第二十九話 神域の試練と、龍の爪痕です
【黒凍の極地】を目指すにあたり、一行はまず北方の霊峰の頂きを目指していた。
そこに広がるのは、人知を拒む神秘の秘境――【蒼龍の湖】である。
「ねぇ燈真、本当にこんな山奥に龍神様なんて生息してるの?」
足足の悪い岩場をヒラリと飛び越えながら、汐恩が尋ねる。
極地へと向かう前に、燈真の父・頼真から教わった「過酷な極寒と闇を払う唯一の術」・・・それこそが、古より伝わる龍神の加護を賜ることだった。
「あぁ。龍神様はかつて皇家の先祖と共に邪神を封じたと言われる大精霊だ。・・・ただ、人間に簡単に力を貸してくれるような気さくな性格ではないらしい」
『ぬぅ・・・妾とて古い知り合いではあるが、あの頑固な青トカゲめ、昔から融通が利かんからのう』
コノハが苦笑いを浮かべながら九尾の尾を揺らす。
やがて急な坂道を登り切ると、視界が一気に開けた。
目の前に現れたのは、鏡のように澄み渡る蒼碧色の巨大な湖。その水面からは、触れるだけで魂が洗われるような清烈な神気が立ち上っていた。
「綺麗・・・こんな場所があったんだ」
汐恩が感嘆の息を吐いた瞬間――ドォンッ!! と湖の底から激しい地鳴りが轟いた。
静かだった水面が大きく隆起し、白波を立てて巨大な水柱が天へと突き抜ける。
その飛沫の中から姿を現したのは、全身を鮮やかな青銀の鱗で覆い、威厳に満ちた金色の瞳を光らせる巨大な神獣――【蒼龍神】であった。
『・・・我がおかした神域に足を踏み入れる不躾な人間ども、そして・・・久しいな、稲荷の狐よ』
山鳴りのような重低音が空気を震わせる。
コノハは一歩前へ出ると、八重歯を見せて堂々と胸を張った。
『久しぶりじゃな、青トカゲ! 相変わらずお堅い顔をしおってからに! 今日は挨拶に来たのではない、おぬしの力を借りに来たのじゃ!』
『・・・相変わらず口の減らん狐だ。・・・して、我が力を求めるとは、世界の均衡が崩れかけておる証か』
龍神の巨躯が宙を舞い、三人の頭上でとどまる。その視線が、静かに汐恩へと注がれた。
『異世界の鬼よ。おまえの中に渦巻く力・・・一度は折れ、そして再び立ち上がった『刃』の気配を感じる』
「・・・分かっちゃうんだ。さすが龍神様だね」
汐恩は気圧されることなく、愛刀の柄に手を添えて龍神の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「私たちはこれから【黒凍の極地】へ行って、常闇の王を倒さなきゃいけないの。・・・そのために、あなたの力を貸してほしい」
『くくく・・・威勢が良いな。だが、常闇の闇は生半可な覚悟で払えるものではない。おまえたちに我が威光を預けるに値する『器』があるか・・・試させてもらうぞ!』
龍神が咆哮をあげると同時に、湖の水が巨大な刃となって三人へ襲いかかった。
「試練ってわけね・・・望むところだよ!」
汐恩の瞳に気合の火が灯る。
かつての彼女なら、龍神の圧迫感に怯んでいたかもしれない。だが、敗北の悔しさも、仲間の温かさも知った今の汐恩に、恐れはなかった。
「燈真! コノハ様!」
「了解だ! 『急々如律令! 水除の加護符!』」
『妾の神力で水刃を散らすぞ! 【狐火・清廉】っ!』
燈真の符とコノハの炎が龍神の放った濁流を綺麗に相殺する。
激しい水蒸気が舞い散る中、汐恩は一直線に龍神の胸元へと跳躍した。
水面を蹴り、風を切り、極限まで無駄を削ぎ落とした神速の飛翔。
刃を抜くのではない。ただ自らの覚悟と覚醒した紫の雷光を、龍神の目の前に提示してみせたのだ。
「私の刀は、もう自分のためだけに振るんじゃない・・・! 大切な仲間と、二つの世界を護るために振るんだっ!」
バチチチッ・・・!!
汐恩の刃から放たれた紫雷が、龍神の青銀の鱗に優しく触れ、弾けた。
「――【雷炎双破・九字紅蓮】っ!」
それは攻撃ではなく、自らの魂の強さを証明する力強い誓いの一撃であった。
静寂が戻る。
龍神は巨大な身体をくねらせると、満足そうに目を細めて低く笑った。
『・・・見事だ。力に溺れず、仲間を信じ、己の誇りを貫く覚悟・・・しかと受け取った』
龍神の長い髭から、まばゆい青金の光を放つ小さな宝珠――【龍神の鱗珠】が舞い降り、汐恩の手のひらへと収まった。
『我が鱗珠はお前の紫雷と同調し、極地の極寒を退ける【蒼龍の護光】となるだろう。・・・ゆくがよい、希望を繋ぐ者たちよ。常闇の邪神を討ち払い、二つの世界に光を取り戻すのだ』
龍神は清らかな水飛沫を残し、再び静かに湖の底へと姿を消していった。
「やった・・・! 龍神様の加護を手に入れたよ!」
汐恩が宝珠を抱えて振り返ると、燈真とコノハが誇らしげな笑顔で駆け寄ってきた。
「すごいぞ、汐恩! 龍神様に認められるなんて、歴代の陰陽師でも滅多にないことだ!」
『ふふん、見直したぞ汐恩! これで黒凍の極地の猛吹雪も恐るるに足りん!』
手のひらで温かく輝く龍神の宝珠。
それは、敗北を乗り越え、真の強さを手に入れた汐恩たちへの最高の報酬であった。
「みんな、ありがとう。・・・さあ、行こう! 最後の決戦の地へ!」
蒼龍の湖を後にし、三人はついに最北の果て【黒凍の極地】へと足を踏み出す。
すべての因縁に決着をつけ、世界を救うための最終決戦が、いよいよ始まろうとしていた。




