精霊使いと風の国・5
ノエル達が案内されたのは、貴族階級以上のみ使用することが許された大浴場だった。専用の湯浴み着に着替えると、ノエルはバンダナから金属を外して首元にかざした。淡い虹色の光を放ち、たちまちチョーカーへと姿を変える。精霊銀である。エルトの持つそれと比べて純度は低いが、それは簡易封印としての役割を持たせるための混ぜ物をしているからだ。これがないとノエルは精霊達の声が聴こえすぎてしまうため、何らかの形で常に身に付けていた。
「いつもチョーカーにしておけばいいのに」
「首周りを締め付けられるのは苦手なんだ」
ノエルは首元で淡く輝くチョーカーを手でさする。苦手ではあるが、短時間なら問題はない。使用人に案内されて大浴場の扉をくぐれば、街中では見ないような凝った造りの大きな湯船が目に入る。
「すげー、何人入れるんだ?」
一度に二十人は入れそうな湯船は湯をふんだんに使っており、水道技術の高さを伺わせた。温度調節は魔道具だろうか。宿屋ならまだしも、一般家庭にはまだ風呂は普及しきっていないため、ここまで大きな風呂はとても珍しい。
「お待ちしておりました、ノエル様、エルト様。お身体をお流しいたします」
浴室専属の使用人達が二人に声をかける。
「あの、自分でできますから大丈夫です……」
エルトが遠慮がちに返事をするが、使用人達は笑顔を崩さず二人を椅子に座らせた。
「まあ、そう仰らずに。旅の疲れもあるでしょう。遠慮せず我々にお任せください」
その笑顔は、有無を言わせないものだった。
「つ、疲れた……」
「マジやべえ……」
二人は湯船に浸かりながらぐったりとしていた。あれから二人は使用人たちの手によって頭から爪の間まで徹底的に洗われたのだ。良い香りのする石鹸は見るからに高級で泡立ちも非常に良かった。エルトは髪の毛が血で固まっていたため、念入りに洗髪されていた。旅人である彼らは、基本的に他人に触れられることが得意ではない。目の前の人物は危害を加えてこないと頭では判っていても、体は警戒をしてしまうのだ。
「貴族っていろんな意味ですげえんだな」
「同感だ……」
生き方が根本的に異なることを痛感した二人は、手足を伸ばして貴重な湯船を堪能していた。
湯で温まって終わりかと思っていた二人は、その考えの浅さを後悔していた。
「保湿とマッサージをさせていただきます」
伏し目がちにそう告げた使用人は、香油の入った瓶を指し示すとにっこりと微笑んだ。後ずさる二人を捕まえて寝台に横たえると、その背中に香油を垂らした。
「リラックスしてくださいませ」
「くすぐったくて、無理……っ」
「……っ」
そのくすぐったさに笑いを噛み殺しているノエルと心を無にすることにしたエルトは、短いようで長い時間をひたすらに耐えていた。
「風呂は良かったけどさあ! あれ拷問すぎるだろ!」
「……」
客室に戻った二人は、ソファに沈み込んでいた。世間的には極上の体験とされるケアは、二人にはまだ早すぎたのだ。あの後、マッサージをどうにか終えた二人は貸し出された衣装に着替え、これまた丹念にヘッドマッサージとヘアケアをされてここに戻ってきた。エルトなど細かく編み込みをされている。後ろに流すようにセットされた髪の毛を崩さないようにしながら、ノエルはチョーカーを髪留めに変えて身に付けた。ノエルの精霊銀は混ぜ物がしてあるため用途が装身具に限られている。エルトのように体積まで変化させられないし、道具として使用できるほどの強度もでない。大切な役割があるからと判ってはいても、手元で自在に道具に変化させることができるエルトが少し羨ましかった。
扉が控えめにノックされ、使用人が一礼をして入ってきた。今後の予定を言付かってきたのだ。第一王女サラが風の上位精霊〈風の王〉と無事に契約したことを祝う祝宴はこの後まもなく開催されるらしい。
「立食形式ってさ、好きなもん食っていいんだよな?」
「そうだけど、お行儀良くしろよ、ノエル。あくまでお祝いするのが目的なんだから、浮かれすぎないように」
エルトはノエルに釘を刺すと、ソファから立ち上がって衣服を整えた。ハイネックのタンクトップに足元がゆったりとしたパンツ、透ける素材の布でできた上着を羽織り腰元にたっぷりの布を纏わせた姿は風の国の伝統衣装だ。精霊銀の装身具とも問題なく調和していた。
「よく似合ってるじゃん、それ」
一方のノエルは魔術師の正装である。魔力を織り込んだ生地で作られた衣服は着用者に精霊の加護を与えるとされていた。
「ノエルは衣装が立派すぎて服に着られているみたいだ」
「言っとけ」
ノエルも立ち上がり伸びをすると、二人は顔を見合わせて笑う。旅を始めて一年ほど経つが、今まで生きてきた中でもお城のパーティに呼ばれたのは始めてだ。
「今度親父に自慢してやろ」
「でも父さんはどこかの王様と友達だったって話してなかったか?」
「あー、そうだった。先を越された」
心底悔しそうにノエルは目を覆うと、城の中に鐘の音が鳴り響いた。祝宴の始まりの合図だ。
二人は会場となる大ホールへ向かうため、客室を後にした。
そのホールには大勢の人々が集まっていた。貴族だけでなく庶民の姿もある。皆普段より少し良い衣装を身に纏い、主役の登場を待ちながら歓談している。
「皆の者待たせた。そのままで良いから聞いてくれ」
国王ウェントゥスがよく通る声で宴の始まりを告げると、奥の扉からサラがホールへと入ってきた。髪を結い上げて新緑色のドレスに身を包んだサラは、まるで別人のように見えた。
「皆様よくぞお集まりになりました。わたくしの為にありがとうございます。今宵の宴、充分に楽しんでください」
第一王女としての顔でサラが挨拶をすると、皆に飲み物の入ったグラスが配られた。皆に行き渡ったことを確認して国王が直々に音頭を取る。
「〈風の王〉との契約を祝して、乾杯」
「乾杯!」
皆グラスを上に掲げて、口々に乾杯と唱えた。祝宴はこうして、幕を開けた。
「姫さま、おめでとうございます」
「ありがとう」
サラの周りは既に人だかりができており、とてもではないが近付けない。エルトは壁際に立ちながら空になったグラスを手の中で弄んでいた。
「なあなあ、見たことない食いもんがいっぱいあるんだけど!」
料理を取りに行っていたノエルは、山盛りになっている皿を手にして戻ってきた。その顔はとてもニコニコしている。
「いただきまーす!」
食事の前のお祈りもそこそこに、ノエルは薄切り肉にフォークを刺して口に運んだ。祭りや宴で食事を振る舞われる際は食前のお祈りは簡略化されることがよくある。供される食事そのものが儀式の一環であり、それを口にすることで完結するからだ。
「俺も料理を取ってくるよ」
エルトはそう言い残して料理が乗っているテーブルの方へと歩き出した。人が多く、ぶつからないようにするだけで一苦労だ。給仕に空のグラスを渡すと、エルトは視線を感じて振り向いた。そこには、おめかしをした幼い少女が立っていた。ふわふわの栗毛を耳の上の方で結び、ミントグリーンの伝統衣装に身を包んだ姿はどこかサラを彷彿とさせた。
「妖精さん? それとも王子様?」
栗色の大きな瞳に見詰められて、エルトは瞬きをする。エルトは身を屈めて少女と目線を合わせると、口元に人差し指を立てて小さく囁いた。
「……内緒。お姫さまは好きかい?」
「うん、大好き! 姫さまはね、あたしの憧れなの!」
少女はその場でくるくると回ると、かわいらしくお辞儀をする。
「あ、お父さんが呼んでる。またね、銀色のお兄ちゃん」
エルトは手を振りながら少女が立ち去るのを見送ると、サラのいる方へ視線を向けた。今も多くの人に囲まれており、嬉しそうに話をしている。シオドアの姿はどこにも見えないが、おそらく姿を消して警備でもしているのだろう。
ホールの片隅に配置されている楽団が音楽を奏で始めると、それに合わせて踊り始める人々が出てきた。多数の楽器で奏でる優雅な旋律は、音に厚みがあって街で耳にするものとは違った雰囲気だ。エルトが目を閉じて耳を傾けていると、すぐ隣から声をかけられた。
「銀髪の素敵なお兄さん、良かったら私と踊ってくれませんこと?」
声をかけたのは、豊かな金髪に映える真紅のドレスに身を包んだ妙齢の女性だった。
「それとも、私と踊るのは嫌かしら?」
「え……あの、嫌とかそういうのではないんですけど、この曲を聞くのは初めてで……」
突然の声かけにエルトがしどろもどろになりながら返答していると、不意に手を取られてホールの中央へと連れ出された。
「え?」
「あんまり淑女を待たせるものではなくてよ」
どこか肉食獣めいた雰囲気を纏うその女性は、榛色の瞳をギラつかせながらエルトを強引にダンスのパートナーにしてしまった。腰にエルトの手を添えさせて手を組み、曲に合わせて踊り出せばエルトも自然とステップを踏んだ。
「あら、なかなかやるじゃない銀の妖精さん」
「妖精じゃなくてエルトです。失礼ですがあなたは?」
「レディでいいわ。どうせ今宵限りですもの」
「はあ……そういうものですか」
失礼にならないよう気を配りながら踊っているうちに音楽が終わり、二人は礼をして手を離す。
「ありがとうございました、レディ」
「楽しかったわ、素敵な思い出をありがとう。今夜は忙しいわよ、頑張ってね色男さん」
「はい……?」
レディが視線で示した方を向くと、そこにはドレスに身を包んだ女性達が佇んでいた。エルト達のダンスが終わるのを待っていたのだ。
「あの、次はわたくしと踊ってくださいませんか?」
「その次は私と」
「わたしも、お待ちしていますわ」
年若い少女から老婦人まで、多くの女性がエルトを取り囲む。
「あの……その……わかりましたから順番に、順番に並んでください……!」
エルトは困ったような声をあげて、女性達に整列を促した。
「……それで、律儀に全員と踊ってきたの? なかなか戻らねーと思ったら……!」
エルトの話を聞いたノエルは、バルコニーで腹を抱えて大笑いしていた。
「仕方ないだろ。女性に恥をかかせる訳にもいかないし……」
エルトは手すりにもたれかかると、ノエルから飲み物を受け取って口をつけた。体力的には問題はないが、気疲れの方がはるかに大きい。
「とても、疲れた……」
「お疲れさん。俺は腹いっぱい食ってきたけど、エルトは何か食う?」
「今はいいや……飲み物だけで」
エルトは葡萄酒を一気に飲み干すと大きくため息をついた。
「お二人とも、ここに居たんですね」
サラがシオドアを伴ってバルコニーに姿を現した。旅装と異なる第一王女としての佇まいに、二人は息を飲んだ。
「おめでとう、サラ!」
「おめでとうサラさん、そのドレスとても似合ってるね」
「えへへ……ありがとうございます」
言祝ぐ二人にお礼を述べてサラはお辞儀をした。
「主役が抜け出してきていいのか?」
「ちょっと休憩です」
サラは夜空に向かって深呼吸をすると、目を閉じて耳を澄ませた。
「風の囁き、人々の楽しそうな声、どっちも聴こえるからバルコニーの方が好きかな、なんて」
「まあお姫さまも色々と大変だよな。おれが言えることじゃないけど、無理すんなよ」
「はい、大丈夫です。ありがとう、ノエルさん」
シオドアはサラに椅子を持ってくると、差し出して座らせた。
「ありがとうシオちゃん」
「あまり無理はしないでください、サラ様」
「うん」
シオドアは懐から扇子を取り出すと、サラに向かって静かに扇いだ。サラは少しの間目を閉じて、意を決したようにエルトに向き直る。
「エルトさんにお願いがあるんですけど、いいですか?」
「俺でよければ、何でも」
「笛を、吹いてくださいますか? できれば、精霊に捧げるあの曲がいいです」
「わかった、任せて」
エルトはペンダントにそっと指先で触れると銀色の笛を形作った。高く澄んだ旋律が大気を震わせると、精霊たちが活気付く。それは、この城に多くいる風霊たちも例外ではなかった。名もなき下位精霊が明滅を始めてバルコニーは幻想的な空気に包まれた。
「やっぱり綺麗……」
サラはうっとりとしながらエルトの笛の音に耳を傾けた。流れるような指遣いから紡がれるどこか懐かしい調べは、サラに疲れを忘れさせた。やがて演奏が終わり、精霊たちが静かになるのを待ってサラは拍手をした。
「素晴らしい演奏をありがとうございました。我が国の風霊たちも喜んでおります」
サラは第一王女の顔でエルトに礼を述べた。
「恐れ入ります」
エルトは丁寧にお辞儀をすると、銀の笛をペンダントに戻した。
「エルトさんの演奏をシオちゃんにも聞かせてあげたかったの」
「……私にですか?」
サラは満足そうに頷くと、少し寂しそうな笑顔で呟いた。
「シオちゃんはお仕事が忙しくてこういう機会があまりないでしょ? わたしと一緒にいるときは、綺麗なものを見たり聞いたりして欲しいな、って。……ダメかな?」
「……警備に支障がでない範囲なら可能です」
「良かった。これからは一緒にいろんなものを見ようね」
「はい」
サラの言葉を受けて、シオドアは柔らかく微笑んだ。
「一つ、思い出したことがあるんだ」
夜空の下、四人しかいないバルコニーでエルトはサラに言った。
「俺に笛を教えてくれたヒトは、俺の兄さんだったよ」
「お兄様、ですか?」
「俺の笛の持ち方は、兄譲りだったんだ。それだけ思い出した。一応伝えておこうと思って」
「教えてくださってありがとうございます」
サラがお礼を言うと、ノエルが横から口を挟んだ。
「おれもそれ初耳なんだけど、いつ思い出したんだ?」
「医務室で目が覚めたときだ。昔の夢を見て、それで思い出した」
「……治癒魔術のせいか?」
「それはわからないけど、只の夢じゃないってことは判ったんだ。失っていた幼少時の記憶だと、確信がある」
二人の会話にシオドアが口を開いた。
「頭部の外傷を治癒魔術で治療すると、稀に記憶が戻ることがあると聞いた。だが、確証はない」
「……なるほど」
シオドアの言葉にエルトが頷いた。
「わざわざ試すこともできない以上は噂話の域を出ない。『そういうこともある』、それだけの話だ」
「だよな、記憶喪失になった奴を片っ端から頭ぶん殴って治療する実験とかしないと無理だもんな」
ノエルの言葉にエルトは頭を抱えた。
「それはそうだけど言い方ってものがあるだろ、ノエル」
「治癒師が聞いたら激昂ものだろうな」
シオドアも呆れたようにため息をつく。高い倫理観を持つ治癒師や医師はヒトを傷付ける実験を良しとしない。
「ラムレットさん、間違いなく怒りますね」
サラはラムレットが怒ったときの様子を思い出して震えながら呟いた。
「まあ、エルトの記憶が少し戻ったんなら不幸中の幸いってやつだな!」
ノエルは明るく言い放った。
「……わたし、そろそろ戻りますね」
サラは控えめに言うと、ノエルとエルトの手を握って笑みを浮かべた。
「お二人と一緒にいると、良い風が吹いて楽しい気持ちになるんです。本当に、出逢えて良かった」
「そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ」
「おれも!」
ノエルと目が合ったサラは、彼が朝に言った言葉を思い出して呟いた。
「……長い一日でしたね」
「ほんと、それな!」
夜のバルコニーに優しい風が吹いて、四人を優しく包んだ。やがて手が離れ、室内に戻っていく彼らの後ろ姿を〈風の王〉は人知れず見守っていた。
〈つづく〉




