第二十二話 精霊を縛る契約具
神殿印のある契約具は、黒い金属でできた輪だった。
王宮から送られてきた写し絵を見ただけで、火守りたちは怯えた。パン窯の精霊はわたしの背後に隠れ、寝台の子は毛布を被って震えた。
精霊たちが本能的に嫌がるもの。
それだけで、嫌な予感がした。
「これは何ですか」
わたしはマリア王女へ尋ねた。
「古い神殿で使われていた契約輪です。建前上は、暴走した精霊を鎮めるためのもの。ただし、現行法では使用禁止です」
「理由は」
「精霊の意思を無視して、場所や道具へ縛りつけるからです」
わたしの手が冷えた。
おうち精霊たちは、人の暮らしを支える。
けれど、彼らは道具ではない。
休むことも、嫌がることも、離れることもできる。少なくとも、わたしはそう信じて仕事をしてきた。
その意思を奪う道具がある。
考えるだけで気分が悪くなる。
「局長はこれを何に使うつもりだったのでしょう」
マリア王女は厳しい顔をした。
「供述によると、王宮の精霊が離れたため、再び縛り直すつもりだったと」
火守りが小さく悲鳴を上げた。
わたしはその子を抱きしめる。
「大丈夫。ここには来させません」
グレン様の声が低くなった。
「局長一人の考えか」
「おそらく違います」
マリア王女は写し絵を机に置いた。
「ガルム商会の帳簿に、古神殿派の司祭への支払いがありました。王宮管理局長、ガルム商会、古神殿派。この三者が、精霊を労働力として固定する計画を進めていた可能性があります」
「固定」
「家守がいなくても精霊を使えるようにする。そうすれば、家守へ報酬を払う必要がない。精霊の休養も、意思確認も不要になる」
怒りで視界が少し白くなった。
前世でも、似たような考えを見たことがある。
人を増やさず、休ませず、仕組みも整えず、ただ現場に無理をさせる。動かなくなったら、別のものに替える。名前を呼ばず、感謝もせず、数字だけを見る。
この世界では、その対象が精霊にまで及ぶのだ。
「許せません」
声が震えた。
グレン様がこちらを見る。
「怒っていい」
その一言で、胸の奥の震えが少し落ち着いた。
怒っていい。
倉庫の子に言った言葉を、今度は自分に返された。
「王宮へ戻ります」
わたしは言った。
「証言が必要なら、わたしが行きます。精霊たちの状態も説明します」
「危険です」
マリア王女が即座に言った。
「古神殿派があなたを狙う可能性があります。家守であるあなたがいれば、契約具なしでも精霊を動かせる。彼らにとって、あなたは利用価値が高い」
グレン様の表情が険しくなる。
「王都へ行くなら、私が護衛する」
「砦は」
「ロイドに任せる。今の砦なら持つ」
ロイド副長は真剣な顔で頷いた。
「任せてください。食堂も井戸も寝台も、手順は覚えました。監督官殿がいなくても、三日くらいは怒られずに済むはずです」
「怒る前提ですか」
「怒られた方が直せます」
少し笑いが起こる。
けれど、空気は重い。
契約具の存在は、精霊たちに大きな不安を与えていた。
その夜、おうち精霊組合は緊急会議を開いた。
議題は「ミリア王都出張中の砦運営」と「契約具対策」。
門の子は、王都へ行くなら内門の鍵を持っていくよう言った。倉庫の子は、古い布に契約具の金属臭が移ることがあると教えてくれた。井戸は、契約具を水に沈めてはいけない、底が苦くなると言った。寝台の子は、強制的に縛られた精霊は眠れなくなると震えた。
わたしは全て書き取った。
精霊たちの証言は、正式な法廷ではまだ弱いかもしれない。
けれど、制度を作るなら、彼らの声を記録し続ける必要がある。
会議の最後、パン窯の精霊がぽんと小さなパンを出した。
いつもの丸パンではない。
少し硬めの、旅用のパン。
わたしの手のひらに乗せると、パン窯は胸を張った。
「持っていけ、だそうです」
エルンが笑った。
「王都の食事がまずかったら困りますからね」
「王宮の食事ですよ」
「監督官殿が抜けた王宮でしょう?」
確かに、不安だった。
翌朝、王都へ向かう一行が出発した。
マリア王女、セドリック殿下、グレン様、わたし、監査官たち、護衛。
ルカは見送りに来た。
「ミリア、帰ってくる?」
「帰ってきます」
「本当?」
「はい。砦の仕事はまだ途中ですから」
ルカは少し考え、豆を選別する小さな木皿を差し出した。
「これ、持ってて。帰ってきたら返して」
それは、約束の印だった。
わたしは受け取った。
「必ず返します」
ルカは頷いた。
門の子が、正門を開ける。
今度は震えていなかった。
開ける理由がある。
閉める手順がある。
帰ってくる約束がある。
馬車が砦を出るとき、食堂の暖炉、井戸、寝台、倉庫、門、長椅子、竈たちが、それぞれ小さな気配で見送ってくれた。
わたしは窓から手を振った。
王都へ戻る。
けれど、もう王宮に戻るのではない。
わたしは、北境砦の家守監督官として、王宮へ行くのだ。




