第九話 物怪の出ないはずの街で、刀を振るうことになりました
雲ひとつない秋晴れの空の下、朝靄が残る皇家の屋敷の前で、当主の頼真に見送られながら汐恩たちは足を踏み出した。
「汐恩殿、我が息子の燈真をよろしく頼むよ。それと、重ねて言うがくれぐれも街を倒壊させないでおくれ」
「は~い、大丈夫ですよ。壊しても半分くらいにとどめておきます」
「半分でも困るんだがね・・・」
頼真は苦笑いを浮かべつつも、温かな眼差しで一行を見送ってくれた。
こうして、汐恩、燈真、そして白狐の姿をした土地神コノハによる、南の遊郭街を目指す旅が始まったのである。
街道を進みながら、汐恩はふと思いついた疑問を隣の燈真にぶつけてみた。
「ねぇ、燈真。南の『遊郭街』って、どんなところなの? 正直あんまりイメージ湧かないんだけど」
燈真は腰の刀を揺らしながら、分かりやすく噛み砕いて説明を始める。
「一言で言えば、不夜城・・・夜を徹して歌舞音曲や酒、華やかな芸ごとを楽しむ大歓楽街だな。全国から商人や旅人が集まり、毎夜膨大なお金と情報が行き交っている。今回探している『界渡りの鏡』のような希少な古美術品や珍品の情報も、あの街の裏社会や情報屋を通じて集まりやすいんだ」
「へぇ〜、お祭りみたいな街なんだね。じゃあさ、そういう人がたくさん集まる場所って、昨日の蜘蛛みたいな物怪もいっぱい出たりするの?」
「いや、それが『遊郭街』では物怪が出たという話はあまり聞いたことがないんだ・・・」
燈真が顎に手を当てて首をひねると、汐恩の肩の上で毛並みを整えていたコノハが、鼻を鳴らして会話に入ってきた。
『ふふん、それはな、あそこが少々特殊な土地だからじゃ。あの街全体には古くから強い結界と、遊郭の元締めたちが張り巡らせた大層な護符が施されておってな。妖気を嫌う物怪の類は、まず近寄ることすらできんのじゃよ』
「へぇ、安全なお店街ってわけだ。じゃあ安心して観光できるね!」
「観光ではないと言っているだろう・・・」
呆れる燈真を余所に、汐恩は「ご当地の美味しい食べ物」に思いを馳せながら、るんるん気分で足を前へと進めた。
♢
道中で何度か茶屋に立ち寄り、団子や茶を楽しみながら歩くこと数時間。
空が茜色から濃い群青色へと移り変わり、ぽつぽつと街灯りに火が灯る頃、一行は目指す『遊郭街』の入り口へと辿り着いた。
大門をくぐった瞬間に広がったのは、異次元のような絢爛豪華な光景だった。
朱塗りの楼閣が立ち並び、軒先には色鮮やかな提灯がどこまでも連なっている。三味線の涼やかな音色と賑やかな客たちの笑い声が風に乗って運ばれ、香水の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「うわぁ・・・すごい! まるでタイムスリップしたみたい!」
「言ったろう、ここは夜こそが本番の街だと。だが汐恩、まずは腹ごしらえだ。聞き込みをするにも、空腹では頭が回らない」
『異議なしじゃ! 妾は甘くてジューシーな油揚げが食べたいぞ!』
灯りに誘われるようにして入った大衆食堂で、汐恩は名物の煮込み料理や串焼きを、コノハは特注の厚揚げを心ゆくまで堪能した。
満腹になって幸せそうな息を漏らす汐恩に、燈真が呆れたように笑う。
「さて・・・満足したところで、そろそろ本題に入ろう。店主に少し話を聞いて――」
燈真が言葉を言い終えるより早く、店の外から金切声のような叫び声が響き渡った。
『きゃああああああっ!! 助けて、誰か!!』
「なんの音だ!?それに今の叫び声は・・・!?」
尋常ではない悲鳴に、燈真と汐恩は弾かれたように店を飛び出した。
華やかな大通りから一歩外れた、暗い路地裏。
そこには、艶やかな桃色の振袖を身に纏った一人の舞妓が立ちすくんでいた。その目の前には――ぬらぬらと湿った漆黒の皮膚を持ち、いくつもの不気味な目が蠢く、巨大な百足のような物怪が鎌を持ち上げて覆いかぶさろうとしていたのだ。
『ヒヒ・・・美味ソウナ生キ血ダ・・・!』
「なっ・・・なぜこんな場所に物怪が!? 結界はどうした!?」
燈真が目を見開く。物怪が寄り付かないはずの遊郭街に、なぜこれほど禍々しい異形が存在するのか。
だが、理由を考えている暇はなかった。百足の鋭い鎌が、怯えて動けない舞妓の首元へと振り下ろされる。
「燈真、しゃがんで!」
鋭い声と共に、汐恩の手が燈真の腰に挿されていた差す刀の柄へと伸びた。
シャリィン、と澄んだ金属音が夜の闇に響く。
汐恩は一瞬で舞妓と物怪の間に割り込むと、抜刀の勢いをそのまま殺さず、鋭い一閃を横薙ぎに振り抜いた。
ガキィィンッ!!
「グオッ!?」
鉄よりも硬い物怪の外殻と刃がぶつかり合い、激しい火花が散る。
普通の人間であれば腕が痺れて刀を弾き飛ばされるほどの衝撃だが、汐恩は眉一つ動かさず、圧倒的な腕力で強引に物怪の鎌を押し返してみせた。
「燈真、サポートお願い!」
「任せろ! ――『急々如律令! 縛の縄!』」
燈真が素早く懐から取り出した呪符を投げつけると、符は青白い光の縄へと変化し、暴れる百足の巨体をぐっと締め上げた。
『グガッ・・・体が・・・動かん・・・!?』
「ナイス、燈真!」
一瞬の隙を見逃さず、汐恩は深く踏み込んだ。
元の世界では習ったことすらない剣術。しかし、体内に眠る鬼の血と、圧倒的な身体能力が、体に最も効率的な「斬撃の軌道」を教え込んでいた。
刀身に、うっすらと赤い妖気が揺らめく。
「――【鬼神・紅蓮一閃】!!」
鋭い掛け声とともに繰り出された一閃は、百足の巨体を十文字に深く切り裂いた。
叫び声をあげる暇すら与えず、物怪は黒い煙となって夜風の中に消え去っていく。
刀についた汚れを軽く払い、サッと鞘に納める汐恩。その動作には、女子高生とは思えないほどの洗練された美しさがあった。
「ふぅ・・・間一髪。怪我はない? お姉さん」
汐恩が優しく手を差し伸べると、腰を抜かしていた舞妓は、目を丸くして汐恩を見つめた。
白粉を塗った綺麗な顔を赤く染め、差し出された手を震えながら握り締める。
「あ・・・ありがとうございます・・・! 命の恩人様ですわ・・・!」
「いやぁ、無事でよかったよ。でも、どうしてこんな所に物怪が?」
「わかりません・・・急に物陰から襲われて・・・。あの、お礼をさせてください! 私、こちらの『花菱楼』というお店で舞妓をしております、千代菊と申します」
千代菊と名乗った舞妓は、丁寧に頭を下げると、真剣な眼差しで二人を見つめた。
「私の小さなお座敷ですが、どうか美味しいお酒とお食事でもてなさわせてください。・・・それに、お二人のお探しのものについて、何か力になれるかもしれませんわ」
「え?」
燈真が反応する。
「あなた方が『珍しいもの』を探していることを偶然耳にしたので・・・」
どうやら、食堂での会話をどこかで聞いていたらしい。
汐恩と燈真は顔を見合わせた。結界を破って現れた物怪の謎、そして『界渡りの鏡』の手がかり。この舞妓との出会いは、決して偶然ではないような気がした。
「よし、行ってみよう! お座敷遊びってやつ、一回やってみたかったんだよね!」
『おぉ! 美味い料理がまた食べられるのかのう!?』
「はぁ・・・また君たちは緊張感がない・・・」
燈真はため息をつきつつも、どこか嬉しそうに微笑むと、千代菊の案内に従って華やかな楼閣の奥へと足を進めるのだった。




