第二十九話 家守法案は、貴族の椅子を軋ませる
マリア王女が王太女として正式に立つまでの間に、家守制度の試験導入案がまとめられた。
名称は「公共家守管理令」。
対象は王宮、辺境砦、王立医療院、孤児院、神殿付属宿舎、王立学校。建物の状態点検、精霊の意思確認、修繕記録、休養計画、緊急時対応を定める。
家守には報酬を払う。
業務範囲を明文化する。
拒否権を認める。
精霊契約具の使用は重罪とする。
わたしは、その草案作りに参加した。
前世の管理会社で学んだことが、まさか王国法案の条文に生きるとは思わなかった。
「この文言は曖昧です」
わたしはマリア王女へ草案を返した。
「『必要に応じて家守に協力を求める』では、無制限に呼び出されます。『業務時間内、契約範囲内において』を入れてください」
「なるほど」
「緊急対応の定義も必要です。火災、人命、衛生、防衛機能に関わるもの。それ以外は通常対応です」
「貴族から苦情が来ますね」
「来ます」
「よい。苦情の出る制度ほど、必要なことがあります」
王女は楽しそうだった。
この方は、問題を問題として扱うことを恐れない。
草案は貴族院にかけられた。
反応は予想通りだった。
「家守などという地味な加護に、なぜ公費を使うのか」
「精霊の意思確認など、迷信ではないか」
「使用人の仕事を貴族令嬢が制度化するなど、身分秩序が乱れる」
貴族院の椅子たちは、発言のたびにぎしぎし軋んだ。
わたしには分かる。
椅子たちも呆れている。
マリア王女は淡々と答えた。
「王宮北棟の火災未遂、北境砦の物資不正、魔獣襲来時の避難成功。いずれも家守管理の有無が結果に影響しています」
「しかし、精霊の意思というものは」
反対派の公爵が立ち上がった。
「見えぬものを根拠に予算を増やすのは危険です。感情的な令嬢の主張に国家が振り回されるべきではない」
その言葉に、貴族院の一角が頷く。
わたしは証言席に立った。
「感情的な主張ではありません。王宮北棟の煙突修繕を後回しにした結果、火災未遂が起きました。修理費は当初見積もりの三倍になっています。北境砦では粗悪品納入により食材費が一五〇パーセントまで増加し、兵の士気低下と医療費増につながりました」
数字を出すと、議場の空気が少し変わる。
「家守管理は、情緒ではなく予防保全です。壊れてから直すより、壊れる前に手入れする方が安い。人が倒れてから治療するより、眠れる寝台を整える方が安い。火事になってから再建するより、煙突を掃除する方が安い」
貴族院の椅子が、一斉に小さく鳴った。
賛成している。
公爵は不快そうに言った。
「金の話にすれば通ると思っているのか」
「金の話をしなければ、現場の仕事は踏み倒されます」
議場が静まる。
わたしは続けた。
「誰かが無償で頑張れば回る制度は、いずれ壊れます。家も、人も、精霊も同じです」
後方で、セドリック殿下が目を伏せた。
彼はこの議論に賛成側として出席していた。
自分が失敗したからこそ、制度化を支持する。そう表明したとき、貴族院は大きくざわついた。
「私は、家守の仕事を軽視した」
殿下は議場でそう言った。
「その結果、王宮機能に混乱を招き、王家の信頼を損なった。家守管理令は必要だ。私の愚かさを、二度と制度の隙間にしてはならない」
王族が自分の失敗を制度改善の理由にする。
その効果は大きかった。
最終的に、公共家守管理令は試験導入として可決された。
満場一致ではない。
反対も多い。
けれど、始まった。
議場を出ると、マリア王女がわたしへ言った。
「見事でした」
「緊張しました」
「そうは見えませんでした」
「見えないところで、椅子たちが応援してくれていました」
王女は一瞬目を丸くし、それから笑った。
「では、議場の椅子にも礼を言わなければ」
「かなり文句を言っていました」
「次回から座り方に気をつけます」
その横で、グレン様が腕を組んでいた。
「私は、椅子に嫌われていないだろうか」
「大丈夫です。少し重いけれど、姿勢が良いと言っています」
「少し重い」
ロイド副長と同じ反応だった。
思わず笑ってしまう。
グレン様は不満そうにしながらも、わたしが笑うのを見て、少しだけ目を和らげた。
制度はできた。
だが、制度は作った瞬間に完成するものではない。
運用し、直し、記録し続ける必要がある。
その最初の実施場所は、北境砦に決まった。
わたしはようやく、帰ることになった。




