表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/26

第十三話 物資倉庫の子どもと、塩辛すぎる肉




 少年の名はルカといった。


 黒森近くの小さな村で暮らしていたが、半月前に魔獣の群れが来た。村人の多くは砦へ避難したものの、ルカの家族は戻らなかった。彼は避難民の列から離れ、気づけば砦の物資倉庫に潜り込んでいたという。


 言葉は少なかった。


 食堂の端に座っても、背中を壁につけ、いつでも逃げられるようにしている。パンを食べるときも、周囲を確認してから小さくかじる。


 空腹への恐怖ではない。


 奪われることへの恐怖だ。


「食堂へ来ても大丈夫です」


 わたしが言うと、ルカはパンから顔を上げた。


「でも、兵士の人たちの分が減る」


「あなたの分を用意します」


「ただで?」


「避難民の保護費があります」


 ルカは首をかしげた。


 そういう制度を知らないのだろう。


 わたしはグレン様を見る。


「ありますよね」


「ある」


 グレン様はロイド副長へ目を向けた。


「避難民名簿に載せろ。子どもの保護費を出す」


「はっ」


 ルカはまだ信用していない。


 けれど、パン窯の精霊が彼の前に小さな丸パンをもう一つ出すと、目の警戒が少しだけ緩んだ。


「また、たべようね」


 ルカは誰に言うでもなく呟いた。


 パン窯の精霊は、その言葉に大きく揺れた。


 王宮では、パンは当然のように食べられていた。


 けれど、この子にとっては、また食べられる約束そのものが救いなのだ。


 翌日、わたしたちは物資倉庫へ向かった。


 砦の北側にある石造りの倉庫は、外から見ると堅牢だった。だが扉を開けると、湿った匂いがした。


「これは」


 ロイド副長が顔をしかめる。


 棚には乾燥豆、粉、塩漬け肉、干し魚、油、薬草、予備の毛布が積まれている。整理はされているように見えるが、奥の箱ほど湿気を含んでいた。


 倉庫の精霊は、姿を見せなかった。


 代わりに、棚の陰から冷たい視線だけが伝わってくる。


「怒っていますか」


 グレン様が聞く。


「怒りというより、諦めています」


 わたしは乾燥豆の袋を開けた。


 粒が不揃いで、割れが多い。品質が悪い。次に塩漬け肉を確認する。表面の塩が不自然に多く、中の肉は薄い。


「水で戻すと量が減りますね」


 ロイド副長が舌打ちした。


「納品書では標準品だ」


「標準品の価格で粗悪品を買わされています。しかも塩を多くして重量をごまかしている」


 グレン様の目が冷えた。


「業者は」


「ガルム商会」


 ロイド副長が答える。


「先代の頃から付き合いのある商会です。ただ、三年前に代替わりしました」


「マルタさんが亡くなった後ですね」


 わたしは倉庫の床に手を置いた。


 湿っている。


 壁際の通気孔が、古い箱で塞がれていた。誰かが整理の手間を省くため、空気の通り道を潰したのだ。


「倉庫が悪いのではありません。通気を塞がれ、粗悪品を押し込まれ、それでも守れと言われてきた」


 棚の奥で、何かが小さく鳴った。


 わたしはそちらへ近づく。


 古い木箱の陰に、小さな精霊がいた。茶色い布をかぶった、痩せた子だ。胸に錠前のような模様がある。倉庫の守り精霊だろう。


「初めまして。ミリアです」


 倉庫の子は、返事をしない。


「勝手に触ってすみません。中身を確認します。あなたが守っていたものを、粗末に扱った人を探すためです」


 その言葉で、倉庫の子の目が少し動いた。


 わたしは帳簿と現物を照合した。


 粉の量が足りない。


 豆の品質が違う。


 塩漬け肉の等級が低い。


 油の樽は、底に水が混ぜられている。


 ひとつひとつは小さいが、量が増えればかなりのものだ。


「兵士が食べても満足できない理由は、これです」


 わたしは帳簿に印をつけた。


「粗悪品を高値で納め、足りない分を食材費増で補っている。さらに保存状態が悪いので廃棄が増える。食堂の評判が悪くなる。厨房係が責められる。兵の士気が下がる」


「契約違反への怒りだな」


 グレン様が言った。


「はい。倉庫の子も、怒っていいと思います」


 倉庫の精霊が、布の下からこちらを見た。


 怒っていい。


 その言葉を、初めて聞いたような顔だった。


 グレン様はロイド副長へ命じた。


「ガルム商会への支払いを一時停止する。過去三年の納品記録を集めろ。王都にいる法務官へも連絡する」


「はっ」


「それから、倉庫の通気孔を今すぐ開ける。箱の配置を変えろ」


 兵士たちが動き出した。


 ルカは倉庫の入口で見ていた。


 彼は小さな声で言った。


「ここ、夜、寒かった」


 倉庫の精霊が、ぴくりと反応する。


「でも、風が来ない場所を教えてくれた」


 ルカは棚の奥を指した。


「そこ。寝るとき、木の箱がちょっとだけ動いて、隙間を作ってくれた」


 倉庫の子が、布の中に顔を隠した。


 照れている。


「守ってくれていたのですね」


 わたしが言うと、倉庫の子は小さく頷いた。


 諦めていても、完全に仕事を捨てていたわけではない。


 家は、人が思うよりずっと辛抱強い。


 その日の午後、倉庫の整理が始まった。


 通気孔を開け、湿った箱を外へ出し、品質の悪い食材を分ける。使えるもの、使えないもの、すぐ使うもの、乾かせば戻るもの。前世の在庫管理を思い出しながら、わたしは分類表を作った。


 ロイド副長は最初、書類仕事にうんざりした顔をしていたが、数字が見えると表情が変わった。


「これだけ抜かれていたのか」


「まだ推定です」


「十分だ。兵の飯を粗末にした連中には、きっちり払わせる」


 ルカはその横で、豆を選別していた。


 小さな指で割れた豆を分け、使えるものを籠へ入れる。エルンがやり方を教えると、すぐに覚えた。


「上手ですね」


 わたしが言うと、ルカは少しだけ胸を張った。


「村でやってた」


「では、食堂の手伝いをお願いしてもいいですか。もちろん、仕事として」


「仕事?」


「はい。働いた分の食事と、少しのお給金を出します」


 ルカの目が揺れた。


「もらっていいの」


「働くなら、もらっていいです」


 彼は長い時間考え、こくりと頷いた。


「やる」


 パン窯の精霊が、嬉しそうにぽんとパンを出した。


 倉庫の子も、布の下からほんの少し顔を出す。


 砦に、新しい役目が一つ生まれた。


 その夜、グレン様はわたしに言った。


「あなたは、子どもにも精霊にも、同じように契約を作るのだな」


「ただ与えるだけだと、相手の誇りを傷つけることがあります」


「保護と仕事の境目は難しい」


「はい。だから、無理のない範囲で、本人が選べるようにします」


 グレン様は食堂の奥で豆を分けるルカを見た。


「私には、そういう目が足りなかった」


「これから増やせます」


「そうだな」


 彼は静かに頷いた。


 食堂の長椅子が、きしりと嬉しそうに鳴った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ