第五十一話 ハーシェル伯爵家には、境界線を引きます
結婚後、ハーシェル伯爵家から正式な訪問依頼が届いた。
父、母、兄が北境へ来たいという。
結婚式には参列したが、彼らはどこか居心地悪そうだった。王都式の華やかな披露宴ではなく、砦の食堂で兵士や精霊たちと同じパンを食べる式は、彼らの想像と違っていたのだろう。
訪問の目的は、親族としての挨拶。
そして、ハーシェル家の事業に家守制度の名を使わせてほしいという相談だった。
「断ってよい」
グレンは手紙を読んで言った。
「はい。でも、一度話します」
「つらいなら、私が同席する」
「同席してください」
迷わず頼めるようになったことに、自分で少し驚く。
訪問当日、ハーシェル伯爵家の馬車は砦の正門前で止まった。
父は相変わらず貴族らしい姿勢で、母は北境の寒さに不満そうだった。兄は周囲を値踏みするように見ている。
「ミリア、久しいな」
「お父様」
「立派になった。家守代表とは、我が家の誇りだ」
その言葉に、胸の奥が少し冷えた。
王宮でわたしの仕事が笑われていた頃、父は何も言わなかった。婚約破棄された直後も、王家の顔色をうかがっていた。
誇り。
都合のいい言葉だ。
応接室で、父は早速本題に入った。
「ハーシェル家は古くから管理業に関わってきた。そこで、王国の家守制度に合わせ、認定事業を始めたい。ミリアの名を顧問として使えば、信用も得られるだろう」
「具体的な業務内容は」
「屋敷や倉庫の点検、修繕手配、使用人教育などだ。もちろん、実務は家の者に任せる。お前は名を貸せばよい」
「お断りします」
即答した。
父の顔が固まる。
「まだ詳細も」
「名義貸しはしません。家守制度は、実務と記録と責任が伴います。わたしの名を使うなら、基準を満たし、監査を受け、問題があれば責任を取っていただきます」
兄が不快そうに言った。
「家族に対して、ずいぶん他人行儀だな」
「仕事ですので」
「お前は昔から細かすぎる。もう少し柔軟に」
グレンの気配が冷えた。
わたしは自分で答える。
「柔軟という言葉で、責任を曖昧にするのはやめてください」
母がため息をつく。
「ミリア、あなたは結婚しても可愛げがないのね」
「可愛げは契約項目に入っておりません」
グレンが横で小さく咳をした。
この返しは、もはや定番になりつつある。
父は不機嫌そうに眉を寄せた。
「親に向かって」
「お父様。わたしは、ハーシェル家を攻撃したいわけではありません。ただ、境界線を引きます。家族であることと、仕事の責任は別です」
前世でも、身内だから、知り合いだから、少しだけだから、という言葉で仕事を曖昧にされることがあった。
曖昧な仕事は、最後に誰かを傷つける。
「家守事業を本気で行うなら、灯りの家で講習を受けてください。基準を満たせば、認定を検討します。満たさなければ認めません」
兄は顔を赤くした。
「妹に講習を受けろと?」
「はい」
「馬鹿にしているのか」
「いいえ。仕事を馬鹿にしていないだけです」
沈黙。
父は長くわたしを見た。
昔のわたしなら、ここで折れていたかもしれない。
家族に嫌われたくない。
面倒を起こしたくない。
そう思って、自分の境界線を下げていた。
でも今は違う。
嫌なことは嫌と、好きなことは好きと言う。
わたしは、それを決めたのだ。
結局、父は不満そうながらも講習参加を検討すると言った。兄は最後まで不機嫌だったが、母は帰り際、少しだけ表情を和らげた。
「ミリア」
「はい」
「あなた、本当に変わったのね」
「そうかもしれません」
「昔より、少し楽しそうだわ」
意外な言葉だった。
母はそれ以上言わず、馬車へ乗った。
見送りの後、グレンがわたしの隣に立つ。
「大丈夫か」
「はい。少し疲れましたが」
「よく言った」
「ありがとうございます」
砦の門が、からんと鳴った。
境界線を引くことは、人を拒むことだけではない。
どこから先を大切にするか、はっきり示すことでもある。
わたしは、自分の家を守るために、ようやく自分の境界線も守れるようになったのだと思った。




