精霊使いと風の国・6(完結)
宴が終わり、客室に戻ったノエルとエルトは用意された部屋着に着替えるとベッドに倒れ込んだ。
「やっと休める……」
「まだ日記書いてないだろ、ノエル。寝るな」
「そうなんだけどさあ……」
ノエルはのろのろと起き上がって荷物袋から日記帳を取り出すと、あくびを噛み殺して左手に持った鉛筆で文字を書き始めた。何行か書いて日記帳を閉じると今度こそベッドに潜り込んだ。
「ふかふかのベッド最高……」
数秒と経たずに寝息を立て始めたノエルの髪留めをしっかりと付け直すと、エルトも横になる。
「ゆっくり眠れるのは久しぶりだな」
野宿と違って野盗の警戒をしなくて済むのはありがたかった。ベッドに全身を預けてエルトは目を閉じる。夢の世界に誘われるまで、さほど時間はかからなかった。
翌朝、ノエルは夜明けと共に目を覚ました。隣のベッドを見るとエルトはまだ夢の中だ。ノエルはベッドから抜け出して伸びをすると、水差しからコップに水を汲んで一気に飲んだ。頭がしゃっきりしたところでノエルは準備体操を始めた。少し体が温まったところで次は腕立て伏せをする。早起きが得意な彼は、いつもこうしてトレーニングをしていた。他にも腹筋とスクワット、そして素振りを終えて彼はソファに寝転んだ。毎朝続けているのは好きだからではない、父によって課せられているからだ。だが、終わった後の心地良い疲労感は割と好きだった。ノエルはもう一杯水を飲むとカーテンを開けた。空は完全に明るくなっており、朝の日差しが部屋の中に柔らかく入ってくる。部屋が明るくなった為かエルトがもぞもぞと起きだすと、焦点の合わない翠玉色の瞳を二、三度ぱちぱちと瞬かせてぽそりと呟いた。
「……おはよう」
「おはよう、良い朝だぜ!」
ノエルはエルトに水の入ったコップを差し出すと、エルトはちびちびと飲み始めた。
「眠いならまだ寝てればいいのに」
「手帳に昨日のことをまとめたいんだ……」
エルトは空になったコップをノエルに手渡すと、ベッドから降りて荷物袋から手帳と鉛筆を取り出した。机に向かうと手帳を開いて新しいページに文字を書き足していく。
【シルフェリアの〈風の王〉、古くより伝わる王家との契約。それは自由を愛する〈風の王〉が王家の者を気に入っていたからだ。不自由を選ぶのも自由と彼は言っていた。風は、自由のままである】
「こんなところかな……」
エルトは手帳を閉じると満足そうに微笑んだ。
「ノエルの言った通りだったな。〈風の王〉は、面白いから王家と契約してるように見えた」
「サラが小さい時一緒に遊んでたくらいだもんな」
「色々あったけど、知れて良かった」
その時、扉が控えめにノックされ、使用人が二人の服を持って入室してきた。着替えが済んだら朝食の場所まで案内してくれるとのことだ。二人は服を受け取って礼を述べると、扉が閉まるのを見届けてから着替えを始めた。きれいに洗って返却された服は旅の汚れがすっきりと落とされており、袖を通すとなんだか新鮮な気持ちになれた。
「すっげーピカピカ。良い匂いもするし」
「新品みたいだ。すごい洗濯技術だな……」
いつもの服に着替え終わると、ノエルは髪留めを変化させてバンダナに留め直した。これで、元通りである。二人は扉を開けて使用人に会釈をすると、少し離れた場所にある小部屋へと案内された。
「おはようございます、ノエルさん、エルトさん」
案内された小部屋にはサラとシオドア、そして国王ウェントゥスが既に着席していた。ノエルは後ろでエルトが固まる気配を感じた。
「おはようサラ、王様、シオドア!」
ノエルは暢気に挨拶を返す。
「おはよう、二人とも。良く眠れたかね? 今の私は只のサラの父親だ。気を楽にしなさい」
ウェントゥスの言葉にエルトがハッとして言葉を紡いだ。
「おはようございます、おかげさまで良く眠れました。部屋と服を貸していただきありがとうございます」
エルトが頭を下げると、ウェントゥスはにっこりと頷いた。
「さあ、冷めぬうちに食事にしよう。焼きたてのパイを用意させた。口に合えば良いのだが」
テーブルの上には瑞々しいサラダにふわふわのオムレツ、焼きたてのパイと新鮮なミルクが用意されていた。五人は食事の前のお祈りを始めると、ノエルがチラチラとサラの隣にいるシオドアを見た。
(なんでこいつがいるんだ……?)
ノエルの知る限り、シオドアはサラの護衛だったはずだ。護衛というのは、普通一緒に食事をしないものではないのか。お祈りが終わって食べ始めると、シオドアはパイを切り分けてサラの前に置いた。
「ありがとうシオちゃん」
シオドアは恐ろしく正確な手つきでパイをきっちりと五等分すると、それぞれの皿の上に取り分けた。寸分の狂いもなく同じサイズである。
「すごい、器用なんだな」
「シノビですから」
ノエルが心からの称賛を送ると、シオドアは真面目に返答した。
「シオちゃんはすごいんですよ!」
シオドアが褒められてまるで自分のことのように自慢をしたサラは、エルトにパイを勧めた。
「料理長自慢のパイです。エルトさんに食べてほしくて、お願いして作ってもらいました」
「へえ……わざわざありがとう、サラさん」
エルトはパイをナイフで一口大に切ると、そっと口に運んだ。さっくりとした食感にバターの風味、そして少し酸味のある爽やかな甘さの果実が口内に広がって夢中で咀嚼する。
「美味しい……」
「一昨日分けていただいたのと同じ果実を使っています。エルトさん甘いものお好きかな、と思って」
「ありがとうサラさん、とても美味しいよ。夢みたいだ」
彼は甘いものが好物なのである。旅をしていると甘いものは貴重でなかなか食べられない。エルトはもう一口パイを口に運ぶと、幸せそうに噛み締めた。
「これはジャムを使ってますけど、収穫の季節のパイはもっと美味しいんですよ。いつか食べに来てください」
「約束するよ。きっとまた来る」
「そうしたら、今度は皆に笛を聞かせてあげてください。『豊穣の実りの唄』を」
「ああ……!」
サラの言葉に、エルトは大きく頷いた。
ウェントゥスは四人の会話を聞きながら、静かに食事を続けていた。若者達が楽しそうにしている様子を見るのは実に微笑ましい。娘が引き寄せる風の巡りには全幅の信頼を寄せている彼にとって、この日の食事はいつになく充実したものであったと後に日記に記されている。
「サラ様、口元にジャムが」
シオドアが静かに告げるとそっとナフキンでサラの口元を拭う。
「ありがとうシオちゃん」
シオドアは自分も食事をしながら、甲斐甲斐しくサラの世話を焼いていた。
「あのさあ、さっきから気になってたんだけど……」
ノエルは珍しく遠慮がちに口を開いた。
「護衛って、一緒に食事をするもんなのか?」
ノエルのもっともな質問に、サラとシオドアは顔を見合わせた。
「一般的には、しない、と思います……」
サラは少し照れたように呟いた。
「シオちゃんはわたしの幼馴染で、お世話係で、護衛で……家族みたいに育ったの。幼い頃のわたしが食事はシオちゃんも一緒じゃなきゃ嫌だってわがままを言ったから、今も守ってくれてるんです」
「懐かしいなあ。あの時のサラは本当に可愛かった」
ウェントゥスが懐かしそうに口を挟んだ。
「シノビは通常、主人の前で食事はしません。……が、サラ様の願いの方が私には大切だったので」
シオドアが淡々と言った。
「なるほど……」
ノエルは納得をして頷いた。シノビの掟よりもサラの願いを優先する辺り、流石シオドアだと思った。サラは、自分が見たもの聞いたもの食べたものをシオドアと共有したいのだ。
「……」
黙々と食事を口に運び続けるシオドアを、サラは嬉しそうに眺めていた。
食事が終わり、食後の紅茶を飲みながら五人は歓談していた。国王のウェントゥスは話をしてみると意外と気さくな人物で、娘のことを大切に想っているのが伝わってきた。
「お二人はこれからどうするつもりだ?」
「あてのない旅に戻ります。目的は果たせましたし」
ノエルは丁寧な言葉遣いで答えた。
「サラさんのおかげで風の国にまつわる伝承をこの目で確かめることができました。感謝しています」
エルトは〈風の王〉とサラのやり取りを思い出しながら言葉を続けた。
「それは良かった。〈風の王〉はとても自由だっただろう」
「ええ、とても」
「〈風の王〉はこの国の風の吹くところならどこにでも居る。精霊使い殿、話をしたくなったら遠慮なく話しかけてみるといい」
「はは……機会があったら試してみます」
ノエルは少し困ったように笑った。
「あの……一つお聞きしたいことがあるのですが」
エルトはこの話題を切り出しても良いのか悩んだ末に、重い口を開いた。
「なんだね?」
「サラさんの命を狙われた件は、もう大丈夫なのでしょうか?」
「……我が弟のことだな。私はあれが望んだことだと思ってはいない。詳しく調べさせているが、おそらく証拠も出てこないだろう。サラが〈風の王〉との契約を済ませた以上は、過激派の連中も多少は大人しくなるはずだ」
ウェントゥスは淀みなく答えた。
「サラには風の加護があるし、何があってもシオドアが護る。そうだろう? シオドア」
「はい、私がサラ様を一生お護りいたします」
突然話題を振られたにも関わらずシオドアは顔色一つ変えずに肯定した。
「流石だなあ。これってアレか? 命に替えても、ってやつ?」
「いえ……それをするとサラ様が悲しむ、ので、サラ様をお護りしつつ私も生き延びます」
「良い心掛けだ」
ウェントゥスは穏やかな瞳でシオドアを見た。
「話が逸れたが、この国にいる限りはサラの身は大丈夫ということだ。心配してくれてありがとう」
「お答えいただきありがとうございました」
エルトは深々と頭を下げた。ウェントゥスは優しく頷くと、サラの方を見る。サラは落ち着かない様子で紅茶に口をつけていた。
「どうした、サラ?」
「なんというか、その……今更実感が湧いてきてしまって……」
耳まで赤くして俯いている娘の様子を、ウェントゥスは慈愛に満ちた父の顔で見つめていた。
「此度の決定は私の一存ではない。シオドアの希望もあってのことだ。良き風の巡りに感謝をしなさい」
「……はい!」
サラは隣に座っているシオドアに抱きつきながら元気よく返事をした。
* * *
「見送りは別にいいのに」
城の門を潜ったところで、ノエルは後ろを振り返りながら言った。ノエルの後ろにはサラとシオドアが立っていた。
「せっかくですから、ここでお見送りをさせてください」
サラは優雅にお辞儀をすると、二人の旅路の幸運を言祝ぐ。
「ノエラルド・ユラシル、エルティリュート・フィアス。風の民の隣人に良き風の巡りを。二人の旅路に幸運を。風はいつでも、あなた方と共にあるでしょう」
サラの言葉と共に穏やかな風が歌うように流れてゆく。風の祝福だ。
「ありがとう、サラ」
「サラさん、ありがとう」
サラの隣に控えているシオドアがぽつりと呟く。
「サラ様が世話になった。心よりお礼申し上げる」
「シオドアも元気で」
「無理するなよ、シオドア!」
シオドアは軽く右手を挙げると、目元を僅かに細めて口角を上げた。サラとシオドアに見送られてノエルとエルトは手を振りながら歩き出す。頬を撫でる優しい風が吹く。
二人は、もう振り返らなかった。
城下町でジャムと日用品を買い、二人は再びあてのない旅に戻った。
「良い国だったよな、食いもんも美味かったし」
「そうだな」
広い草原でノエルは『枝』を地面に立てて手を離すと、行き先を決める。
「次はこっちだ。そろそろ着くと思うんだけど……」
『枝』の倒れた方が、進むべき道だ。ノエルは迷いのない足取りでどんどん先へと進んで行った。
「……たぶん、ここだな」
やがて二人は見晴らしの良い丘の上に辿り着いた。遠くにはシルフェリアの城が見える。『枝』が導いた先には、一本の大きな樹が聳え立っていた。吹き抜ける風に枝葉がそよぎ、二人を歓迎しているように思えた。
ノエルはバンダナを首元まで下ろして手袋を外すと、大樹の幹に腕を回した。ノエルの両腕では幹を一周するのに全然足りない。長い年月を生きてきた証だ。ノエルは目を閉じて額を樹皮に当てると、樹に向かって静かに呟いた。
「お前の記憶を視せてくれ」
ノエルの意識が大樹の記憶に重なる。それは遥かな昔からこの国を見守ってきた樹の記憶だった。戦火に包まれ焼け野原となっていたこの地に、清浄の風が吹きヒトと精霊が共存するまでの長い記憶をノエルは追体験していた。記憶を視るうちに、樹の意識とノエルの意識が繋がる。
『よく来た、種子の運び手よ』
「〈門〉を探してるんだ。何か知らない?」
『知らぬ。だが、我等ではない。我は遠き未来を待ち侘びるのみ』
「そっか、教えてくれてありがとう」
『我は幸運だ。朽ちる前に世界樹の者と出逢えた』
「おれは只の運び手だよ」
『同じことだ。征く道に祝福あれ』
ノエルの意識が現実に浮上した時、既に空は夕焼け色に染まっていた。
「……戻ったか、ノエル。お疲れさま。どうだった?」
野宿の準備を進めていたエルトは、一旦手を止めて水筒からカップに水を注いで差し出した。ノエルはその場に座り込むと大樹にもたれかかる。カップを受け取って一口水を飲むと、バンダナを元の位置に戻して呟いた。
「この周囲には無さそうだ」
「それが判っただけでも良かったじゃないか」
残りの水を一気に飲み干すと、ノエルは手袋を拾って両手に嵌めた。
ノエルはとある探し物をしていた。遠い昔に預かったものを返すために〈門〉と呼ばれるものを探している。世界樹に繋がるとされる〈門〉は目に見えない。手がかりは、樹々の誰かが握っているかもしれないということだけだった。草木はある程度の範囲で意識が繋がっている。そこから地道に辿るしか、今のところ方法がないのだ。
「なかなか見つからねーよなあ」
ノエルは頭を掻きながらあくびをする。
「『無い』というのも大事な情報だぞ」
エルトは焚き火に薪を追加しながらノエルを窘めた。
「精霊の伝承がある土地は魔力が濃いから、そこを狙おうって言ったのはノエルじゃないか」
「そうだけどさあ……」
エルトは荷物袋から包みを二つ取り出すと、そのうちの一つをノエルに手渡した。サラが持たせてくれた弁当だ。中には具沢山のサンドイッチと共に一枚のカードが入っていた。
【風の国の友人に良き風の巡りがありますように。──サラ・アイラ・シルフィードより】
丁寧な文字で綴られたカードを焚き火にかざすように眺めて、ノエルは自分の日記帳を取り出すとそこに大事に挟み込んだ。エルトも自分の手帳に挟んでいる。
「まあ、良い思い出になったよな!」
「ああ。良い国だった」
二人は拳を合わせると、互いの顔を見て笑った。
「そういえばあの時、どうしてサラさんに声をかけたんだ? 彼女、隠れてただろ」
食事を終えて落ち着いた頃、エルトはずっと疑問に思っていたことを口にした。
「ああ、それか? ……それはさ、風が教えてくれたんだ」
ノエルはカップに入ったお茶を冷ましながら啜って言った。
「それなら納得だ」
「風霊たちがさ、すごかったんだぜ。こっちこっち! って」
お茶を全て飲み干してカップを置くと、ノエルは傍らにある寝袋に入りながらエルトに言った。
「明日はどんな楽しいことが待ってんだろな?」
「ノエルはいつでも楽しい奴だろ。早く寝ろ」
「それもそうだな、おやすみ!」
焚き火と風の音を子守唄代わりに、ノエルは目を閉じる。月の明かりが満天の星空の気配に満ちて、包み込むような大地の温もりに身体を預ける。彼はゆっくりと深呼吸をすると、たちまち夢の世界へとその意識を沈ませた。
【風の国に着いたおれたちはサラという少女に出逢って事件に巻き込まれた。まあまあ大変だったけど良い国だったよ。飯も美味かったし。──ノエルの日記より抜粋】
〈了〉




