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第五話 聖女様の白い絹は、煙突で燃やしてはいけません




 礼拝室の床に、煤で汚れた白い絹が広げられた。


 端は焼け焦げ、金糸の刺繍は黒く縮れている。それでも、上質な布であることは一目で分かった。庶民の一年分の生活費を軽く超えるような、薄くて滑らかな絹だ。


 セリナ様が建国祭で着ていた礼服とは形が違う。


 けれど、王宮の衣装係が聖女用に発注した予備の布であることは、刺繍に入った神殿紋で分かった。


「なぜこれが煙突にある」


 グレン様の声は平坦だった。


 平坦すぎて、逆に怖い。


 ブルーメ副局長は額の汗を拭った。


「衣装係の不始末でしょう。礼服の裁断くずを誤って」


「裁断くずを礼拝室の暖炉に押し込み、煙突の奥まで詰まらせたのですか」


 わたしは布片を持ち上げた。


「これは裁断くずではありません。幅が広すぎます。しかも魔力を吸う保存加工がされています。燃やせば煤が粘り、煙突の内側に貼りつく。火守りたちは、これを嫌がっていたはずです」


 火守りたちが、わたしの足元でこくこくと頷く。


 昨夜、王宮の暖炉たちが一斉に働くのをやめたのは、わたしについていくためだけではなかったのかもしれない。


 彼らはもう限界だったのだ。


「この北棟の修繕予算は、どこへ行ったのですか」


 副局長の眼鏡がずれた。


「それは、局長でなければ」


「局長はどちらに」


「本日は体調不良で」


 グレン様が短く息を吐いた。


「都合のよい体調不良だな」


 その場の空気が重くなる。


 けれど、火守りの救出は終わっていない。煙突の奥に、まだ二匹残っている。話し合いを続けるより、手を動かす方が先だ。


「副局長、責任追及は後です。今は灰受け、煙突掃除用の長いブラシ、水ではなく濡れ砂、それから古い革手袋を三組ください」


「水では駄目なのですか」


「急に冷やすと煙突が割れます」


「……分かりました」


 副局長が使用人に命じる。


 わたしは火守りを抱いて、礼拝室の古い椅子に腰かけた。椅子の精霊が、きしりと小さく鳴る。長く使われていなかったせいで、座られることに慣れていない。


「すみません、少しだけ支えてください」


 椅子の精霊は驚いたように背筋を伸ばした。


 その様子を見て、グレン様がわずかに目を細める。


「本当に、どこにでもいるのだな」


「はい。人が使うものには、だいたい」


「私の剣にもいるのか」


「います。でも剣の精霊は家の子とは少し違います。戦う道具の精霊は、持ち主の覚悟を見ています」


「覚悟か」


 彼は剣の柄に手を置いた。


「それなら、随分と呆れられているかもしれない」


「なぜですか」


「守るために抜いたはずの剣で、守れなかったものがある」


 その言葉には、雪のような重さがあった。


 わたしは聞き返さなかった。


 人には、まだ触れてはいけない傷がある。家にも人にも、掃除の順番というものがあるのだ。


 やがて道具が届き、煙突掃除が始まった。


 騎士たちは最初、貴族令嬢が煤だらけの暖炉に腕を突っ込む光景に戸惑っていた。しかし、わたしが手順を説明し、グレン様が当然のように補助へ入ると、文句を言う者はいなくなった。


 火を小さくする。


 空気を絞る。


 粘った煤を少しずつ落とす。


 途中、煙突の奥から大きな黒い塊が落ちてきた。床にぶつかった瞬間、ぼふっと嫌な煙が上がる。中には、焼けた布、髪飾りの破片、香油の小瓶まで混じっていた。


「誰かが証拠隠滅に使っている」


 グレン様が言った。


「おそらく」


 礼服の失敗品か、横流しした布の帳尻合わせか。詳しいことはまだ分からない。けれど、使われなくなった礼拝室の暖炉なら誰も見ていないと思ったのだろう。


 見えない相手がずっと見ていたとも知らずに。


 最後の火守りが救い出されたのは、昼を過ぎてからだった。


 小さな体は煤で真っ黒で、目だけが潤んでいる。わたしは蒸しタオルで顔を拭き、火の粉のような髪を整えた。


「もう大丈夫です」


 火守りは、わたしの手のひらに額をこすりつけた。


 その瞬間、礼拝室の暖炉が、ふわりと温かい息を吐いた。


 燃えてはいない。


 ただ、もう怖くないと伝えるような、柔らかな温度だった。


 廊下に控えていた使用人たちから、小さな拍手が起こった。


 王宮で、わたしの仕事に拍手が起こったのは初めてだった。


 わたしは煤だらけの手袋を外し、ブルーメ副局長へ向き直る。


「応急処置は終わりました。煙突は全面修理が必要です。北棟の暖炉は、修理完了まで使用停止。使用人の休憩室には代替の暖房器具を入れてください」


「承知しました」


「それから、聖女用礼服の布がなぜ煙突にあったのか、調査してください。王宮内で証拠を燃やす者がいるなら、家守の仕事では済みません」


 副局長は、今度こそ深く頭を下げた。


「ミリア嬢。これまでの無礼を、お詫びします」


 言葉は遅かった。


 けれど、何も言わないよりはいい。


 わたしは頷いた。


「お詫びは、火守りたちにもお願いします」


 副局長は一瞬だけ戸惑った。それから暖炉に向き直り、ぎこちなく頭を下げた。


「……長らく、申し訳なかった」


 火守りたちは顔を見合わせた。


 一匹が、ぽっと小さな火花を散らす。


 許したわけではない。


 けれど、聞いた。


 そのくらいの反応だった。


 礼拝室を出ると、廊下の向こうから人の足音がした。


 白いドレスの裾。


 金色の髪。


 聖女セリナ様が、青ざめた顔で立っていた。


「ミリア様」


 彼女の声は震えていた。


「その布、わたくしの礼服の……予備布ですの?」


 彼女は、何も知らない顔をしていた。


 少なくとも、わたしにはそう見えた。


 けれどその背後で、神殿から来た侍女が一人、唇を強く噛んでいた。



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