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第二十一話 王太子殿下、北境の寝台で眠れません




 魔獣襲来から五日後、王宮から正式な監査団が到着した。


 先頭に立っていたのは、マリア第一王女殿下だった。


 銀灰色の髪をきっちり結い、濃紺の外套をまとった女性で、年はセドリック殿下より二つ上。王位継承権は低いとされているが、政務能力では王家随一と噂される方だ。


 彼女の隣には、顔色の悪い王太子セドリック殿下もいた。


 来るとは聞いていなかった。


 グレン様も眉をわずかに動かす。


「王女殿下、遠路よくお越しくださいました」


「ノルデン辺境伯。急な訪問を詫びます。王宮管理局長失踪、北棟火災未遂、ガルム商会不正納品。王宮と北境にまたがる案件となりましたので、私が監査責任者として参りました」


 声は落ち着いている。


 無駄な飾りがない。


「それと、セドリックが同行を希望しました」


 マリア王女の視線が、隣の王太子へ向く。


「希望、ですか」


 グレン様の声に含みがある。


 セドリック殿下は不機嫌そうに口を開いた。


「北境の状況を直接見る必要があると判断した」


 マリア王女が即座に言った。


「正確には、王宮で眠れず、政務に支障が出ているため、ミリア嬢の仕事を軽視した結果を自分の目で見るよう私が命じました」


 容赦がない。


 ロイド副長が後ろで咳をした。


 殿下は姉を睨んだが、反論しなかった。


「ミリア・ハーシェル嬢」


 マリア王女がわたしへ向き直る。


「これまで王宮があなたに負わせた無償労働について、王家として調査を始めています。まずは、謝罪します」


 彼女は、雪の中庭で頭を下げた。


 王女が、伯爵令嬢へ。


 周囲が静まり返る。


「あなたの仕事を、王家は正しく評価していませんでした」


 言葉は簡潔だった。


 けれど、重かった。


 わたしは胸の奥が揺れるのを感じながら、礼を返した。


「謝罪を受け取ります。ただし、補償と制度改善については、正式な書面でお願いします」


 マリア王女の口元がわずかに上がった。


「もちろんです。感情だけでは文書の信頼性が落ちますから」


 この方は、話が早い。


 監査団は、砦に三日滞在することになった。


 問題は、王太子殿下の宿泊先だった。


 砦には貴賓室があるが、長く使われておらず、寝台の精霊は完全に閉じこもっている。王宮の寝台でさえ三か月の休養中なのに、殿下をいきなり疲れた寝台へ寝かせるわけにはいかない。


「では、私はどこで寝るのだ」


 殿下が苛立った声を出した。


「仮設寝台です」


 わたしは答えた。


「食堂奥の休養室に、兵士と同じ寝具を整えます。ただし、状態の良いものを選びます」


「王太子に兵士と同じ寝具を使えと?」


 マリア王女が横から言った。


「使いなさい」


「姉上」


「あなたは王宮で、寝台に謝罪した後も三か月の条件を軽んじていたでしょう。北境の兵がどのように眠っているか学ぶ良い機会です」


 殿下は黙った。


 その夜、王太子殿下は食堂奥の休養室で眠ることになった。


 もちろん、最初は文句を言った。


「薄い」


「兵舎の標準より一枚多い毛布です」


「枕が低い」


「高くすると首を痛めます」


「部屋が寒い」


「入口席ほどではありません」


 ロイド副長が小声で「入口席を経験させればよかった」と言い、エルンに肘でつつかれていた。


 わたしは殿下の寝台の精霊に声をかける。


 この仮設寝台は、兵舎から来た若い精霊だ。王太子を寝かせることに緊張している。


「無理をしなくていいです。いつも通りで」


 寝台の子は頷いた。


 殿下は不満げに横になった。


「眠れるとは思えない」


「眠る前に礼を」


「またそれか」


「条件です」


 殿下は毛布の中でしばらく黙った。


 やがて、ひどく小さな声で言った。


「……今日、受け止めてもらう。礼を言う」


 寝台の子が、驚いた顔をした。


 完璧ではない。


 けれど、言った。


 王太子殿下は、その夜、三時間だけ眠った。


 本人にとっては短いかもしれない。


 しかし、ここ最近ほとんど眠れていなかったことを考えると、大きな前進だった。


 翌朝、殿下は食堂でスープを飲みながら、妙な顔をしていた。


「どうしました」


 マリア王女が尋ねる。


「……体が、少し軽い」


「眠ったからでしょう」


「三時間だぞ」


「その三時間すら、王宮では得られなかったのです」


 殿下は黙った。


 食堂では、兵士たちがいつものように朝食を取っている。パン、豆のスープ、薄い肉、温かい湯。豪華ではないが、食堂の空気は穏やかだった。


 殿下はパンを手に取る。


 パン窯の精霊が、警戒しながら見ている。


 殿下はそれに気づかない。


 けれど、パンを一口食べた後、ぽつりと言った。


「王宮のパンより、美味い」


 パン窯の精霊が固まった。


 わたしも少し驚いた。


 殿下が素直に褒めるとは思わなかった。


「王宮のパン窯は、疲れていましたから」


 わたしが言うと、殿下はパンを見つめた。


「私は、そんなことも知らなかったのだな」


 その声には、初めて本当の疲れがあった。


 ざまぁ、という言葉で片づけるには、人は複雑だ。


 殿下はわたしを傷つけた。


 それは消えない。


 けれど、自分の愚かさに気づき始めた人間を、ただ笑う気にもなれなかった。


 もちろん、許すかどうかは別だ。


 朝食後、マリア王女は砦の各所を視察した。


 食堂、井戸、寝台、倉庫、門。


 わたしはおうち精霊組合の議事録を提出した。


 王女は全てに目を通し、最後に言った。


「これは、制度化すべきです」


「制度化、ですか」


「王国全土の公共施設に、家守点検を導入します。王宮だけでなく、砦、孤児院、神殿、病院、学校。人が暮らし、集まる場所には、管理と手入れが必要です」


 マリア王女の目は鋭かった。


「ミリア嬢。あなたには、その制度設計に協力していただきたい」


 大きな話になってきた。


 けれど、逃げたいとは思わなかった。


「条件があります」


「言ってください」


「家守を便利な無償労働力にしないこと。報酬、休暇、権限、拒否権を明文化してください」


 王女は頷いた。


「当然です」


「それから、精霊の意思確認を正式な手順に入れてください」


「見えない者の意思を、どう記録するかが課題ですね」


「はい。通訳者の養成が必要です」


 マリア王女は、楽しそうに笑った。


「面白い。王国初の家守制度です」


 その言葉に、砦の精霊たちが一斉にざわめいた。


 地味な家事魔法と笑われた力が、国の制度になる。


 それは、わたし一人の評価を超えた出来事だった。


 だが、その日の午後、監査団に緊急の報告が入った。


 王宮管理局長オルド・フェンが、王都外で捕縛された。


 彼の荷物から、神殿印のある古い契約具が見つかったという。


 精霊を、所有物として縛るための道具。


 その報告を聞いた瞬間、火守りたちが震えた。


 事件は、単なる横領では終わらなかった。



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