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先輩はどっちか判らない、けど好き。  作者: 村岸健太
先輩はどっちか判らない。
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後輩くんがどっちか判らない、けど好き。

 トミチューでのゲリラライブが終わったヴェル・デ・ラ・ビットの打ち上げは、どうもそれが通例になっているらしいのだが、ヴェル・デ・ラ・ビットのプロデューサーでもある上之原さんのお店である「緑の兎」で行われた。四人と、親しい人々、……今宵であれば先輩、後輩くんに、有華、ミツルママ、白湯川さん、ヴェルデグリーン氏に所長、砂子先生に原口ヒナコさん、そして合法的なやりかたであったと信じたいが廣川をとっちめた真剣師のみなさんを代表して赤目の土竜こと燈流おじいちゃんといったあたり。しゃれてはいるが、店内そう広いわけではない「緑の兎」はそれだけで結構狭くなって、そんな中を、打ち上げの主役であるはずの中寉さんと蒔田さんはこの店の従業員でもあるので、お酒を運んだり料理を振る舞ったりと大忙し。どさくさに紛れて所長はヒナコさんからサインをもらっていた。

 そこに加えて、あまり宿木橋がしっくり来ない感じの、金髪ギャル風の女子大生とボーイッシュ女子児童までもが乗り込んできたのだ、外目黒さんとユノちゃん。いや、本当は後ろに汐崎くんと寺前さんもいるのだけど、もう入りきらない。彼女たちはなんでも、今日も今日とて水鳥川にユノちゃんのパパを観に行ったのだそうだけど、でっかい舟券を当てたらしい。

「あっ……」

 舟券、と言われて後輩くんは思わず頭を抱えてしまった。今日は寿羅くんが走っている。舟券は買わないまでも応援してやりたかったのに。

「あ、あの、ユノちゃん、外目黒さん、寿羅くんは、どうだったんですか、あの子は……」

 二人の愛らしい女性は顔を見合わせて、同時に後輩くんを見た。後輩くんの背後では中寉さんと蒔田さんが同じように「は?」って顔で──そこまではっきり表情を露わにすることは、中寉さんはだいぶ珍しいのだが──後輩くんを見ていた。

「……察するに、彼女は今日舟券の対象になって君たちの懐を大いに暖めたのだね?」

 先輩の言葉に、四方向で頷いて、

「一着」

「水神祭だよ」

「五万舟でした」

「後輩くんもしかして」

 サラウンド。もちろん廣川に拘束されているタイミングであったから買えていない。

「ごっ……」

 先輩が隣で硬直する。でかい魚を逃した、みたいな気持ちでいるのかもしれない。

「後輩くん、後輩くん、その、レーサーはこの間みたいに一日に二回走ったりするのだろう。今日の彼女はどうなんだ、前半のレースで一着を獲るぐらいだから、いいモーターを引いたとか調子がいいとかそういうことなのではないかな、ということは後半のレースでも望みがあるのではないかな」

 後輩くんの腕を掴んでぐいぐいする。先輩はだいたいどんなときでもクールクレバーな人だから、あのとおり将棋も強いのだけれど、だからといってギャンブルの儲けにたいして不動心でいられるはずもないのだった。

「十レースに出ますね。あと五分で締め切りですが」

 背後で中寉さんが言い、

「マジで? あーじゃあ俺買おっと」

 と蒔田さんも応じる。なお、ヴェル・デの人々はライブ後そのままここまで歩いてきているので、相変わらずメイド姿である。凱龍さんも結人さんもそうなのであるが、二人は隅っこのほうでおとなしくしている。

「あ、じゃああたしの分も買って!」

 ユノちゃんが、「じゃーあたしも」と外目黒さんが。本当は舟券の代理購入はいけないのだけど、まあ、そのへんは……。とにかく確かなのは、中寉さんと蒔田さんがざっくりと大雑把な舟券を買い、スマートフォンを店内のプロジェクターに繋いで、にわかにゲイバーの店内が場外舟券売り場みたいになってしまったということ。タブレットで有華相手に駒落ち将棋を指していた赤目おじいちゃんもひょいと顔を向ける。

『インコースからぁ、一番二番三番、ダッシュ四番五番六番で、スタートしましたここも好スタートを切ったカドから四号艇は小熊寿羅ァ!』

 響く実況のアナウンスに店内がどっと沸く。寿羅くんは三号艇二号艇一号艇と順に鼻面を掠めるようにターンマークに向けて絞り込んで行き、先頭でバックストレッチに入る。後ろは寿羅くんの猛攻を食らわずに済んだ外の五号艇六号艇がついてきていて、内側三艇もどうにか立て直して追撃を図るが、寿羅くんは悠々と先頭。

『こぉれは覚醒か! なんとなんと初日は水神祭からの一着一着(ピンピン)で四番小熊がゴールイン、二着で五番葛西、三着は六番成本、後方は、二番・一番・三番の順でゴールイン。なお、二連単45(ヨンゴー)は百一・一倍、三連単456(ヨンゴーロク)は、456は、三百八十一倍丁度。以上宝崎湖十レースでした』

 おわぁあ、みたいな声になっていないというか声未満の音がその場のみなさんの口から漏れた。中寉さんと外目黒さんが相次いでおトイレに行き、先輩は舟券を買った蒔田さんに「私の後輩くんがいたからこそ君は舟券を買えたのだ、ゆえにこそ一割か二割ぐらいは受けとる権利が私たちにはあるのではないか」と絡んでいる。なお、先輩は多少なりともお酒が入っているのだけれど、これはお酒のせいではなくて、百万円には動じないけれど目先のおこづかい的収入にはちょっとこだわってしまいたくなる性分であると見てよかろう。

 それはそうと、である。

 さすがに人数が増えてお店がぎゅうぎゅうになってしまったし、中寉さんと蒔田さんの休む時間も必要である。

 そんな次第で、先輩と後輩くんはそっと外に出た。まだまだ宿木橋の夜は長い。ごきげんな人たちが、幸せに歌い、踊り、酔い知れるなか、サコッシュひとつの先輩と、将棋盤を背負っている後輩くんは、

「どうしようか」

「どうしましょう」

 曖昧な言葉を口にして、曖昧な方向へ二人して歩き始めた。

 宿木橋の喧騒の中を歩くとき、二人はどう見えるだろうか? 男性の同性愛者として、この街に似合いの二人として? それとも、迷い込んでしまった異界の住民として……。

 いずれにせよ、さっき外目黒さんたちがすんなりやって来ることが出来たように、ゲイタウンだからといってそれ以外の人々がコードにそぐわないわけでもない。結論から言えば二人が注目を集めるとしたら、それは後輩くんが背負っている将棋盤以外に理由はないのだった。

「それ、お店に置いといて後で取りに来るとかでもよかったね」

「それはそうかもしれないですけど、場所取りますからね……」

「確かにね。……とは言え、これで私の駒と君の将棋盤とが揃ったわけだ。もうタブレットで対局することもなくなるかもしれないね」

「そうですね、……えっ待ってください僕毎日大学にこれ背負って行かなきゃいけないんですか」

「ああそうか、それはしんどいね。大学ではタブレットで済ませればいいね」

 大学ではタブレット。

 では、どこで将棋盤と駒で対局するのか。もう大日氣弥益の人々もいい加減懲りただろうから、後輩くんが探偵事務所で寝泊まりする理由はなくなった。

 さしあたって、今夜は?

 サコッシュの先輩はもちろん、後輩くんは重たいものを背負ってはいるものの、両手が空いている。先輩は後輩くんの右隣を歩き、二人の歩調は同じ、先輩のダッフルコートから出ている指を捉えようにも、なかなか重ならない。捉えていいものかどうかも判然としない。どうしようかな、もう、キスをするのに許しを乞うほうが無粋だと判っているのに。

「ねえ、後輩くん」

 赤信号が二人の足を止め、それぞれの手も止まった。夜の風が先輩の指をかじかませてしまう前に、急いで握る。先輩は少しも驚かなかった。代わりに唇を少し微笑ませて、白い息を漏らした。

「……君の手はいつも温かいね」

 なにか、先輩は言い掛けていたはずだ。後輩くんが指を握ったせいでそれを止めてしまった。信号が青に変わる。二人は歩くスピードも腕の動きもぴったり合わせて、この人を置いていかないように。

「……私は、君と出会ってから、ずっと、いつか訊こう訊こうと思っていたことがあるんだ」

 そういえば、と思い出す。先輩は今朝、僕になにかを問おうとした。その瞬間に、襲撃を受けて……。

 横断歩道を渡りきって、宿木橋の華やかさが背中へ消える。オフィスメインの雑居ビルばかりの通り、このうち一軒にヴェルデグリーン氏の住まいがあることはこの間知ったけれど、真っ暗で、いまはもう、どれがそれだか判らない。ただ判っているのは、前回この道を先輩と二人で歩いたとき、行き着いたのがどこであったのかということ。

 今夜はあの日みたいに終電をなくしてしまったわけではないのだけど、きっと、特別な理由なんてなくてももう構わない。

 今夜は。

 今夜は、お風呂、入るんだろうか。

 灯りを、どうするんだろうか。

「……あの、僕も。いえ、僕はもう、あの、どっちでもいいかなって思ってるんです、そんなに、わざわざ訊かなくてもって」

 先輩も、後輩くんも、こころなしか歩くスピードが落ちている。それは後輩くんは、僕のせいだと思っていた、……結論、らしきものを、やっぱり出したほうがいいのか、出さなくってもいいのか。どうするのが正解なんだろう?

「ほう。……それは、私に関して訊きたいことがあるということ? ああ、それはもちろん構わないよ、私は君の先輩だからね、そして、改めて言うのはとても面映ゆいけれど、……うん、かけがえのないパートナーだからね、君の問いにはなんだって率直に答えよう」

「いえ、あの、でも」

 どっちでもいい。

 どっちでもいいのだ。

 知ってしまうことを恐ろしいとさえ思っているのだ。

 だけどもう知ってしまっても大丈夫だと思いきってしまっているのだ。

 この人が小さな身体に抱えている謎、僕だけが解けない謎さえも、もはや宝物となってしまって久しい。

 だけど、答えだってきっともう宝物。

「じゃあ……、私から訊いてもいい?」

 はい、と少しだけ安堵して後輩くんは頷いた。何を訊かれるかは判っている。

 僕の名前はカグラザカ・ツナグといいます。神楽坂はそのまま、ツナグは「縁樹」って書きます。変な当て字でしょうって笑って言うつもりだ。

 しかし先輩もまた、後輩くんの手をにぎにぎしながら、その喉に閉じ込めた言葉をなかなか逃がそうとはしないのだった。

「……いや、うん。妙なこと訊くなと思われそうでね」

 先輩はそんな具合に言葉を濁す。後輩くんも後輩くんで、なんだかもじもじして、いつも以上に歳下感が濃く滲んでいる先輩を見て、無理矢理その言葉を引っ張り出すようなことはなかなか出来かねる。そんなことをしているうちに、二人はこの間も来たラブホテル街の領域で二人ぶんの身体で入ってしまった。

「……その、ええと、どうしようか? 今夜は、……まだ電車はあるけれど、君も色々あって疲れているだろうと思うし、ゆったりとしたお風呂に浸かって、広いベッドで寝て、疲れを癒すのがいいんじゃないか」

 疲れているのは先輩も同じだ。先輩だってろくに寝ないで大忙しの大働きをした末にいまに至る。

「はい、ええと、そうです、そう思います」

「うん、……うん」

 煮えきらない二人に見えるかも知れない。

 前回と同じホテルに入って、フロントで「僕も出します」「いや大丈夫だよさっき皐醒から寿羅くんシェアリングの報酬を受け取ったから」「寿羅くんシェアリング……?」なんてやり取りをして結局先輩が全部払ってしまって、狭苦しいエレベーターで上階へ至り、慣れた様子でドアを明けカードキーで灯りを点けて、後輩くんは将棋盤を丁重に下ろし、先輩はダッフルコートを脱ぐ。

 何気ないしぐさの一つひとつ、当人たちは血が沸騰しているみたいに感じているのだ。しかし、後輩くんは気が小さくて、いろいろ判っていないものだから、自分がどぎまぎするのは当然だと思っているのだけど、先輩もどうやら緊張している様子である理由までは判らない。

「入浴剤、どっちがいい?」

 いかにも温まりそうなジンジャーレモンの袋と、ゆったり眠れそうなラベンダーの袋を左右の手に掲げて見せた。先輩はいろんなものを持っている。今日も入浴剤と、あとハーブティーも出てきた。それからノンカフェインの栄養剤。「あんまりこういうのに頼りすぎるのはよくないけれど、今日ぐらいはいいと思うんだよね」なんて言いながら。

「外、結構寒かったですよね。ジンジャーレモンのほうがあったまりそうです」

「うん、ではこっちにしようね。早速お湯を溜めることにしよう」

 後輩くんは、ポットにお湯を沸かす。すぐ飲むかどうかは別として、こういう準備のよさは常に心がけておきたいものだと思っている。先輩は蛇口を捻り、いつもならすぐ戻ってくるのに、今夜は、何をしているのだろう。ずごごご、と腰掛けを動かす音が、すりガラスでベッドスペースと仕切られた浴室から聴こえてきた。

「先輩?」

 返事はない。ただ、シルエットで何をしているかは判る。先輩は広い浴室の洗い場に置いた腰掛けにぽつねんと座っているのだ。後輩くんがそっと覗くと、腕組みをして、生真面目な顔で湯の溜まっていくバスタブを眺めている。二人で入ることが前提の設計だから、広々とした作りである。

「……うん」

 先輩は靴下も脱いでいない。濡れていないから問題ないという判断なのだろう。

「先輩が先にお入りになります? あの、僕わりと平気ですよ、あそこでじっとしてただけですから。先輩のほうがたくさん動いて疲れてると思いますし」

 後輩くんの言葉にも、腕組みをほどかない。しかし「うん」と答えるから、声はちゃんと聴こえているのだ。

「どっちがどれぐらい疲れているかを測るのは難しいから、……今さら私たちにはもう、一緒にお風呂に入らない理由なんて一個もない……」

 先輩は水面を見つめたまま言う。その言葉が出てくるまで、二分ほど黙り込んでいた。後輩くんは後輩くんで、床がほんのり暖かいな、お風呂場に床暖房がついてるんだな、なんてことを思いながら、先輩の隣で正座しているのだった。

「……一緒に、入っていいんですか?」

「逆に、前回ここで一緒に入浴したとき、私は君に許しを請うてはいないよね」

「それはそうです。先輩のお考えになるままになさっていいと思います」

 先輩はまた黙り込んでしまって、……やがて腕組みをほどいて、「時間になってしまった」と呟きながらお湯を止める。二人で浸かるなら、もう十分な量。

「……今朝からずっと問いの続きを、どうやって口にしようか迷っていた、そもそも問う必要があるのかどうかさえ、私には判らなかったんだ」

 そう言いながら先輩は、タートルネックを捲り上げる。あっ、と後輩くんは慌てた。

「あ、あの先輩待ってください、灯り、消します、灯りを消します」

 先輩はぱちぱちと静電気の音を立てる。癖のない髪であるものだから、静電気にたいしてとても素直なのだ。

「必要ない」

 ちょっと面白いレベルにとっ散らかってしまった髪の毛にムッと唇を尖らせながら、先輩は言った。

「というか、灯りが必要だ。私もまあそんなにめちゃめちゃ目がいいわけではなくて、きっとそれは君も同様だろうと思う。九隅大に入ろうと思ったなら高校時代には寝る間も惜しんで日々にせっせと勉強しなくてはならない……、まったく『蛍雪の功』とはよく言ったものだが、結果として視力落としてるんだから考えものだな。いや、それはそれとして、だ」

 先輩はぶんぶんと頭を振って、タートルネックを無造作にベッドのほうへ放った。「あっ」と顔を顰めて、そっちのほうへ一歩踏み出しかけたから、察するに狙ったところへ乗らなかったのだろう。しかしすぐに先輩は諦めた。足だけで靴下を脱ぎ始める。先輩にだってそういう大雑把なところがあってもいい。

「質問を」

 今日な足の指先で、もうろくに狙いも定めずに靴下を追い出す。

「するということは、その答えを」

 後輩くんはその片方がすっぽりとゴミ箱に入ってしまったのを見て、ただおろおろしているだけだ。止めないと、もしくは灯りを消さないと、先輩は本気ですっぽんぽんになってしまう!

「強制するという側面を持つ。君の側に何らかの責任を負わせることにもなってしまう」

 やっぱり灯りを消したほうがいいのか、と一瞬思ったのだ。だって、秘密が壊れてしまうことを、この期に及んで恐れたことを後輩くんは認める。

「あっ、あの、じゃあ、待ってくださいあの僕も、僕も脱ぎますので! いえあのごめんなさいこれはある種のハラスメントではなくて先輩がもし脱いでいいならという話ですけど!」

「君のがハラスメントになると言うなら私だって同様じゃないか!」

「えっ、えっそうなん、そうなんですか!」

 いっぱいいっぱいの二人である。後輩くんも先輩も昨日からずっと同じ服でいて、しかもこうしてお二人さま仕様のホテルになんて泊まってしまったものだから、明日も同じ服で帰らなければいけない。……いや、靴下ならパンツやらはそこらへんのコンビニで買ってくればいい話なのだが、それにしても。

 先輩が、どんなであっても。

 後輩くんは深呼吸をして、セーターを脱ぎ捨てた。

「……ごめんなさい、あの、こんなこと言って、僕、先輩に嫌われるかもしれないって思って、訊けなかったんです。ずっと判らなくて、でもここのところはもう、どっちでもいいやって思っていて、……でも、はい、やっぱり、これから先、先輩と一緒に暮らしていくこと考えたら、やっぱり知りたい、知っておかないといけないって思ったので」

 遂にこのときが来てしまった。

 怒らせそうだなぁ、どっちであっても失礼と言われても仕方のないことを訊こうとしている自覚があるから、後輩くんは怖くて仕方がない。

 それでも、もう退けない。せっかく溜めたお湯がぬるくなってしまう。

「先輩は……」

「後輩くんはどっちなんだ」

 先輩が、苦しそうに顔を顰めて、スキニーの細腰をしっくり締める自身のベルトに手を掛けて口にした言葉は、……先輩は探偵さんであって、ものすごく賢くて有能な人である、だから、そう、後輩くんは、自分の心の中を綺麗に覗いて先輩が言葉のしてしまったのではないかと思った。

 先輩のほっぺたが紅く染まっていた。

「こんなこと……、こんな失礼なことってないだろう……。答えがどっちであっても、どれだけ君を傷付けるだろうか、ひょっとしたら嫌われてしまうかもしれないって怖かったんだ」

 後輩くんは、うっかり、

「はい、そうです」

 なんて言ったのだ。まさしくその通りだったから。

「はじめは、……私なりに、多分こっちだろうという感覚を持ったんだ。しかし、……ね。しかし、そうじゃないのかもしれないと思うことも増えて、……でもね、これだけは信じて欲しいんだ。どっちだって構わない(・・・・・・・・・・)って私は思っているんだ。私が君を好きだと思うのは。君とこれまで一緒にいて、これからも一緒に生きていきたいと思うのは。君が何か(・・)だからではなくて。私は君が何か(・・)でなくっても、君のことが好きなんだ」

 ここまで言われて、……先輩の言葉の主語が一貫して先輩自身であるということに、のんびり屋の後輩くんはようやくこの瞬間に気付いた。

 ぽかんと、口が開いたと思う。まったくもう、先輩みたいに美しい顔をしているわけじゃないんだから、そういう腑抜けた顔を晒すもんではない。けれど、本当になかなか塞がりようもない。

「えっ……、えっ、じゃあ、じゃあ、あの、……えっ、先輩は、……先輩は、僕がどっちか判らないってこと……、ですか?」

「どっちであっても」

 先輩は慎重に、かちかちと言葉を区切って言う。

「いいと思っているってことだ」

 そこだけは絶対に譲りたくないんだって気持ちが強く強く伝わってくる。先輩はこういうところとても男らしくって、後輩くんはとてもいいなと思っている。端的に言うと、憧れる。

 それにしても、……お風呂場であるものだから、すぐそこに鏡があって、後輩くんのぼけっとした顔が映っている。概ね貧相な身体もまた。

 そうかぁ……。

「……傷付いた?」

 先輩は本気で恐れているようだった。

「いえ、ぜんぜん」

 後輩くんはすぐに、微塵の迷いもなく首を振った。僕の性別が逆だったら憤慨していたんだろうか? どうもそれはない気がする。ただ、腹を立てる人もいないことはないだろうなとも思う。後輩くんはまさに、先輩が自分の不用意な発言をきっかけに怒らせてしまうことを恐れていたのだ。

「先輩は……」

 と訊きかけて、やめた。

 ひとまず、これから一緒にお風呂に入ることに、先輩も後輩くんも同意している。その先については、まあ、双方が一つひとつ形成するコンセンサスに基づいて行なっていけばよい。少なくとも後輩くんは、先輩が自分と同じ性かもしれない可能性を念頭におきながらも、「したいな」と思う気持ちのほうがずっと強かったから、先輩に「キスして」って求められたときには喜んで応えてきた。

 先輩だってそうだったんだ。

 先輩は、僕のことがどっちか判らない。

 でも好きって思ってくれたなら、……ひょっとして、これ以上幸せなことってないんじゃない?

「あ、……あっ、後輩くんっ……」

 後輩くんはシャツを、その内側に身に着けているものも含めて、ぐいっと脱ぎ捨てた。

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