第三十八話 エルダ記憶日
春の最初の晴れ間に、エルダ記憶日が行われた。
参加者は、砦の兵士、近隣村の代表、避難民の家族、王宮から派遣された記録官、そして家守見習いたち。ルカも参加した。条件は、事前訓練を受け、勝手に走らないこと。
「走らない」
ルカは何度も自分に言い聞かせていた。
「助け方を覚える」
「はい」
わたしは彼の外套の紐を結び直した。
エルダ村へ向かう道は、前より整備されていた。雪解けの泥に板を敷き、危険な場所には杭を打つ。これは単なる追悼ではなく、避難訓練でもある。
グレン様は先頭ではなく、列の中央を歩いた。
先頭はロイド副長と斥候。後方は弓兵。子どもと高齢者は中央。食料と湯は荷車。手順通りだ。
村跡に着くと、集会所の子がすでに待っていた。
前回より、気配が落ち着いている。
壊れた扉は応急修理され、屋根の穴には布がかけられていた。暖炉にはまだ火を入れられないが、灰は掃除されている。長椅子の欠片を砦で磨き、戻したことで、集会所の子の胸に小さな光が宿っていた。
「戻ってきました」
わたしは集会所に礼をした。
集会所の子は泣きそうに笑った。
式は簡素だった。
三年前に亡くなった人々の名前を読み上げる。
村を離れた人々が、家へ別れを告げる。
戻れない理由を伝える。
そして、年に一度は火を入れ、掃除をし、避難路を確認すると約束する。
マルタさんの名前が読み上げられたとき、グレン様は目を閉じた。
「マルタ・エルダ。ノルデン砦管理官。多くの兵と避難民を支え、最後まで食堂の火を守った」
食堂の火守りたちが、遠い砦から小さな火の気配を送ってくる。
わたしは集会所の暖炉に、ほんの少しだけ火を入れた。
燃やすためではない。
覚えている、と伝えるための火だ。
村人たちは、家々へ声をかけて回った。
「戻れなくてごめん」
「ここで育った。ありがとう」
「井戸の水、好きだった」
「春の花が咲いたら、また来る」
家々の精霊は、すぐに元気になるわけではない。
けれど、腐った悲しみは少しずつほどけていった。
魔獣の気配は薄い。
悲しみが餌ではなく、記憶に変わり始めているからだろう。
ルカは、古い井戸の前に立った。
井戸の子は警戒している。
ルカは小さな木皿に砦の水を入れ、井戸の縁へ置いた。
「砦の井戸から。友だちになってって」
それは、わたしが教えた手順にはなかった。
でも、悪くない。
井戸の子は驚いた顔をし、やがて小さく頷いた。
家守見習いとして、ルカは自分のやり方を見つけ始めている。
式の後、避難訓練が行われた。
集会所から森の外へ、森の外から砦への道へ。子どもたちは焼き菓子を目印に歩く。ミナも参加していた。彼女はもう元気で、ルカの隣を歩いている。
「食堂まで行けば、甘いのある」
ミナが小さい子に教える。
恐怖の記憶が、訓練の記憶に置き換わっていく。
完全には消えない。
でも、次に進む道になる。
訓練の最後、集会所の古い鐘が鳴らされた。
前回のように、必死に鳴らした音ではない。
人の手で、きちんと紐を引き、合図として鳴らす音。
カラン。
澄んだ音が、春の森へ広がった。
グレン様がわたしの隣で言った。
「マルタも、少しは安心するだろうか」
「きっと」
「私は、まだ彼女に謝り足りない」
「謝り続けるより、手順を続ける方が届くと思います」
彼は静かに頷いた。
「続ける」
その言葉は、誓いのようだった。
帰り道、集会所の子が見送ってくれた。
もう、置いていかれた顔ではない。
次に来る日を知っている顔だった。
それは、家にとって大きな救いだ。




