第二十三話 王宮の扉は、わたしを客人として開けた
王都へ戻る道中、セドリック殿下は以前より静かだった。
寝不足が少し改善したせいか、顔色はましになっている。それでも、時折不機嫌そうに窓の外を見る。王太子としての自尊心と、自分の誤りを認めざるを得ない現実の間で揺れているのだろう。
マリア王女は容赦なく書類を読ませていた。
「セドリック、ここを読みなさい」
「馬車の中でまで」
「あなたが王宮管理局の報告を読まなかった結果が、今回の問題です」
「私は管理局の専門ではない」
「王太子は専門外でも責任を持つ立場です」
殿下は渋々書類に目を落とす。
わたしは向かいで、精霊証言の整理をしていた。
グレン様は隣で、王都到着後の護衛計画を確認している。
「ミリア」
彼が低く呼んだ。
「はい」
「王宮では、私のそばを離れないでほしい」
「危険があるからですか」
「それもある」
「それ以外も?」
グレン様は少しだけ黙った。
「あなたが王宮で一人になると、以前のように扱われるのではないかと思うと、腹が立つ」
率直すぎる言葉に、返事が詰まった。
火守りが肩でぱちりと鳴る。
馬車の中で聞かれている。
マリア王女が書類から顔を上げないまま、口元だけ少し上げている。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることではない」
「でも、嬉しいです」
言ってから、また恥ずかしくなる。
グレン様は窓の外を見た。
耳が少し赤い気がした。
王宮に着いたのは、夕方だった。
三週間ほど離れただけなのに、王宮は少しやつれて見えた。南棟の魔導灯は以前ほど明るくなく、玄関前の花飾りも減っている。派手な装飾より、修繕と燃料に予算を回し始めたのかもしれない。
大扉の前に立つと、扉の精霊が姿を見せた。
以前は、わたしを通すときもどこか義務的だった王宮の大扉。
今日は、静かに頭を下げた。
主人を迎えるのではなく、客人を迎える礼だった。
わたしも礼を返す。
「お邪魔します」
扉は、ゆっくり開いた。
その瞬間、王宮の空気がこちらへ流れてくる。
懐かしい。
けれど、帰ってきたとは思わなかった。
わたしの帰る場所は、もう北境にある。
王宮の会議室には、国王陛下、マリア王女、セドリック殿下、王宮管理局副局長ブルーメ卿、神殿代表、法務官、監査官、そしてノルデン辺境伯としてのグレン様が集まった。
セリナ様もいた。
彼女は以前のような豪華な白いドレスではなく、淡い灰色の上着を着ていた。袖口には少し煤の跡がある。王宮で本当に作業を続けていたのだろう。
「ミリア様」
「セリナ様」
彼女は小さく笑った。
「火守りさんたちは、お元気ですか」
「はい。灰入れを使っています」
「よかった」
セリナ様の表情が柔らかくなる。
その横で、神殿代表の老司祭が不快そうに眉をひそめた。
「聖女様が煤などに関わる必要はありません」
セリナ様は、以前なら黙っていたかもしれない。
けれど今は違った。
「火傷した方を癒やす者が、火の扱いを知らないのは危険です」
老司祭は口を閉じた。
会議は、王宮管理局長オルド・フェンの不正から始まった。
修繕予算の流用。
聖女礼服名目での過剰発注。
ガルム商会を通じた北境物資の中抜き。
古神殿派への資金提供。
そして、精霊契約具の入手。
証拠は多かった。
帳簿、納品書、焼け残った布、商会長の供述、倉庫の現物、王宮北棟の煙突記録。
わたしは、家守として精霊たちの状態を証言した。
「王宮北棟の火守りは、修理遅延と不適切な廃棄物投入により、継続勤務が困難な状態でした。北境砦の倉庫精霊は、粗悪品の搬入と通気不良により、保管機能を阻害されていました。いずれも、精霊の意思を確認せず過重な負担をかけた結果です」
老司祭が鼻を鳴らした。
「精霊の意思など、家守にしか分からぬものを証拠とするのは危険ですな」
「だからこそ、物的証拠と照合しています」
わたしは帳簿を示した。
「精霊の証言だけで断定はしません。しかし、精霊の反応があった場所を確認すると、物的異常が見つかっています。煙突の布片、倉庫の通気不良、油樽の水混入。見えない声を、見える証拠へつなぐのが家守の仕事です」
マリア王女が頷いた。
「この手法は、監査手順として採用可能です」
老司祭は苦々しい顔をした。
その態度を見て、火守りがわたしの袖を握る。
この人は、契約具を知っている。
そんな気配が伝わってきた。
会議の終盤、王宮管理局長の尋問記録が読まれた。
局長は、精霊契約具を使えば「王宮機能を安定させられる」と供述した。家守に依存しない管理体制。精霊の自由意思に左右されない設備運用。無駄な休養や報酬を削減できる。
聞いているだけで、吐き気がした。
セドリック殿下が、顔を青くしていた。
「私は、そこまで命じていない」
彼は低い声で言った。
マリア王女が冷たく返す。
「命じていなくても、あなたの態度がそれを許したのです。ミリア嬢の仕事を軽んじ、精霊の意思を否定し、管理局の怠慢を見なかった」
殿下は何も言えなかった。
わたしは彼を見た。
怒りはある。
でも、これ以上彼を見ていると、問題の中心を見誤る。
本当に恐ろしいのは、殿下の愚かさだけではない。
その愚かさを利用し、制度の隙間で利益を得ようとした者たちだ。
会議が終わる直前、老司祭が立ち上がった。
「精霊契約具については、神殿が責任を持って回収し、管理しましょう」
セリナ様の顔色が変わる。
火守りたちも震える。
わたしは即座に言った。
「反対します」
老司祭の目が細くなる。
「家守の娘が、神殿の管理に口を出すのですか」
「はい。今回、その契約具は神殿印のもとで流出しています。神殿単独での回収管理は、利益相反です」
会議室が静まり返った。
グレン様がわたしの隣で、わずかに前へ出る。
老司祭は怒りで顔を赤くした。
「無礼な」
「無礼でも、必要な指摘です」
マリア王女が静かに言った。
「契約具は王家、神殿、法務局、家守代表の四者立ち会いで封印します」
「家守代表など存在しません」
「では、今作ります」
王女の声は揺るがなかった。
「ミリア・ハーシェル嬢。暫定家守代表として、契約具封印に立ち会ってください」
わたしは息を吸った。
地味な家事魔法と笑われた令嬢が、精霊契約具の封印に立ち会う。
王宮の大扉が、遠くで静かに鳴った。
家が、聞いている。
「承ります」
その瞬間、老司祭の目に、暗い光が宿った。




