第十話 お座敷遊びを満喫していたら、街の裏事情に詳しくなりました
千代菊の案内に続いて足を踏み入れた『花菱楼』は、外の賑やかさを忘れるほど静謐で、絢爛豪華な趣に包まれていた。
通されたお座敷には、漆塗りの美しい膳がずらりと並べられている。
「うわぁ・・・! これ、全部食べていいの!?」
目に飛び込んできたのは、季節の刺身に香ばしい焼き魚、色鮮やかな京風の煮物に、ほかほかの炊き込みご飯。まさに山海の幸が集結したような豪華絢爛な料理の数々だった。
『おぉぉっ! 妾の油揚げも特大サイズじゃ! 狐生最高の瞬間かもしれん!』
汐恩とコノハは目を輝かせると、いただく前の挨拶もそこそこに一目散に料理へと飛びついた。
「ん〜〜っ! 美味しい! このお魚、口の中で溶けるよ!」
『この油揚げの出汁の染み込み具合・・・至高じゃ、至高の味わいじゃぞ!』
箸を止めることなく次々と料理を平らげていく一人と一匹。その旺盛すぎる食欲を、千代菊は口元に手を当てて「ふふっ」と楽しそうに微笑みながら見守っていた。
一方で、そんな二人から少し離れた席に座る燈真は、出されたお茶に一口だけ口をつけ、深く深呼吸をした。
「・・・君たちな。命を助けたお礼とはいえ、もう少し遠慮というものを覚えてはどうだ?」
「え~? だって千代菊さんが『たくさん召し上がってください』って言ってくれたもんね?」
「そうですわ、燈真様。命の恩人様方のお腹を満たすことくらい、私どもの感謝の気持ちに比べれば小さなことですもの」
千代菊の後押しを得て、汐恩はドヤ顔で胸を張る。燈真は頭を抱え、重いため息を漏らすしかなかった。
♢
お腹が十分に満たされると、千代菊が「では、少しお座敷遊びでもいたしましょうか」と提案してくれた。
運ばれてきたのは、小さな太鼓と扇子。
ルールは簡単で、唄に合わせて交互に太鼓を叩き、唄が止まった瞬間に扇子を先に開いて開いた方が勝ち、という『とらとら』や『金毘羅船々』に似た伝統的な遊びだ。
「よしっ、私負けないからね!」
『妾の俊敏さを見せてやるのじゃ!』
しかし、いざ遊びが始まると、汐恩の規格外の反射神経が遺憾なく発揮されてしまった。
「ぽん、ぽん、ぽん・・・はいっ!」
千代菊が拍子を止めた瞬間、汐恩の手が残像を描くほどの速度で動く。パッと扇子が開いた時には、千代菊はまだ手に触れることすらできていなかった。
「あ、あら・・・? 早すぎますわ、汐恩様・・・!」
「ふふん! 運動神経には自信があるんだよね!」
『次は妾の番じゃ! ・・・ぬぁぁっ! 扇子が開けん! 手が短くて届かんのじゃー!』
「コノハ様、それは物理的な問題だよ・・・」
転がり回るコノハを見て、お座敷の中は大きな笑い声に包まれた。
最初は緊張していた千代菊も、汐恩たちの無邪気で気取らない雰囲気にすっかり毒気を抜かれたようで、心から楽しそうに鈴を転がすような声で笑っている。
そんな賑やかな光景を、燈真は呆れ半分、安心感半分といった表情で見つめていた。
(・・・まあ、汐恩が楽しそうならそれでいいか。だが・・・)
燈真の鋭い瞳が、ふと真面目な色を帯びる。宴もひと段落し、お茶を煎じ直したタイミングで、燈真は静かに口を開いた。
「千代菊さん。楽しい時間の途中で野暮を言って申し訳ないが、本題に入らせてほしい」
静かな燈真の声に、汐恩とコノハも姿勢を正した。
「先ほど助けた時、君は『あなた方が探しているものについて力になれるかもしれない』と言っていたね。僕たちはある『古びた鏡の破片』を探しているんだが・・・」
「はい。そのことですが・・・」
千代菊の表情から笑みが消え、少し陰りのある真剣な面持ちへと変わった。
「実は、ここ半月ほどの間、この遊郭街の地下や裏路地で『不気味な光を放つ紫色の石の噂』が囁かれておりますの」
「紫色の石・・・!?」
汐恩と燈真は思わず顔を見合わせた。まさに、神社の地下穴で見つけた、あの吸霊装置の結晶と同じ色だ。
「えぇ。何でも、その石を手に入れたお店は急に客足が伸び、商売繁盛するのだとか・・・。ですが、その石を買ったとされる楼閣の遊女や店主たちが、最近次々と体調を崩して寝込んでいるそうなのです」
『ふむ・・・間違いないのう。土地の霊気や人の生気を吸い上げる、あの禍々しい呪具の類じゃ』
コノハが真顔で頷く。千代菊はさらに言葉を続けた。
「そして・・・先ほど私を襲ったあの物怪です。この遊郭街には代々強い結界が張られており、物怪など入ってこられないはずでした。ですが、あの紫色の石が市中に出回ってからというもの、結界の力が弱まり、路地裏で妙な影を見たという噂が絶えなくなったのです」
「なるほど・・・。誰かが意図的に『界渡りの鏡の破片』を組み込んだ呪具を街中にばら撒き、結界を内側から破壊しようとしているんだな」
燈真が悔しそうに拳を握りしめる。
「その石がどこから出回っているのか、心当たりはあるかい?」
「はい。噂では・・・この街の裏社会を仕切る情報屋であり、美術品商でもある『黒鵺』という男の館から流れていると聞きますわ」
「黒鵺・・・」
ついに浮かび上がった、事件の鍵となる人物の存在。
汐恩は着物の袖をまくり上げると、よしっとばかりに立ち上がった。
「よーし、場所が分かったなら話は早いね! その黒鵺ってやつのところに行って、鏡の破片をサクッと回収してこよう!」
「待て汐恩、相手は裏社会の人間だ。罠が仕掛けられている可能性が高い。慎重に作戦を立てて――」
「大丈夫だって! 罠ごとまとめてドカンと吹き飛ばせば解決でしょ?」
「・・・だから君というやつは・・・」
頭をかかえる燈真だったが、その唇にはどこか覚悟を決めたような笑みが浮かんでいた。
「千代菊さん、貴重な情報をありがとう。この街の異変は、僕たちが必ず解決してみせる」
「お二人とも、コノハ様も・・・どうかご無事で。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
千代菊に見送られ、花菱楼を後にした三人。
華やかな提灯の光が届かない、闇の深い裏通りへと足を踏み入れながら、汐恩の胸には新たな冒険への高鳴りが満ちていた。




