第二十七話 王太子殿下の最後の依頼
審問の翌日、セドリック殿下がわたしを呼んだ。
場所は王宮の小さな応接室だった。
以前なら、王太子殿下の呼び出しは命令だった。わたしは予定を変え、仕事を中断し、彼の不機嫌に合わせるしかなかった。
だが今回は違う。
正式な面会依頼書が届いた。
日時、場所、目的、同席者。
目的欄には、謝罪および今後の王宮家守制度に関する相談、と書かれていた。
同席者は、マリア王女とグレン様。
形式は大事だ。
感情を整えるためにも、形式が役に立つことがある。
応接室に入ると、殿下は立ち上がった。
顔色はまだ悪いが、以前のような尖った苛立ちは少ない。
「ミリア」
「殿下」
「今日は、来てくれて感謝する」
その言葉を、彼は少し苦労して言った。
わたしは礼を返す。
「正式な依頼でしたので」
殿下は苦笑した。
「そうだな。正式な依頼は、大事なのだな」
マリア王女が満足そうに頷く。
グレン様は黙っているが、警戒は解いていない。
殿下は机の上に一枚の書類を置いた。
「私は、王太子位を辞退する」
部屋の空気が止まった。
聞いていなかった。
マリア王女だけは、すでに知っていたように静かだった。
「今回の件で、私は自分が王太子にふさわしくないと理解した。人を見る目も、仕事を見る目も、責任を取る覚悟も足りなかった。姉上の方が、はるかに国を見ている」
殿下はマリア王女へ視線を向けた。
「父上には、姉上を王太女に立てるよう進言した」
「殿下」
わたしは言葉を探した。
彼を許したわけではない。
けれど、王太子位を手放すことがどれほど大きな決断かは分かる。
「これは、あなたへの謝罪にもならない」
殿下は言った。
「私があなたを傷つけた事実は消えない。婚約破棄の場で恥をかかせ、仕事を軽んじ、精霊たちを傷つけた」
彼は深く頭を下げた。
「すまなかった」
沈黙。
わたしの中で、いろいろな感情が動いた。
怒り。
悔しさ。
悲しさ。
そして、少しの安堵。
「謝罪を受け取ります」
わたしは言った。
「ただし、以前の関係に戻ることはありません」
「ああ」
「わたしは北境砦の家守監督官です。今後、王宮の家守制度には職務として関わります。それ以上でも、それ以下でもありません」
「分かっている」
殿下は静かに頷いた。
分かっている、と言ったその声には、初めて本当に理解しようとする気配があった。
「最後に、一つ依頼がある」
「内容によります」
「私の寝室を、正式に閉じてほしい」
意外な依頼だった。
殿下は続ける。
「王太子として使っていた寝室だ。あの部屋には、私の怒りや傲慢が染みついている。今のまま誰かに使わせたくない。寝台の精霊も戻らないだろう。だから、休ませたい」
わたしは彼を見た。
これは、逃げではない。
少なくとも、今の殿下は自分が汚した場所を見ようとしている。
「閉じるには、手順が必要です」
「教えてくれ」
「部屋に礼を言うこと。そこで傷つけたものを認めること。清掃と換気をすること。使える家具は別の場所で休ませ、使えないものは修理または解体すること。最後に、しばらく空室として休ませます」
「分かった」
殿下は即答した。
その日の午後、わたしたちは王太子の旧寝室へ向かった。
部屋は豪華だった。
厚い絨毯、金の装飾、大きな窓、重いカーテン。けれど空気は暗い。寝台はすでに別室で休養中のため、中央には空白がある。その空白が、かえって部屋の疲れを際立たせていた。
殿下は部屋の中央に立った。
「ここで、私は何度も怒鳴った」
声が静かに響く。
「眠れない苛立ちを、家具や人にぶつけた。ミリアの報告を聞かず、侍従の忠告も聞かなかった。ここにあるものは、私の夜を受け止めていたのに、私は礼を言わなかった」
カーテンの精霊が、そっと姿を見せた。
机の子も、椅子の子も、ランプの子も。
みんな傷ついている。
けれど、殿下の言葉を聞いている。
「すまなかった」
殿下は深く頭を下げた。
すぐに許されるわけではない。
けれど、部屋の空気が少し動いた。
窓が開く。
冷たい風が入り、古い怒りを外へ押し出す。
わたしは清掃係と一緒に手順を進めた。
カーテンを外し、絨毯を巻き、机の引き出しを空にし、ランプを磨く。殿下も手伝った。最初はぎこちなかったが、最後まで逃げなかった。
作業の終わり、部屋の扉を閉める前に、殿下はわたしへ言った。
「ミリア。君は、私と婚約していた五年を後悔しているか」
難しい問いだった。
後悔していないと言えば嘘になる。
でも、あの五年があったから、今のわたしの記録も、技術も、精霊たちとの関係もある。
「つらいことは多かったです」
わたしは正直に答えた。
「でも、わたしがしてきた仕事は後悔していません」
殿下は目を閉じた。
「そうか」
扉が閉まる。
王太子の旧寝室は、しばらく眠ることになった。
人も、部屋も、休まなければ次へ進めない。
その夜、マリア王女の王太女立太子が内定した。
王宮の空気が大きく変わり始めていた。




