第十四話 ふかふかの寝台は、甘やかしではありません
砦に来て四日目、わたしは兵舎の寝台を総点検した。
結果は、想像以上に悪かった。
藁の詰め方が偏っている。毛布は湿気を含んでいる。床板は冷え、窓枠には隙間がある。寝台の高さが合わず、背の高い兵は足を曲げ、背の低い兵は上り下りで膝を痛めている。
そして何より、寝台の精霊たちが痩せていた。
王太子殿下の寝台の子は疲れていたが、まだ怒る力があった。砦の寝台たちは、怒る力もなく、ただ横たわっている。
「これは、ひどい」
わたしは思わず呟いた。
ロイド副長が苦い顔をする。
「兵舎は昔からこうだ。贅沢をさせると気が緩むという考えもある」
「眠れない方が気が緩みます」
「どういう理屈だ」
「睡眠不足は判断力を落とします。見張り中にぼんやりする。訓練で怪我をする。怒りっぽくなる。結果として部隊全体が弱くなります」
前世でも、睡眠不足の人は事故を起こした。
管理会社の現場でも、三徹明けの作業員が脚立から落ちたことがある。本人の根性ではどうにもならない。人の体には限界がある。
「ふかふかのベッドにあったかい毛布、美味しくてあったかい食事。これらは甘やかしではありません。戦う人が明日も立つための設備です」
ロイド副長は、反論しかけてやめた。
最近、彼自身もよく眠れていなかったことを認め始めている。
「では、何からやる」
「寝台を三種類に分けます。すぐ使えるもの、手入れすれば使えるもの、休ませるべきもの。壊れたものは無理に使いません」
「代わりが足りない」
「一時的に食堂の長椅子を使います。ただし、長椅子にも許可を取ります」
ロイド副長は額を押さえた。
「長椅子に許可」
「はい」
「分かった。もう驚かん」
そう言いつつ、彼はまだ驚いている顔だった。
点検は一日がかりになった。
わたしは寝台一つ一つに触れ、軋み、冷え、湿り気を確認する。兵士たちは最初、気まずそうに見ていた。自分の寝床を令嬢に見られるのは落ち着かないのだろう。
だから、わたしは最初に宣言した。
「寝台の状態確認は、兵士個人の評価ではありません。散らかっている、臭い、毛布が汚い、そういうことを責めるためではなく、原因を分けるためです」
それでも、ある若い兵は顔を真っ赤にして毛布を隠そうとした。
「すみません、俺のところ、汗臭くて」
「汗をかくのは体が働いている証拠です。問題は、乾かす場所がないことです」
「怒らないんですか」
「怒るなら、乾かす場所を作らなかった管理体制に怒ります」
若い兵はぽかんとした。
隣の寝台の精霊が、小さく頷いた。
寝台たちが一番嫌がっていたのは、汗や汚れそのものではない。
汚れたまま放置され、それを自分のせいにされることだった。
昼過ぎ、王太子殿下の寝台の子が、わたしの荷物から顔を出した。
まだ休養中だが、砦の寝台たちが心配で見に来たらしい。
「無理しないでください」
わたしが言うと、彼は小さく頷きながらも、兵舎の寝台たちへ近づいた。
王宮の寝台と砦の寝台。
育った場所も、受け止めてきた眠りも違う。
けれど、役目は同じだ。
眠る人を支えること。
王宮の寝台の子は、自分の羽毛のような髪を少しちぎり、砦の寝台の精霊へ渡した。砦の子は驚いた顔をする。
それは、寝台同士の手当てだった。
ふかふかを分ける。
王宮で傷ついた子が、北境で傷ついた子を助けている。
その光景に、わたしは胸が熱くなった。
ロイド副長には見えていないはずなのに、何かを感じたのか、彼は静かに帽子を取った。
「どうしたのですか」
「いや。何となく、礼を言うべき気がした」
「合っています」
その日から、兵舎に「寝台休養日」が導入された。
週に一度、寝具を外し、藁をほぐし、毛布を干す。兵士たちは最初こそ面倒がったが、翌朝の顔つきが違った。
「眠れた」
誰かが呟いた。
「起きたとき、体が痛くない」
「夜中に目が覚めなかった」
そんな小さな報告が増えていく。
グレン様はそれを聞き、正式に寝台整備を軍務の一部として命令した。
「寝台を整えることは、武器を整えることと同じだ」
兵士たちは真剣な顔で頷いた。
その夜、ロイド副長がわたしのところへ来た。
「監督官殿」
「はい」
「副長室の寝台も、見てもらえるか」
「もちろんです」
彼は少し気まずそうに咳払いをした。
「……足音が怖いと言われたからな。寝台にも、何か言われているかもしれん」
わたしは笑いをこらえた。
「聞いてみましょう」
副長室の寝台は、一言だけ言った。
いびきが大きい。
それを伝えると、ロイド副長は真剣に傷ついた顔をした。
砦の空気は、少しずつ変わっている。
怒りと疲労で硬くなっていた場所に、笑いと眠りが戻り始めていた。
けれど、改善が進むほど、隠れていた問題も浮かび上がる。
その夜遅く、黒森の見張り台から警鐘が鳴った。
魔獣ではない。
商隊だった。
ガルム商会の荷馬車が、予定より二日早く砦へ到着したのだ。




