狂気の二月十四日(上)
鍵の記憶を受け入れてから初めにしたのは、色家の血縁関係をもう一度見直すことだった。
別にインターネットでも良いのだけど、本の情報と矛盾することや無責任な論が多くて苛立って以来、使う機会は少ない。やはり情報の発信に手間がかかる分、本は誠実で精緻だ。
図書館で借りてきた『貴族年鑑』の最新版をめくる。分家も含め初代から書いてあるから辞書よりずっと分厚く大きいが、用があるのは最近の分だけなので、一気に最後の方を開く。
「うーん、紺乃家と橙嶺家の当主は女性だろう?ってことは違うかなあ。でも、旦那も他の色家出身か……」
単純に考えて容疑者は七人。しかし、当時の年齢を考えると常盤家の当主と紺乃家の婿が除外される。見た目から紅崎家と白藍家の当主も違う。
残る候補は、橙嶺、支子、紫原の三家。
「参ったな……」
大して意味はないだろうが、国防のため色家の面々の顔は公開されていない。これでは特定できないのだ。 他に変わっている点を強いて挙げるならば、白藍の現当主の弟が子供の頃に亡くなっていることくらいか……。
「ん?この赤い花はいったい……?」
ほとんどの当主の名前の右上に小さな赤い花の印がついている。ついていない現当主は支子家と紺乃家だけだ。各家の次期当主にも付いている。
初めの方のページで確認すると、血の鍵の持ち主らしい。
「参ったな……」
進展なし。同じ言葉をもう一回、吐いてしまった。
「今日は、『探し屋』さんに正式に依頼を持って来たんです」
そう言って『蒼の棺』のモデルになっている探偵たち――館さんと山伏さんに頭を下げる。
俺は今、戦時の爪痕が緑に呑まれた町――東都を再び訪れていた。館さんは、腹の肉を揺らして俺の目の前の若干日に焼けたソファーに腰を下ろし、俺に鋭い目を向ける。
「おう、坊主、覚悟決めてきたんやろうなあ?」
「はい」
先日の邂逅で自分たちを信用できないのかと言った目が、依頼を決心したことの重大な要因ではある。彼らは嘘をついているようには見えなかった。
依頼をしなかった理由の一つである、仮に貴族と癒着しているかもしれないという可能性なら、勿論ある。もしそれが本当だったなら、それは俺の目が節穴だったと諦めるしかない。一種の博打。それも俺の人生を賭けた大一番だろう。
「依頼を、聞こうか」
つるりとした頭を光らせて山伏さんは問いただす。俺は目を閉じ深く息を吸って吐いた。
「祖父を殺した人物を探してほしいんです。顔は、二年ほど前の記憶があります」
「……それだけなら、正直よくある依頼だけど。警察だって動いているはずだ。何を躊躇う理由があったんだい?」
「――その犯人が、七家の誰かだからです。警察の捜査は途中で放棄されましたから」
ごくりと息を呑む音がした。七家が関わっているなんて思いもしなかったはずだ。
「君は正気か?七家が揉み消すということは、相当都合が悪いということ。そして警察は頼れない……。君のおじいさんや、家族が七家の恨みを買ったとか、悪事に手を染めていた可能性はないのかい?」
「ふざけないでください!」
目の前がカッと赤くなり、俺は思わず叫ばずにはいられなかった。
「まあ、落ち着きいや、城守君。あくまでも可能性の話や」
「僕も悪かったよ」
「……こちらこそ、すみません、つい。恨みに関しては、信じたくはないですがあり得ないとは言い切れませんが、悪事に手を染めたというのはあり得ません。じいちゃんは、身内贔屓を差し引いても公明正大な人物でした」
断言して自分を無理矢理冷静にする。
「君は犯人を見つけてどないする?もしも仇討ちする言うなら……僕らは協力できひん」
あの犯人を、殺したいのか?
夜桜の空間――俺が犯人の顔を見た場所から現実に帰ってきたときに感じていた憤りは、次の日の朝にはどういうわけかしぼんでいた。そこで俺はもう一度自分の復讐心と向き合うことにしたのだ。
どういうわけか今まで強く奥底で燃え滾っていた殺意は乏しい。しかし、このまま忘れるというのもなんだか違う気がするのだ。要するに、気持ちの整理をするべきだと思った。
「いいえ」
俺は力なく首を振った。
「俺が望んでいるのは、気持ちを整理すること。具体的には、犯人に会うことです。その後、どうなるかは犯人次第ですけど、殺すことにはならないでしょう」
俺は正直に語った。嘘をついても多分ばれてしまうから。
「……引き受けようやないか」
「モトちゃん、本気かい!?」
館さんは重々しく頷いて見せた。
「危険な依頼やけど、ここで受けとかんと後悔する。そんな気がするねん。身内殺された恨み、僕らもようわかるやろ?」
「それを言われると、きついね……」
にやりとあくどい顔を作ってみせた館さんに、かなわないなあと山伏さんが頬をポリポリと掻く。二人にも、何やら深い過去があるようだ。
「ほな坊主、予定決めよか」
「……予定、ですか?これから行くのではなく?」
坊主、という言葉が初めより幾分柔らかくなったことに驚きつつ、それを上回る意外感に問い返せば、山伏さんは呆れたような顔になって、実際言葉にした。
「城守君、いくら何でも無茶だよ。僕らにだって予定はあるし。これから相談に来るお客さんとかね」
「それに坊主の依頼は数時間じゃ決着がつかんやろう。日ぃ決めて速攻や」
「山伏さんの言い分はわかりますが、俺が一緒に行動する必要、ありますか?確か、先日のパフォーマンスでは、記憶を持っている人から離れてもハンカチを見つけられましたよね?」
「ああ、それはハンカチを持っていた人が動かなかったからね。モトちゃんが物や人の場所を特定できるのは、僕がイメージを伝えて三十秒間、方向とおおよその距離だけだよ。近いほど精度は上がるけど」
それから三人で協議を重ね、二月十四日の日曜日、バレンタインの日に捜索をすることになった。依頼料がとても高くて、俺が二人を雇えるのは一回だけだ。気合を入れて捜索しないと。
風の吹きすさぶ寒々しい空のもと、人で賑わう皇都駅で待ち合わせ、調査が始まった。俺の手と、山伏さんの手、山伏さんの手と館さんの手が繋がる。
「モトちゃん、どう?」
「西やな……西都か?」
地図を睨んで大体の距離を見ているようだ。そのまま電車で西都へ行く。今度は西都駅で手をつなぐ。調査のためとは言え、やはり、こう、昼間からおじさんと手をつなぐのはやはり目立つのだろう。先程からちらちらと視線を感じる。
いや、俺が気恥ずかしいと感じているからそう思うんだろう。堂々と握手すれば問題ないはずだ。
「ちっ、奴さん、また大幅に動きよってからに。今度は東やな。移動速度からして飛行機かいな?」
「僕らは新幹線かな。まあ、一日乗車券買ったしいいんじゃない。この短時間でこれだけ移動するとなると、またフラフラしそうだよね……」
「とにかく、追いかけましょう」
俺は居てもたってもいられなかった。復讐したいわけじゃないけど、なんだろう、胸の奥底でせっつかれているような、落ち着かない気持ち。俺も飛行機で飛んで犯人に追いつきたい。しかし……金がない!
じいちゃんの遺産を復讐……ではないけど、使うなんてできない。二人の依頼料も自分のバイト代や大昔のお年玉から出している。
新幹線で移動していても、どこかもどかしい。風景は視認できないくらい早くに飛んでいくのに、まだまだ遅い、いっそ自分は動いてないのではないかと思う。
駅に着く少し前に毎回三人で手を握って、犯人の場所を確かめる。
「近くや!次で降りるで」
フシュー……――
降りてみれば、そこには見慣れた風景が広がっていた。つまるところ……地元だった。思わず膝をつきたくなった。虚しい。交通費を返せ……。
「なんや、そんな絶望したような顔して。元気だしいや」
「懐かしいね……。卒業以来だよ、士官学校の近くに来るのは」
「……卒業生だったんですか?」
「僕は途中で防衛高校に移籍したけどね」
山伏さんは目を細めていた。そんな山伏さんを見て、館さんは少し身じろいだ。なんとなく、会話と続けることができず、奇妙に静かな空気のまま士官学校前駅を出る。
マジか……。
山伏さんに導かれて辿りついたのは、葉が落ち、ものさびしい黒々とした枝ぶりの桜並木。その先には歴史を感じる木造の大きな建造物が立ち並ぶ。
なんてことはない。それは毎日通っている国立防衛士官養成高等学校だった。
正直、今日の出費は何だったんだと叫びたい。
「坊主、悪いが僕らはここまでや。……士官学校には卒業生ならまだしも、中退生は事前の申請なく入ることはできへん」
「そうですね……」
確かに、父兄ですら文化祭などの行事でない限り入れないのだ。仕方ないだろう。
「今日は、ありがとうございました。後は自分ですこし頑張ってみます」
「僕らはもう、今日は何もできないからね……。何か進展があったり、他に探してほしいものがあったら遠慮せずに依頼してね」
ぱちりと片目を閉じる館さん。存外似合っていてびっくりした。
「……無料なら、考えましょう」
「勿論有料に決まってるやろ。アホかいな」
本気で呆れたように肩を竦める山伏さん。お互い冗談だと理解しているけど、すこし腹が立った。
「ま、僕らはこれで。無理はすんなや、坊主」
「今後もご贔屓に」
二人は軽く手を振って、もと来た道を戻っていった。俺は二人の背中が豆粒ほどになるまで、一番外側の灰色の桜のそばで見送った。
「こんにちは、鈴木さん」
「お帰り。帰りは遅くなるんじゃなかったのかい?」
すっかりおなじみになった定年間近の守衛さんだ。俺の外出から戻った手続きをしているが、なぜだかいつもより守衛室が散らかっていた。
「……今日は何かあったんですか?」
「ああ、突然訪問された方がいてね。七家の人でも、そういうことは滅多にないんだけど……いや、ないからこそ普段と違う手続きをする必要があってね。こんなわけさ」
鈴木さんが決まり悪げに頭を掻いた。紺色の帽子が少しずれる。
「誰が来たんです?」
俺は逸る鼓動につられて口調も不自然にならないよう、ゆっくりを心がけて聞いた。
「はは、城守君には悪いけど、流石にそれは教えられないよ、仕事だからね。……うん、手続きは終わったよ。また外出する時には言ってね」
「それもそうですね。失礼します」
内心の失望を悟られないように、俺は足早に寮に戻った。




