第五十七話 北境の春祭り
北境の春祭りは、雪解けを祝う祭りだ。
冬を越えたこと。
食料が尽きなかったこと。
井戸が凍らなかったこと。
眠れる夜があったこと。
魔獣から村を守れたこと。
それらを全部まとめて祝う。
今年の春祭りは、特別だった。
大寒波を死者なしで乗り越え、エルダ記憶日を始め、黒森監視所を再整備し、家守制度の試験区として成果を出した。村人たちも、兵士たちも、砦の精霊たちも、祭りを楽しみにしていた。
中庭には屋台が並んだ。
豆の煮込み、焼きパン、蜂蜜菓子、干し肉の串焼き、温かい果実湯。パン窯と竈の火加減交流会の成果で、料理の種類が増えている。
ルカとミナは、見習い屋台を任された。
焼き菓子を配りながら、避難訓練の案内もする。
「甘いの食べたら、避難路も覚えて」
ルカの売り文句は少し硬い。
ミナが横から言う。
「食堂まで来たら、また甘いのあるよ!」
その方が子どもたちには効いた。
ロイド副長は、足音改善講座を祭りの余興にされていた。
「副長の静かな歩き方講座」
本人は不満そうだったが、子どもたちには人気だった。
セリナ様は医療屋台で火傷と擦り傷の手当てをしている。白い聖女ではなく、灰色先生としてすっかり馴染んでいた。
マリア女王からは祝辞が届き、セドリック殿下からは王宮パン窯製の祝いパンが届いた。
グレンは祭りの警備をしながら、時々わたしのところへ来る。
「休んでいるか」
「今日は祭りです」
「祭りでも休養は必要だ」
「寝台の回し者ですか」
「同盟関係にある」
彼は真面目に言った。
わたしは笑った。
春祭りの夕方、砦の門の前で小さな儀式が行われた。
冬の間に砦を支えた精霊たちへ、村人と兵士が礼を言う儀式だ。
もちろん、ほとんどの人には精霊は見えない。
けれど、見えなくても礼を言う。
火へ。
水へ。
寝台へ。
扉へ。
食堂へ。
井戸へ。
倉庫へ。
長椅子へ。
それは、迷信ではなく習慣になり始めていた。
村の老人が言った。
「昔は、こういう礼をもっと言っていた気がする」
別の人が頷く。
「便利になるうちに、忘れたのかもしれない」
家守制度は、新しい制度でありながら、古い感覚を取り戻すものでもあった。
夜、祭りの最後に、門の子が鐘を鳴らした。
からん。
エルダ村の鐘、灯りの家の玄関鐘、王宮の大扉、黒森監視所の古い鐘。
それぞれの音が、遠くで応えるように感じた。
家と家がつながっている。
その中心にいるのではなく、その輪の一部として立っていることが、わたしは嬉しかった。
グレンが隣で言った。
「ミリア」
「はい」
「この祭りを、来年も見たい」
「見られます」
「再来年も」
「はい」
「その先も」
わたしは彼を見た。
黒い髪に、祭りの灯りが映っている。
「一緒に見ましょう」
そう答えると、彼は静かに微笑んだ。
春の風が吹く。
食堂からパンの匂いが流れてくる。
火守りが袖の中で眠そうに丸まっている。
わたしは、この瞬間を記録に残したいと思った。
日時、場所、天候、参加者。
そして所見欄には、こう書く。
家は温かく、人は笑い、精霊たちはよく働き、よく休んでいた。




