない。
このままジリジリと追い詰められ完全に封殺されてしまう。
ならば唯一ルイに勝る幼少の頃から今に至るまで積み上げ続けた武に賭けるしかないと。
そういう思考の過程を経て入神の一撃に繋がったのだ。
(さあ、お膳立てはしてやったぞ)
ルイもまた覚悟を決める。
燃え滾る憎悪はそのままに、頭はどこまでも冷たく。意識はどこまでも鋭く。
「……」
老人もまた深く深く己を沈めていた。
余分な情報を切り詰めていくのだ。
そうして世界に我と彼だけを残す。
一切の不純物を排し極限まで削ぎ落された時、全てが噛み合う。
老人は拳を打った。当たる前から当たると確信出来る人生最高の一撃。
が、
「――――」
老人は確かに見た。
一秒を幾度も切り刻んだ時間の中、ルイの両手がゆっくりと広げられたのを。
戦意など微塵も窺えない、こちらまで凪いでしまいそうな静かな所作。
「ば、かな」
絞り出すような声。
当たるはずだったその拳は両の手で包み込むようにして受け止められていた。
その形はまるで祈りのようで老人はようやく気付く。
「辿り着けたようだね。あなたが立つその場所に」
拳を引き大きく飛びずさる。
老人の顔からは滝のように汗が噴き出していた。
あらゆる能力が高水準ではあった。
体術も一流であるこをは知っていた。
だがこんなことが出来るほどではなかった。
つまりこれは、
「……喰らったのか、この短い時間で……儂を……」
成長したのだ。この僅かな時間で。
(嗚呼、良い……良いぞ。僕はその顔が見たかったんだ)
これだ、これこそがルイの目論見だった。
最初から尋常ならざる強者では驚きが少ない。
この短い時間で老人の動きを手本とし更なる高みへ至った。
そう思わせるために偽装していたのだ。
だってその方がより自分を大きく見せられるから。
だってその方がより完璧に老人のこれまでを否定出来るから。
(どんな気分だ? 何十年の積み重ねが十数分でものにされちゃってさァ!!)
ルイはこのクソみたいな自己満足を得るため何十年と費やしたのだ。
何故その忍耐をくだらないプライドを抑制するために使えなかったのか。
(僕は最高の気分だよ! アッハハハハハハハハハハ!!)
いや何の意味もないわけではないのだ。
能力の向上もあるがそれ以上に黒幕のポイントを更に稼いだわけだし。
が、それはルイには与り知らぬこと。
当人視点では本当にアホみたいな自己満足だけなのだ。
げに恐ろしきは醜く肥大化し切ったその自尊心である。
「……何故じゃ」
「何故、とは?」
「信じ難いがお主は儂を喰らい、その武を更なる高みへ押し上げた」
老人の武を糧としたからといって彼とまったく同じ実力になるわけではない。
だって素のスペックが違うのだから。
体術の面でも今やルイは老人より強い。
だからこそ疑問なのだ。
「先の一撃、カウンターを合わせられたであろう」
それで終わりだ。
そうでなくても受け止めた後、動揺する隙を突いて仕留められた。
慢心か? いや違う。底冷えするほど静かなその瞳にそんなものは微塵も見受けられない。
「僕はまだ、甘かったらしい」
「何?」
「あなたを軽蔑する気持ちは変わらない」
だが、とルイは拳を握り締める。
「手本としている内に分かった。あなたが一廉の人間であると」
心・技・体。どれを抜き出しても並々ならぬものがある。
凡庸な人間であればその領域に足を踏み入れることさえ出来ないだろう。
「そんな人間が馬鹿な計画に文字通り全てを懸けているんだ」
理由は問わない。問うたところで答えが返って来るわけではないだろう。
だが事実として受け止める必要がある。
これほどの武人が全てを賭しているのだと。
「なら、ただ殺したところで意味はない」
打ち砕く必要がある。
強い想念を遺す余地もなく完膚無きまでに。
「あなたの得意でやってやるよ」
背後に展開していた式神を消し構えを取る。
「――――真っ向から全てを打ち抜こう」
ここから先は武の一本勝負。
老人からすれば本来はありがたいことだ。
しかし、老人の勘はかつてないほどに警鐘を鳴らしていた。
あらゆる手札を使っていた時よりも遥かに手強いと。
「――――面白い」
それでも老人は笑った。
武人としての矜持がそうさせたのだ。
短時間で糧にされてしまったとはいえ彼にもここまでやって来た誇りがある。
ならば怖じる必要はない。真っ直ぐ貫けば良いのだ。
これまでそうして来たのだ。最期のその瞬間までそう在るべきだろう。
「「参る!!」」
そして神域の武が真っ向からぶつかり合う。
決して長いものではなかった。
時間にしてみれば十分弱。
だというのに両者の交わりは何よりも濃密で、何よりも美しい。
最後に老人が放ったのは今宵二度目となる入神の一撃。
迎え撃つルイのそれもまた入神の一撃。
交差する二つの拳。勝利したのは――――
「……儂の負けか」
胸に穿たれた穴を愛おし気に撫で老人は笑った。
「見事也」
そして短い賞賛の言葉を口にし、彼は絶命した。
砂粒ほどの未練も遺さず綺麗さっぱりこの世を去った。
傍から見れば美しい決着だが……。
(もっと無様に喚き散らせや! 何なんだお前!?)
ルイはこの上ない敗北感を味わっていた。




