狂気の二月十四日(下)
若干重い足取りで水仙寮に向かう。すれ違う生徒たち……いつもは見かけないような男子が、ジョギングをしていて、何やら浮ついた雰囲気である。自分とは正反対の様子に、何とも釈然としない気分になった。他人が俺の事情を知らないのは当然なのだから、八つ当たりすべきではないのはわかっているが……。
しかし、校内を走る少年たちは、俺を見るとにへらっとした顔を一瞬で硬直させ、さらに顔を白くさせてすれ違っていった。はてと内心首を傾げつつ、何とはなしに足を速めた。
「いらしたわ!こっちよ!」
「やっとお出ましなのね!」
「A班、B班、左から回り込むのよ!」
何だろう、寒気が、怖気がする……。足が更に重く感じられたし、遠回りにもなってしまうが、後ろに踵を返した。
「城守様!お待ちになってー!」
あの叫びは空耳に違いない。が、足を動かす速度は飛躍的にあがった。うう、見覚えもある女子もいるけど、別人かと思うほどに目が血走り、鍵持ちを除けばトップクラスの脚を持つ俺に追従してくる。なんだっていうんだ!
「ハッ、ハッ、はあ、はあ……。いったい、はあっ、なんだっていうんだ……」
ずるっと自室の扉に背を預け、座り込む。
おかしい。全速力でここまで突っ走ったにも関わらず、両手の指でも足りないような数の包みがコートのポケットや腕の中に入っていた。
ぴろん
びくりと、自分でも驚くほど体が震える。恐る恐る、ドアの向こうにいる相手を確認すればマヨとカンナとメロだった。ほっと息をついて、三人を招き入れる。
「三人とも、どうしたんだ?日曜日に来るなんて珍しいな」
「うん?これを渡しに来ただけだけど……」
「チョコレートです!私たちが数週間かけて吟味した、この辺りで一番おいしいチョコレート菓子ですよ!」
マヨは手に持っていた上品な濃茶に細い白線が何本も入った紙袋を掲げ、カンナは薄い胸を張ってその中身を解説した。メロは、若干くたびれ、お前たちもかという視線を向ける俺に目敏く気づいて、傍目にはわかりにくくニヤついていた。
「……すごい騒ぎだったね?」
「知っているのか?」
ついさっきの話なのに、何故?
「……さっきの騒ぎ、キイトが原因だったの?」
気のせいか、マヨが少しご機嫌斜めだ。
「キイトさん、カッコイイですもんね!」
屈託なく笑顔を向けるカンナの目も、ちょっと笑ってない気がする。気のせいだな。
ますます困惑する俺を見て、プッとメロが噴き出し、今日の諸悪の根源を告げた。
「今日はバレンタイン」
いつもの無表情で告げられ愕然とする。そういえば、そうだったか……。なんか、虚しい。俺はもっと普通のバレンタインがよかった。
「で、キイト。いくつ受け取ったのかな?」
女の子が放つとは思えない威圧を前に、俺は数歩後ずさった。
あの後、誰から渡されたか定かではないチョコレートは回収された。大方、カンナが処分するとは思うが、あの小柄な体のどこに大量のエネルギーが吸収されているのだろうと思うと首を傾げざるを得ない。
……自分でもいささか失礼だと承知しているが、身長や胸にはおろか腹にさえ蓄えられた様子がないのだ。もしかして、幸運の鍵の効果なのだろうか……。
さらには食堂で、ユラギとセロと橙嶺先輩に昼間のことをからかわれた。
「お前たちも追いかけられたんじゃないのか?」
「ええー、僕は鍛錬中に普通に渡されたよ。セロ君あげるーって感じで」
「俺は大人数でまとまってきたけど、そろそろと近づいてきて渡されたけど。逃げたのが良くないんじゃないか?ただでさえお前は夕方まで見かけなかったし、渡すのを諦めて別の奴に渡そうか真剣に悩んでいるのを見かけたけど」
「くくっ、恋人なしだと大変だな?俺は婚約者がいるから全部断ったよ。受け取っていたらきりがないからな」
「でしょうね」
確かに、橙嶺の御曹司なら、妾でもいいと言うかもしれない。
「で、キイト、いくつもらったの?」
「さあ……。部屋に逃げ込んですぐマヨたちに没収されたからな。まあ、結構あったから、ちょっと助かったと思ってる」
「それじゃあ、手元に残っているのは三人から贈られた奴だけ?」
「そうなる」
俄然ニヤニヤしだした友人たちと先輩に無性に怒りを感じる。話題を俺からずらそう、うん。
「……そういえば、ユラギ、紅崎先輩からはもらえたのか?……そんな絶望したような顔をしないでくれよ、まるで俺がいじめているみたいじゃないか」
「その通りだよね」
うなだれたユラギからは何も言われないが、かわりにセロから冷静なツッコミが入る。
「紅崎先輩、生徒会を引退したからなかなか接点を持てなくてさ……俺だって好きな人から一つもらう方が女友達にたくさんもらうよりうれしいのに。先輩、『あら、そんなにもらえるなら私からはあげなくてもいいわね』って」
「「うわあー」」
紅崎先輩の台詞と、ユラギの妙に上手い口真似に、セロと揃って反応してしまった。橙嶺先輩もあちゃー、とばかりに箸をとめて額に手を当てている。
橙嶺先輩はそれでも口は挟まないようだ。自分が言っても、婚約者と仲がいいので嫌味にしかならないと理解しているというのもあるだろうが、七家の令嬢といくら優秀とはいえ一般人の結婚は大変だと実感として知っているからだろう。他の人に他言しないだけでもできた先輩と言える。
「やっぱり、脈なしなのかな……」
下手に慰めて期待を持たせるのも、と思うと、俺はそれ以上何も言えなくなってしまった。この話題、振らなきゃよかった。……そもそもの原因として、渡さない先輩が悪いのだ。大体、アカネの話では、紅崎先輩はユラギを気に入っているという話だったが……ん?
「……ユラギ、先輩の言い回しからして、もしかしたら用意していたかもしれないぞ」
「……どういうことだ?」
困惑するユラギにもう少し説明してやると、少し元気がでた。
「キイト、ありがとう。俺、ちょっと聞いてくるわ。どっちにしろ、先輩の卒業まで時間があるわけじゃないし」
決死の覚悟を決めたような凛々しい表情で宣言すると、颯爽と食堂を出て行った。
「……食器を片付けてから言ってほしかったな」
大した手間ではないけれど、あまりにもあっけなく自分の思いを伝えると決めたユラギに、俺達は苦笑を禁じ得なかった。
草木も眠る丑三つ時。騒がしいバレンタインもの翌日午前一時。気配を消して忍び込むのは黒くうごめいているように見える桜並木の近く、守衛室だ。
こそこそしていては逆に不審なので堂々と走る。見つかったら目が覚めたと言えばいい。穴だらけの作戦なのは承知しているが、やらねばなるまい。
「嘘だろ……」
俺は呆然とした。明かりの点いた守衛室を見たからである。鈴木さんにも気づかれた。走り去りたいところだが、そうもいくまい。手招きされてしまったのだ。観念して入る。別に入構記録を確認するのを諦めたわけではない。
「城守君、こんな時間まで自主訓練かい?」
苦笑気味に、薄緑の湯飲みに入ったコーヒーを出された。くゆりと湯気が揺れる。
「悪いね、ここにはインスタントコーヒーしかないんだ」
「いえ、ありがとうございます」
「それにしても、こんな夜更けに外に出ようとしたのかい?門はすでに閉まっているよ」
「……目が覚めてしまって、眠れなくて。運動したら眠れると思って走りに来たんですけど……」
いつの間にか嘘をつくのが上手くなってしまった。こうして大人になるのだろうか……。深く考えるのは、未だ苦手だが。
「鈴木さんも大変ですね。こんな時間まで働いているなんて、知りませんでした」
「ああ、今日は特別だよ。急な来客があったんだ。七家のお偉いさんばかりでね」
やれやれと肩を竦めて、鈴木さんはコーヒーを飲んでふうと一息つく。
「大変ですね。どなたが来たんですか?」
『昼間も言ったけど、教えられないよ』苦笑されつつそう返ってくると思ったのだが。
「昼にね、常盤家の当主様と紫原家の次期当主様だね。二人揃っていらっしゃったんだ。珍しい組み合わせだよね。夜には支子家の当主様もいらしたよ」
どういうことだ?予想の該当者がいない。
昼間に言っていたことと矛盾しているのが気になるが、危険な橋を渡らずに済んだので良しとしよう。守衛室に監視カメラがついてないとも限らないのだから。
心の隅にもやもやとしたものを感じながらしばらく世間話をし、冷めたコーヒーをグッとあおってお暇した。
翌日の朝、昨夜の違和感に加えて、完全な寝不足のため、スッキリしないまま型稽古をする。最近は模擬戦を挑まれることもめっきり減った。模擬戦を挑んでくるのは橙嶺先輩が多かったが、彼は今受験勉強で忙しい。あと一週間もしないうちに大学の本試を受けるので、いよいよ大詰めといったところだ。それでもたまに息抜きに使われるのだが。
朝練のメニューを一通り終え、自室に一度戻ろうとした時だった。
見知った人物がこちらに向かって躊躇うようにゆっくり、しかし一直線に歩いてくる。白藍だ。いったい何の用だろう。
「あのっ、おはようございます」
「お、おはよう」
普通の挨拶より幾分力の入った挨拶をされて戸惑う。
「どうしたんだ?」
普段の授業ではもう接点などない。自分の鍵に自信を持てるようになった彼女は、貴族ばかりのクラスにも馴染む……とまではいかずとも、折り合いをつけて付き合えるようになっていたからだ。
「えっと、その……。こ、これを受け取ってください!」
目の前に差し出されたのは、クリーム色のリボンの掛けられた深草色の箱だ。
「これは……?」
まさかチョコレートか?そう続ける前に白藍による言い訳――もとい解説が入った。
「えとえと、それはお礼です。いつか私に自信をくれた、お礼……」
恥ずかしくなってきたのか、だんだんと声が小さくなっていく。反対に、顔の赤みは増していったが。だんまりの俺に焦ったのか、彼女はさらに言葉を重ねた。
「バ、バレンタインには、遅れてしまいましたけど、折角、だし、その……」
「……白藍さんありがとう。後で食べるよ」
白藍はホッとしたあとハッとして一瞬沈んだが、すぐにはにかんだ。随分表情がゆたかになったなあと感慨深い。森林演習の時に見かけた彼女とは似ても似つかない。
そろそろ歩き出さないと朝食前にシャワーを浴びることができないので、白藍と別れようとしたが、なぜかついてきた。まあ、寮の方向はだいたい同じだし、そういうこともあるか。
何も話さないのもどうかと思って、世間話を振る。俺は気が利かないので、気軽に話せる話題をすぐには思いつけない。なんとかひねり出したのは、もらったものの話だ。
「にしても、なんで今日?」
「わ、私も昨日に渡そうと思ったんですけど、午前中はお留守でしたし、午後は、父が様子を見に来て、それどころじゃなくなっちゃって」
「お父上が!?」
聞いてないぞ!?でも鈴木さん、昨日はちょっと変だったからな……。忘れていただけかもしれない。
「は、はい。それがどうかしたんですか?」
「いや、何でもない。でも、午後でも俺と会うのは難しかったと思うが。寮に戻ったの、夕方だったから」
「そうなんですか?」
それならよかったです、と無垢な笑みを浮かべる白藍に、別の意味で――女子に追いかけられていたから、受け取れなかったと思うとは、口が裂けても言えそうになかった。
ちなみに。白藍のくれた箱の中身は、高級煎餅だった。誰もいない自分の部屋で、何とも言えない表情を浮かべたキイトであった。




