第四十四話 黒森の古砦と、縛られた家霊
王都常駐の話が落ち着いた頃、黒森から新たな異常が報告された。
エルダ村よりさらに奥。
古い国境砦跡に、魔獣が集まっている。
しかも今回は、家の悲しみだけではない。
斥候が持ち帰った布片から、嫌な金属臭がした。
精霊契約具の匂いだ。
「古神殿派の残党か」
グレン様の声が冷える。
「可能性があります」
王宮で封印した契約具以外にも、隠された道具があったのかもしれない。
あるいは、老司祭が使った小さな契約輪の残滓が流れたのか。
いずれにせよ、放置できない。
古い国境砦跡は、ノルデン家が代々管理していた場所だった。今の砦が建つ前、黒森との境を守っていた小砦で、戦争後に放棄されたという。
「そこには、家霊がいるかもしれません」
わたしは言った。
「家霊?」
「長く人と関わり、複数の精霊が一つにまとまった大きな存在です。王宮の大扉やノルデン砦全体にも、その兆しがあります。古砦が契約具で縛られているなら、危険です」
普通の精霊を縛るだけでも恐ろしい。
家霊を縛れば、建物全体が歪む。
魔獣を呼ぶだけでなく、道や門や壁が人を閉じ込める可能性もある。
マリア王太女へ連絡を送り、討伐と調査の許可を得た。
今回は大規模な作戦になる。
グレン様、ロイド副長、選抜兵、家守見習いのクレメント、ルカは後方支援。わたしは現場家守として同行する。
セリナ様も医療班として来ることになった。
「わたくしも行きます」
彼女はきっぱり言った。
「危険です」
「火傷と凍傷の治療を学んできました。光も、以前より抑えられます。役に立てるはずです」
火守りたちは彼女の周りを確認し、小さく頷いた。
認めたらしい。
作戦前夜、砦全体で準備が行われた。
食堂は保存食を作り、井戸は清めた水を用意し、寝台は野営用毛布を整え、門は内門鍵に力を込めた。灯りの家からは鍵の子の祝福が届き、王宮の大扉からも遠い支援の気配が来た。
家々がつながっている。
それは、以前のわたしなら想像できなかった力だった。
古砦へ向かう道は険しかった。
黒森の奥は、昼でも暗い。木々の根が道を塞ぎ、湿った霧が足元を覆う。魔獣の気配は濃いが、なぜか直接襲ってこない。
誘われている。
そんな感じがした。
古砦は、森の中の岩場に建っていた。
半ば崩れた石壁、落ちた見張り塔、錆びた門。けれど、中央の主棟だけは不自然に残っている。
その主棟から、黒い紐のような気配が伸びていた。
契約具だ。
家霊が縛られている。
「ミリア」
グレン様が低く呼ぶ。
「分かっています。近づきすぎると危険です」
「だが、近づかなければ解けないのだろう」
「はい」
古砦の門が、ぎぎ、と勝手に開いた。
歓迎ではない。
罠だ。
門の奥から、低い声が響いた。
帰れ。
いや、違う。
助けて。
帰れと助けてが、重なって聞こえる。
縛られた家霊は、人を拒みながら、人を求めていた。
「行きます」
わたしは言った。
グレン様が隣に立つ。
「私も行く」
「はい」
今度は、止めなかった。
一人では無理だ。
家守の仕事にも、共に立つ人が必要だった。




