第十六話 極寒の山を降り、次は迷いの樹海を目指します
山頂での過酷な激闘から一夜が明け、極月山の朝は澄み渡るような青空に恵まれていた。
猛烈に吹き荒れていた吹雪もすっかりと止み、朝日に照らされた白銀の崖がキラキラと眩しく輝いている。
「ふぁ・・・よく寝た。やっぱり温かいお布団と室内は最高だね」
汐恩は大きくあくびをしながら長身を伸ばし、山伏の庵の縁側で体をほぐした。
防寒具の襟を少し寛がせ、腰の刀のポジションを確かめる手つきはどこまでも軽い。
『うむ! 妖力もすっかり回復したのじゃ! やはり畳の上で丸くなるのに限るのう』
コノハが満足そうにふさふさの尾を揺らし、汐恩の肩へとひらりと飛び乗る。
そこへ、整えられた身なりで燈真と、修験者の烏天が室内から歩み出てきた。
「本当に何から何までお世話になったな、烏天殿。山頂の封印の維持も引き受けていただき、重ねて感謝する」
「気にするな、燈真殿。山の平穏を取り戻してくれたのは君たちだ。・・・汐恩殿も、あの氷獄獣を相手に一歩も引かぬ見事な戦いぶりだった」
烏天が感心したように頷くと、汐恩は肩をすくめて口角を軽く上げた。
「ん~、まぁあんな大きな氷の塊、一刀両断する以外に方法もないしね。・・・それより烏天さん、美味しい干し肉ありがとね」
「ハハハ、気に入ってくれたなら何よりだ。道中の糧として多めに包んでおいたから持っていくといい」
どこかぶっきらぼうながらも礼を言う汐恩に、烏天は豪快に笑ってみせた。
「さて・・・これ以上引き留めるのも野暮というものだな。君たちの目指す道に、山の風の加護があらんことを」
「感謝します。それでは、僕たちはこれで失礼する」
「じゃあね、烏天さん。山が荒れたらまた呼んでよ、助けに来るから」
どこまでも飄々と言い残し、汐恩は真っ先に足を踏み出した。
名残惜しそうに何度も振り返る燈真とコノハを従え、三人は白銀に染まる霊峰をスムーズに下り始めていく。
♢
山を下り、雪解け水が流れる麓の街道へとたどり着いた頃には、すっかり冷え込みも和らいでいた。
汐恩たちは木陰の岩場に腰を下ろし、ここで回収したばかりの破片を取り出すことにした。
「よし、汐恩。手持ちの破片を並べてみてくれ」
「はいはい」
汐恩は懐から、これまで手に入れた三つの『界渡りの鏡の破片』を取り出し、平らな岩の上に並べた。
第一の破片、第二の破片、そして先ほど極月山で回収した第三の破片。
三つの結晶が互いに近づいた瞬間、カァッと眩い光が放たれた。
桜色、紫色、そして深みのある藍色が混ざり合い、幾重もの神気の波動が同心円状に広がっていく。
「おぉ・・・! 三つの破片が引き合い、一つの大きな結晶の形を形作り始めているぞ!」
燈真が息をのむ。破片同士は吸い寄せられるように結合し、まるで最初からそうであったかのように隙間なく合体していった。
『うむ・・・神気の戻り方が段違いじゃ! これなら、元の世界への歪みを探すのもそう遠くはないかもしれんぞ!』
コノハが嬉しそうに声を弾ませる。
汐恩は岩の上に鎮座する結晶を手に取り、掌の上で軽く転がした。その瞳には、いつもと変わらぬ冷静さと、どこか微かな熱が宿っている。
「へぇ・・・ずっしり重くなってきたね。・・・で、コノハ様。四つ目の破片の居場所はわかる?」
『任せるのじゃ! 妾に、探せぬものなどないわ!』
コノハは胸を張り、両前脚を宙にかざして静かに目を閉じた。
『・・・集いし鏡の導きよ、次なる試練の地を示せ・・・【稲荷のちいさな導き】っ!』
ポッと現れた桜色の狐火が、これまでにないほど強く明るい光を放つ。
その光の矢が指し示したのは、北の雪山とは真逆――東の空へと続く、深く湿った方角だった。
『・・・むむっ!? これは・・・なんと不気味で濃密な生の気配・・・!』
コノハが目を開け、少しだけ耳を伏せた。
「どこを指してるんだ?」
『東の果て・・・陽光すら届かぬほどに樹木が立ち込み、古代から足を踏み入れることを拒んできた迷いの森・・・【常闇の樹海】じゃ!』
「常闇の樹海・・・あそこか」
燈真が神妙な面持ちで顎に手を当てた。
「噂には聞いたことがある。一度足を踏み入れれば方位磁石も狂い、空間そのものが歪んで永久に彷徨い続けると言われる魔の森だ。強力な植物系の物怪や、幻惑を操る妖の巣窟としても知られている」
「へぇ・・・雪山の次は、鬱蒼としたジャングルってわけね」
汐恩は短く息を吐くと、刀の柄をトントンと指で叩いた。
道に迷うのも、視界が悪いのも面倒なことには変わりない。だが、汐恩の表情に恐れや躊躇の色は一切なかった。
「迷いの森だろうがなんだろうが、木ごと切って進めば迷いようもないでしょ」
「いや汐恩、樹海ごと切り拓いて進むのは環境的にまずいし、僕たちの体力的にも勘弁してくれ・・・」
燈真が困り顔で苦笑いを浮かべる。
しかし、汐恩のその圧倒的なまでの余裕と強者感が、これから向かう危険な地への不安を一瞬で吹き飛ばしてくれるのも確かだった。
「まぁ、道案内はコノハ様に任せるとして。サクッと四つ目の破片も回収して帰る準備を進めますか」
『うむ! 妾の鼻と導きの術があれば、どんな樹海も怖くはないぞ!』
「頼りにしてるよ。・・・それじゃ、行こうか」
汐恩は立ち上がり、くるりと背を向けて東の街道へと歩き出した。
雪山を制し、次なる舞台は神秘と幻惑が渦巻く深遠なる樹海。
進路調査票は白紙のまま、最強の女子高生・汐恩の異世界無双旅は、更なる深部へと加速していくのだった




