第三十二話 大寒波の前に、家は身構える
北境の冬は、王都の冬とは別物だった。
王都では雪が降れば人々が大騒ぎするが、北境では雪は日常だ。問題は、雪そのものではない。風、凍結、孤立、燃料不足、そして大寒波。
黒森の向こうから、氷のような風が吹き下ろす。
その年最大の寒波が来ると、見張り台の兵が報告した。
「三日以内に吹雪。期間は五日以上の可能性あり」
ロイド副長が地図に印をつける。
「村からの避難民を受け入れる必要がある。燃料と食料の確認を」
「倉庫は二週間分を確保しています」
倉庫係が答える。
「ただし、避難民が百人を超えると一週間半です」
「井戸は?」
「凍結対策を始めます」
「寝台は?」
「食堂と礼拝室を臨時寝所にします。長椅子使用の許可は取りました」
長椅子の精霊たちは、避難民のためならと胸を張っている。
砦は身構えていた。
以前なら、寒波の報告は不安だけを生んだだろう。今は違う。手順がある。役割がある。人間と精霊の会議がある。
おうち精霊組合は、寒波対応会議を開いた。
食堂暖炉は、燃料を節約しつつ温度を保つ配置を提案した。
井戸は、凍結を防ぐために夜間の水汲みを減らしてほしいと言った。
寝台たちは、子どもと高齢者を暖炉から遠すぎない場所に置くよう求めた。
門の子は、吹雪の中でも避難民を見逃さないため、見張り台の鐘と連携したいと言った。
倉庫の子は、湿気より乾燥に注意すると主張した。
パン窯は、保存用の硬焼きパンを作ると胸を張った。
砦の竈は、スープを大量に煮る準備をしている。
「皆さん、頼もしくなりましたね」
わたしが言うと、精霊たちは一斉に照れた。
ロイド副長は議事録を見ながら言った。
「正直、精霊会議なしで寒波を迎えるのはもう怖いな」
「以前は、どうしていたのですか」
「根性で乗り切っていた」
「根性は備蓄ではありません」
「今なら分かる」
寒波前日、近隣村から避難民が到着し始めた。
老人、子ども、妊婦、病人。各村の代表者が名簿を持ってくる。避難訓練の成果が出て、受け入れは比較的スムーズだった。
食堂には焼き菓子の匂いが漂う。
子どもたちは不安そうにしながらも、「食堂に甘いものがある」と聞いて歩いてくる。
ルカは案内係として大活躍だった。
「名前を言って、こっち。荷物はそこ。焼き菓子は一人一個。二個目はあとで」
小さな子が泣くと、彼は照れくさそうにパンを差し出す。
「食べると、ちょっと大丈夫」
その言葉は、もう彼のものになっていた。
グレン様は外で避難民の誘導を指揮している。
雪が強くなり始めていた。
空は低く、風は鋭い。
夕方、最後の村の一団が到着したとき、門の子が震えた。
何かが足りない。
門はそう訴えている。
「名簿を確認してください」
わたしが言うと、村長が慌てて紙を見た。
「ミナがいない」
避難訓練で最初に焼き菓子を受け取った女の子だ。
母親が悲鳴を上げる。
「さっきまで、馬車に」
吹雪が強くなる。
見張り台からは、森側の視界が白く潰れ始めていた。
「捜索隊を出す」
グレン様が即断した。
「危険です」
ロイド副長が言う。
「分かっている。だが、まだ近いはずだ」
門の子が、閂を握りしめる。
三年前の記憶。
吹雪。
外から叩く手。
開けるか、閉めるか。
今度は、迷っている時間がない。
「門の子」
わたしは門に手を当てた。
「合図を覚えていますね。捜索隊が戻るまで、門を生かしておきます。閉めるときは閉める。開けるときは開ける。あなた一人に背負わせません」
門の子は頷いた。
グレン様はわたしを見た。
「あなたは中にいてくれ」
「はい」
本当は行きたい。
でも、わたしの役目は食堂と砦を保つことだ。
捜索に出る人を送り出し、戻ってきた人を温める。
それも戦いだ。
グレン様とロイド副長、数名の兵が吹雪の中へ出た。
門が閉まる。
食堂では、母親が泣き崩れていた。
わたしは彼女の隣に座り、温かい湯を渡した。
「ミナは、食堂への道を覚えています」
「でも、吹雪で」
「門も、鐘も、火も、みんなで探します」
食堂の暖炉が強く燃えた。
火守りたちが、煙突へ小さな火の合図を送る。
見張り台の鐘が、一定の間隔で鳴る。
井戸は水音を抑え、外の音を聞きやすくする。
砦全体が、迷子の子どもを探すために耳を澄ませた。
夜が深くなる。
吹雪は強くなる。
それでも、門の子は震えながら立っていた。
開けるべき時を逃さないように。




