第十三話 猛吹雪の霊峰で、修験者と出会いました
南の賑やかな遊郭街を後にしてから数日。
北へ進むにつれて街道の青緑は姿を消し、一行の視界を覆うのは見渡す限りの白い雪と、鋭くそびえ立つ氷の岩肌ばかりとなっていた。
辿り着いたのは、修験の山として恐れられる極寒の霊峰『極月山』。
麓から見上げる山頂は分厚い暗雲に覆われ、耳を刺すような寒風が四方から吹き荒れている。
「う~・・・寒い。寒すぎるんだけど。南の街との寒暖差で風邪ひきそう・・・」
汐恩はモコモコとした厚手の防寒具に身を包み、着物の裾を叩きながら顔をひそめた。
いつもの飄々とした態度こそ崩していないものの、寒さばかりはチートな身体能力でもいかんともしがたいらしい。
『ひぃぁぁッ! 妾の美毛が氷漬けになってしまうのじゃ〜! 燈真、懐に入れさせろ~!』
「こらコノハ様、暴れないでくれ。僕の襟元から入ろうとするんじゃない」
寒さに震えるコノハを胸元に押し込みながら、燈真が足元の積雪を踏みしめる。
「ここからは気を引き締めろ。極月山は単に気候が厳しいだけじゃない。古くから強力な氷の獣が封印されている場所だ。万が一にも遭遇すれば――」
「はいはい、分かってるって。ちゃちゃっと登って破片を見つけて、温かいお風呂に入ろう」
汐恩は刀の柄に手を伸ばし、視線を上に向けた。吐き出す白い息が、一瞬で凍りついて風に舞う。
♢
吹雪の中、急勾配の崖道を登ること小一時間。
突如として、山全体を揺るがすような地鳴りと共に、禍々しい氷の霊気が吹雪を切り裂いて吹き荒れた。
『グオオオオオオオッ!!』
耳を聾する咆哮と共に現れたのは、巨大な氷の結晶で全身を覆われた、見上げるような体躯の妖――【氷獄獣】であった。
鋭い氷柱のような爪と牙を持ち、その体からは周囲のあらゆるものを瞬間凍結させるほどの冷気が放たれている。
「なっ・・・!? 封印が・・・解けているだと!?」
燈真が驚愕の声をあげる。どうやら『界渡りの鏡の破片』がもたらした異変により、古の封印が破れてしまったらしい。
「封印だろうが何だろうが、邪魔なら斬るだけ!」
汐恩は身を躍らせ、一気に間合いを詰めようとした。・・・しかし。
「くっ・・・!?」
ズルッと足元が滑り、踏み込みが鈍る。
足場は滑りやすい氷の崖。さらに、氷獄獣が放つ極冷の吹雪が視界を奪い、凍てつく風が全身の自由を奪っていく。
普段なら光速で繰り出せる一閃も、この極寒と足場の悪さの前では威力が半減してしまうのだ。
「汐恩、危ない!」
足をとられた汐恩に向け、氷獄獣の巨大な氷の爪が振り下ろされる。
燈真が急ぎ呪符を投げようとするも、かじかんだ指先では印を結ぶ速さがわずかに遅れる。
(チッ・・・動きづらい・・・!)
汐恩が横跳びに避けるも、体勢を崩した極限のピンチ。
その時――頭上から凛とした力強い男の声が響き渡った。
『——不敬なり、山を乱す異形め!』
ガキィィンッ!!
空を切って降り立った影が、錫杖を一閃させ、氷獄獣の巨爪を鋭く弾き返した。
「なっ・・・誰だ!?」
降り立ったのは、頭に兜巾を戴き、漆黒の山伏衣装を身に纏った一人の青年だった。
背には羽のようにしなやかな漆黒の羽織を羽織り、眼光は鷲のように鋭い。修験者――【烏天】である。
「怪我はないか、旅の者ども! 山の風を味方につけぬまま、この異形と戦うのは無謀だ!」
烏天が手に持つ錫杖を地面に突くと、彼の背後から数頭の巨大な霊狼――山の使い魔たちが唸り声を上げて飛び出してきた。
『ガアアッ!!』
使い魔の狼たちが素早い動きで氷獄獣の周囲を駆け回り、鋭い牙で氷の外殻を打ち砕いていく。
さらに烏天自身も、山の風を操る術で吹雪の勢いを和らげ、汐恩たちの周囲の足場を固めて見せた。
「助かったよ! あんた、なかなかやるじゃん」
体勢を立て直した汐恩は、唇の端を軽く持ち上げて不敵に笑う。足場と視界が確保されたのなら、苦戦する理由はもうどこにもない。
「燈真! あの人のアシストに合わせて一気に行くよ!」
「承知した! ――『急々如律令! 風破の符!』」
燈真が放った符が風の刃となり、氷獄獣の残りの足場を砕く。使い魔の狼たちに惑わされ、完全に隙を見せた氷獄獣へ向け、汐恩は一蹴りで氷の崖を駆け上がった。
「邪魔なんだよ・・・消えな!―― 影牙・朧一閃!!」
鋭い一閃が、氷獄獣のコアである胸元の結晶を正確に撃ち抜いた。
ガシャアンッ! という豪快な音と共に、巨大な氷の獣は粉々に砕け散り、吹雪の彼方へと消えていったのだった。
♢
「ほう・・・見事な太刀筋だ。まさかこれほどの腕利きが山を登ってくるとはな」
刀を鞘に収める汐恩を見つめ、烏天は感心したように頷いた。
「私はこの極月山を護る修験者、烏天。・・・して、このような極寒の地に何をしに来たのだ?」
「僕は皇燈真。こちらが香月汐恩、そして、土地神のコノハ様だ。助けてくれて感謝する、烏天殿」
「礼には及ばん。・・・して、このような極寒の地に何をしに来たのだ?」
汐恩は防寒具の首元を少し緩め、飄々とした調子で答えた。
「ちょっと探し物があってね。『界渡りの鏡の破片』っていう、怪しい光を出す石なんだけど・・・知ってる?」
その言葉を聞いた瞬間、烏天の表情がわずかに強張った。
「・・・なるほど。あの方の放った刺客かと思ったが、どうやら違うようだな。・・・ついて来なさい。山頂の奥にある私の庵へ案内しよう。そこで話を聴こうじゃないか」
烏天は翻すと、吹雪の先へと歩き出した。
汐恩と燈真、そしてコノハは顔を見合わせ、その力強い背中に続いて足を進めるのだった。




