表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
45/68

第四十五話 家を縛るものは、家に嫌われる




 古砦の中は、時間が止まったようだった。


 廊下の石は冷たく、壁には古い傷が残り、天井からは黒い蔦のような魔力が垂れている。契約具の影響で、家霊の記憶が歪んでいるのだろう。


 足を踏み入れるたび、声が聞こえた。


 守れ。


 閉じろ。


 逃がすな。


 開けるな。


 人を入れろ。


 人を出すな。


 矛盾した命令が、家霊を引き裂いている。


「ひどい」


 思わず呟いた。


 火守りが袖の中で震える。


 グレン様は剣を構えたまま、周囲を警戒している。


「家霊は、どこにいる」


「中央広間です」


 主棟の中央広間へ向かう途中、何度も扉が勝手に閉まった。


 閉じ込めようとしているのではない。


 閉じなければならない、という命令に従わされている。


「扉の子、聞いてください」


 わたしは一つ一つの扉に声をかけた。


「あなたの役目は、命令に従うことだけではありません。通すべき人を通し、止めるべきものを止めることです」


 扉は震えながら、少しずつ開いた。


 グレン様が短く言う。


「ありがとう」


 扉の子たちが驚く。


 見えない相手に礼を言うことが、彼にはもう自然になっていた。


 中央広間には、大きな黒い輪が置かれていた。


 王宮で見た契約具よりも古く、大きい。


 その輪から黒い紐が伸び、壁、床、天井、暖炉、扉、窓へ絡みついている。


 広間の中央に、家霊がいた。


 人の形に近いが、体は石と木と火と風が混ざっている。顔は老人にも子どもにも見え、目は深い井戸のようだった。


 家霊は苦しそうにうずくまっている。


 黒い紐が胸に食い込んでいた。


「家守」


 声が響く。


「帰れ。助けて。閉じろ。開けろ。守れ。壊せ」


 命令が混ざっている。


 このままでは、家霊は自分の意思を保てない。


 広間の奥から、人影が現れた。


 古神殿派の残党だった。


 痩せた司祭服の男が三人。


「家守が来たか」


 一人が笑う。


「この古砦を縛れば、魔獣を集め、北境を脅かせる。王家は精霊契約具を禁じたが、力を捨てるとは愚かなことだ」


 グレン様の剣がわずかに動く。


「投降しろ」


「辺境伯よ、家を守るなど女々しいことに現を抜かすから、国は弱くなる。家は縛って使うもの。人も精霊も、強い命令で動かすものだ」


 その言葉に、古砦全体が震えた。


 怒りだ。


 縛られていても、家はその言葉を嫌っている。


「違います」


 わたしは前へ出た。


「家は縛って使うものではありません。人が帰るため、休むため、立ち上がるために、一緒に働くものです」


「綺麗事を」


「綺麗事ではありません。あなた方は家を縛った。でも、見てください」


 わたしは広間を見渡した。


 扉が震えている。


 床が抗っている。


 暖炉が黒い紐を焦がそうとしている。


 窓が外の風を入れようとしている。


「家を縛るものは、家に嫌われます」


 その瞬間、グレン様が動いた。


 司祭の一人が契約具へ手を伸ばすより早く、剣の柄で手首を打つ。ロイド副長たちも広間へ突入し、残党を押さえる。


 しかし、契約具は暴走した。


 黒い輪が震え、家霊の胸へさらに食い込む。


 広間の天井が崩れ始めた。


「ミリア!」


 グレン様が叫ぶ。


「家霊を解きます!」


「どうやって」


「契約解除です」


 契約には解除がある。


 前世の仕事でも、契約書には終了条件があった。


 この世界の古い契約具にも、きっとある。


 相手の意思を無視して結ばれた契約なら、無効を宣言する。


 ただし、宣言するには、家霊自身の意思が必要だ。


「家霊さん!」


 わたしは黒い紐に近づく。


 火守りが悲鳴を上げる。


 手が痛い。


 契約具の冷たさが皮膚を刺す。


「あなたは、どうしたいですか!」


 家霊は苦しそうに顔を上げた。


「守る」


「何を」


「人を。火を。眠りを。門を。帰る道を」


「閉じ込めたいのですか」


「違う」


 家霊の声が少し強くなる。


「帰してやりたい」


 その言葉で、黒い紐が一本切れた。


「では、契約解除を宣言してください」


「できない」


「できます。あなたは家です。人を閉じ込める檻ではありません」


 グレン様が隣に来た。


 危険なのに、離れない。


 彼は家霊へ向かって言った。


「古砦よ。長く国境を守ったことに感謝する。だが、お前を縛る命令は、ノルデン辺境伯として認めない」


 ロイド副長も叫ぶ。


「兵を閉じ込める砦なんざ、砦じゃない! 帰すために守るんだろうが!」


 火守り、扉、床、窓、暖炉。


 古砦の精霊たちが、少しずつ声を合わせる。


 帰す。


 守る。


 休ませる。


 開ける。


 閉める。


 自分で決める。


 家霊が立ち上がった。


 黒い紐が激しく震える。


「我は、檻ではない」


 声が広間を満たした。


「我は、家である」


 黒い輪に亀裂が入る。


「この契約を、拒む」


 契約具が砕けた。


 黒い波が弾け、広間の空気が一気に軽くなる。


 天井の崩落が止まった。


 家霊は膝をつき、深く息を吐いた。


 古砦全体が、長い眠りから覚めたように震える。


 外で、魔獣たちの吠え声が遠ざかっていく。


 縛られた家の歪みが消え、魔獣を引き寄せる力も薄れたのだ。


 わたしはその場に座り込んだ。


 手が震えている。


 グレン様が支えてくれた。


「無事か」


「はい。でも、少し疲れました」


「少しではない」


 彼の声が厳しい。


 けれど、手は優しかった。


 家霊はわたしを見た。


「家守。礼を言う」


「こちらこそ、戻ってきてくださってありがとうございます」


「我は、もう国境砦としては古い」


「はい」


「だが、見張ることはできる。森の変化を、風の通りを、魔獣の気配を」


 グレン様が頷いた。


「では、黒森監視所として再整備する。人を常駐させるのではなく、定期巡回と避難拠点にする。無理はさせない」


 家霊は満足そうに目を閉じた。


 古い家に、新しい役目が生まれた。


 契約具で縛られた場所が、自分の意思で働く場所へ変わった。


 それは、家守制度にとって大きな勝利だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ