精霊使いと風の国・3
大きな岩に挟まれるようにして、ノエルとサラは土砂に生き埋めになっていた。『枝』を立てて大岩と大岩の間に隙間を作り、なんとか二人が入り込める程度のスペースを維持している。
「明かりを頼む」
光の精霊がノエルの周囲をぼんやりと照らす。サラは気を失っているようだった。
あの爆発のとき咄嗟にサラを抱き寄せたノエルは、自分の身を盾にしてサラを庇った。自己犠牲精神などではない。そうするのが最適解だったからだ。この世界で、ヒトの悪意を除いてノエルを傷付けられるものはいない。熱を帯びた爆風も押し寄せる土砂も、ノエルにとって脅威ではなかった。だが、サラにとってはそうではない。どんな事情があるにせよ、目の前の少女が傷付くのは嫌だと、単純にそう思ったから行動したにすぎない。
「さて、どうしたもんかな……」
ノエル一人であれば脱出は容易い。ただ精霊に命令を下して外に出るだけだ。しかし今はサラを連れている。正体を明かしてしまえば物事は簡単に治まるが、今後のことを考えるとそうもいかない。
「……?」
ふと、精霊たちが騒いでいる気がしてノエルは頭に着けているバンダナを首元にずらした。普段は彼らの声が聴こえすぎてしまうため着用している簡易封印だ。
『──』
彼らの声はヒトの言葉とは異なる独自の言語だ。発声というより思念に近い。精霊たちのざわめきの中から一つの思念を拾い上げて、ノエルは片眉を上げた。
「……へえ?」
この土の中で風霊がざわめいている。気を失っているサラの周りを囲むようにふわりふわりと浮かぶ風霊たちは、皆彼女の心配をしているようだった。ノエルの身を周囲の精霊たちが護るように、サラもまた風霊たちによって護られていたのだ。
『サラ、マモル、シメイ』
「おれも同じ気持ちだよ。サラを守りたいって思う。ここから出るのに力を貸してくれないか?」
『ヤダ。サラガイイ』
「そっかー」
ノエルはニコニコしながらサラを見た。基本的に精霊は皆ノエルの味方だ。ノエルの提案を拒否する風霊は彼にとって新鮮な体験だったのだ。
「風霊がいるなら空気の心配はなさそうだ。助かる」
『サラ、オキロ』
「そのうち起きるよ」
ノエルはサラが目を覚ますまで、『枝』で地面を支え続けた。
次にサラが目を覚ましたとき、目に入ったのはバンダナを外しているノエルの顔だった。心なしか疲れているように見えた。
「おはよう、サラ。痛いところとかない?」
「ええ……ここは?」
「何かが爆発して、おれたちは土の中に埋まってる。大岩のおかげで土に隙間ができたんだ」
『枝』を示してノエルはサラに現状の説明をした。ほんの少しだけ上体を起こすと、サラは『枝』を見て驚いたように言った。
「そんな細い棒でこの空間を……? 折れたりしないんですか?」
「これは絶対に折れないから大丈夫。それより改めて自己紹介をしたいんだけどいいか?」
ノエルは今までで一番真剣な目つきをしてサラに問いかけた。
「おれはノエラルド・ユラシル、精霊使いだ。キミは一体何者なんだ?」
「わたしは……」
サラは左腕に巻いてある包帯を外しながら、静かな声で答えた。
「わたしはサラ・アイラ・シルフィード。この国シルフェリアの第一王女、代々風の上位精霊と契約している王家の者です。あなた方を巻き込んでしまって申し訳ありません……」
サラが包帯を外し終えると、風霊たちが一気に騒ぎだした。
「あなたたちもごめんね。着いてきてくれたんだね」
魔法文字の刻まれた包帯は、その役目を終えたのか宙に塵となって消えた。
「訳あって魔法の力を封じていました。けれど、このような事態となってはそうも言っていられません」
「つまり……?」
「わたしは風の魔法が使えます。……ノエルさんも魔法が使えたんですね」
「まあ、そんなとこ。魔術ってことにしてたけどな。おれは全ての精霊を従えることができる」
ノエルは『枝』に力を込めながら言った。
「今もこうして、土の精霊に命令して空間を維持し続けてる。サラが風の魔法を使えるなら話が早いな。できるだろ? 脱出」
「任せてください……!」
サラは意識を集中して風霊の気配を辿る。魔力を対価に彼らの力を引き出せば、微風はたちまち暴風となり土砂を吹き飛ばした。
* * *
山の上でエルトが意識を失ってからしばらくして、その地に現れた者達がいた。その数は五名。全員黒装束を身に纏い、顔は鼻先まで黒い布で覆って隠している。
「隊長、生存者一名発見しました」
「弐と参は情報収集、肆は城に戻って現状報告、伍は生存者の手当を頼む」
「はっ」
四人の人影はその場で散ると、隊長と呼ばれた人物は周囲を見回した。三人が襲われているのを遠眼鏡越しに見ていたが、まさかここまで大規模な山崩れを引き起こすとは完全に想定外だったのだ。
「事故を装って亡き者にしようとしたのか……」
あの三名の刺客は命を惜しんでいなかった。命を賭けられるほどの何かに傾倒していたのは間違いない。
「この国であの方が命の危険に晒されるなどあり得ないことだが、何も知らされていないのか……?」
隊長と呼ばれた男は一人の少女を思い浮かべた。記憶の中にいる彼女は、いつだって笑顔だ。この国の宝であり、風に護られた精霊の愛し子。
「姫さま、どうかご無事で……」
「……隊長、生存者が目を覚ましそうです」
「わかった、すぐ行く」
遠くから声をかけられ、隊長と呼ばれた男は振り返ると足音もなく走り去った。
「う……」
魔術で作られた氷で頭を冷やされていたエルトは、程なくして目を覚ました。ぼんやりとした視界に映る黒装束の人影に臨戦態勢を取ろうとするが、痛む頭にそれは阻まれた。
「我々は敵ではありません。頭を強く打っています、無理をしないで」
伍と呼ばれていた黒装束の小柄な女は起きあがろうとするエルトを無理矢理寝かせると、頭に氷を当て直した。
「お前達は何者だ……」
「それには私が答えよう」
隊長と呼ばれていた男はエルトのすぐ隣で片膝をつくと、覆面を顎まで引き下げて一礼した。
「私はシオドア。我が国シルフェリアの親衛隊に所属しているシノビだ。この者は同じくシノビで私の部下だ。我が国の騒動に巻き込んでしまったことを、まずはお詫び申し上げる」
黒髪の青年シオドアは、射るような黒い瞳をまっすぐエルトに向けて言葉を続けた。
「同行していた少女は我が国の第一王女だ」
「サラさんが……王女?」
「あなた方は、我が国の慣習行事と王位継承権の争いに巻き込まれた形になる。本当に申し訳ないことをした」
「ちょっと待ってください、王位継承権とか、そういう話……?」
エルトは痛む頭に眩暈が加わるのを感じた。サラは普通の少女ではないと薄々感じていたが、まさか王女だったとは。
「失礼を承知で、あなたに伺いたいことがある。例の刺客は、最期に何と言っていたのか覚えてはいないだろうか?」
エルトは、あの爆発を引き起こした禿頭の男を思い出した。確か、こう言っていたはずだ。
「……『ヴァン閣下、万歳』、そう言っていた」
「……やはりそうか」
シオドアはエルトの言葉に目を伏せた。
「ヴァンは現国王の双子の弟で、現在は大臣を務めている。第一王女の叔父にあたる人物だ。最近息子が生まれたため、従兄弟王子を王位にと過激派が主張し始めている。犯人はこの過激派で間違いはないだろう」
シオドアは淡々と続けた。
「第一王女は王位継承権を得るための旅の途中だったのだ。命を奪えなくても、この旅に失敗すれば従兄弟王子に王位継承権を得る機会が回ってくると考えたのだろうな……」
「……なんで俺にそんな話を?」
「巻き込んでしまったせめてもの詫びだ。そもそも秘匿された情報ではない。我が国について少し調べれば分かる話だ」
シオドアは小さくため息をついた。
「客人が無事で良かった」
心からしみじみと呟く彼の姿に、エルトは妙な親近感を覚えた。
「確かに巻き込まれてしまったかもしれないですけど、そもそも旅の同行をお願いしたのは俺たちの方からです。気にしないでください」
「そう言ってもらえると助かる。さて、我々は当初の予定通り神殿を目指すことになるのだが、歩けるか?」
「勿論」
エルトはシオドアの手を借りて立ち上がると、ふらつく頭を押さえて大地をしっかりと踏みしめた。
「我々も手を貸そう。城に戻れば治癒師もいる。無理そうならそちらへ送る」
エルトは腰のポーチから一枚の葉を取り出すと口に含んで噛み始めた。鎮痛の効果のある植物の葉だ。
「俺なりに目的があるので。這ってでも着いていきますよ」
「……心強いな」
エルトは近くに転がっていた荷物袋を拾い上げると、神殿に向かって歩き出した。
* * *
ノエルとサラが再び青空を拝んだとき、彼らは空中に浮いていた。
「すげー、おれたち空飛んでる」
「喋ると舌を噛みますよ!」
風の魔法で土中から脱出した二人は、球状の風に覆われてそっと地面に着地した。纏っていた風がほどけて空に還る。ノエルはその場で大の字になって転がると大きく深呼吸した。
「あー、もー、すっげーギリギリだったー!」
サラが目覚めるまでの間、広範囲の地面を動かないように固めていたのだ。普通の魔術師だったら昏倒ものである。
「助かったよ、サラ。サンキューな」
ノエルはバンダナを元の位置に戻すと、へらりと笑って言った。
「こちらこそ。ノエルさんがいなかったらどうなっていたか……」
サラはその場に座り込んで膝を抱えた。
「魔法、使っちゃったなあ……」
「……その、さ。なんで魔法の力を封じてたんだ? 何か理由があるんだろ?」
ノエルは今日の天気を聞くような調子でサラに尋ねた。
「……我が国の王位継承権は、風の上位精霊〈風の王〉との契約ができた者に与えられます。わたしは王位継承権を得るために、〈風の王〉の元に向かう途中でした」
「ふむふむ」
「〈風の王〉の元へ向かう際にはいくつかの決まりごとがありました。城から一人で向かうこと、徒歩で移動すること、そして、魔法を使わないこと」
「なるほど?」
「〈風の王〉の真意はわかりませんが、それらは王家の者が一般の民の暮らしを知るためにも欠かせないものです。わたしは、幼い頃から使えた風の魔法を封じて旅に出て、あなた方と出会いました」
サラは少し寂しそうに笑うと、埃を払って立ち上がった。
「魔法を使ったことでこの旅が失敗に終わったとしても、わたしは後悔をしない。胸を張って進みます」
「うん」
「行きましょうノエルさん、だいぶ流されてしまったけど、風の神殿はもうすぐそこです」
「そうだな」
ノエルも立ち上がると、髪や服についた土埃はひとりでに地面に落ちていった。
土砂にまみれた谷底から斜面を登るのは、足元が柔らかく傾斜もあるため困難な道だった。ノエルは少し考えてから『枝』を地面に突き刺すと、土の精霊に命令をした。
「お前ら並んで固くなれ」
『枝』が刺さった場所から上方面に伸びるように土が淡く輝いたかと思うと、二人分の幅の地面が固く踏みしめられたかのように変化した。
「これくらいしてもいいだろ」
サラに隠す必要がなくなったのをいいことに、ノエルはちゃっかり整地したのだ。今ならエルトも見ていない。
「悪路ばっかじゃ気が滅入るだろ? 楽しくいこうぜ!」
すっかり固くなった地面の上でノエルは踊るように進み出た。サラもそれに続くように歩みを進める。風は静かに、二人の隣を吹き抜けていった。
「ノエルさんって、全然汚れないんですね? 精霊使いだからですか?」
サラは自分の足元やマントを見てノエルに質問した。先ほどから土に埋まったり泥だらけの中を歩いたりしているおかげでどこもかしこも土まみれだ。それに比べて、ノエルは服も足元も土が全然ついていない。
「よく気付いたなあ。秘密だぜ。土の精霊たちのおかげだな」
「いろんな形の加護があるんですね。わたしは、転んでも怪我をしたことないんです。風が受け止めてくれるから」
「わかるー」
ノエルは小さい頃を思い出して頷いた。
「木の上から落ちたり屋根の上から落ちても平気なんだよな、あれ」
「そんなヤンチャをしてたんですか……。わたしは、小さい時から当たり前のように風の声を聴いて育ったんです。だけど、力を封じて聴こえなくなったとき、わたしは不便さを感じると同時に不安にも襲われました。風は、ずっとそこにあるのに」
サラは生まれて初めて、自分のことがちっぽけな人間であることを認識した。
「旅の途中で出逢えたのが、あなた方で良かった」
刺客に命を狙われたとき、風の加護は変わらずそこにあった。
「サラが気付けたこと、きっと無駄じゃないよ。大丈夫」
ノエルはサラを励ますように微笑みかけると、右手を差し出して握手を求めた。
「……ありがとうございます」
サラは申し訳なさそうな笑みを浮かべてノエルの手を取ると固く握手を交わした。
「……あ、神殿が見えてきました」
鬱蒼と茂る森の中で、サラは前方を指差してノエルに告げた。草木に沈み蔦に覆われた白亜の神殿は、詣でるヒトの少なさを物語っていた。
「うわ……存在を知らなきゃ見落としちまうな」
一見廃墟のようにも見えるが、入り口の前に立つと、しんとした空気が張り詰めているのがわかる。上位精霊と縁のある地であることは一目瞭然であった。
「ちょっと待ってサラ。一応お姫さまなんだろ」
そう言ってノエルはサラの背中をポンと叩くと、その衣服から泥と土が地面に流れ落ちた。
「これでよし。綺麗な方が失礼がなくていいだろ」
サラは一瞬で汚れが落ちるのを目を丸くして眺めていたが、我に返ってお辞儀をした。
「あ、ありがとうございます!」
「さて、無事に姫君をお届けにあがった訳だし……いるんだろ、出てこいよ」
ノエルが入り口横の木の向こうに声をかけると、木にもたれかかるようにしてエルトが立ち上がるのが見えた。身体中土まみれで、頭には包帯が巻かれている。
「わあ、すっげえボロボロになってる」
「怪我はそんなにしてないから大丈夫だ」
二人は再会を喜ぶわけでもなく、ただ軽口を叩き合った。
「葉っぱ噛んでるじゃん、痛み止めのやつ」
「三枚だけだ」
「痩せ我慢」
「うるさい」
エルトはゆっくりと二人に近付くと、サラに向かって跪いた。
「事情を知らなかったとはいえ、数々のご無礼失礼致しました、サラ様」
「え……? あの、その、顔を上げてくださいエルトさん」
サラは困ったようにエルトの後頭部を眺めていた。チラリとノエルの方を見れば、気まずそうに視線を逸らしている。
「事情を隠してたのはわたしなので、その、お願いですから顔を上げてください」
エルトはサラの言葉に従い顔を上げた。その整った相貌は明らかに顔色が悪く、無理をしているのが見て取れた。
「……エルトさん、お怪我は大丈夫ですか? 無理はしないでください」
「ご命令とあらば」
「命令……じゃないですけど、できれば接し方も戻してほしいなあ、なんて」
サラはもじもじと指を捏ねながらエルトにお願いをした。傅かれるのには慣れているはずなのに、エルトにそれをされるのは何かが違うと思ったのだ。
「お二人はわたしの恩人ですし友人です。今まで通りの接し方でお願いします」
サラはエルトに深く頭を下げた。エルトはしばらく考えてから立ち上がると、右手を差し出した。
「俺はエルティリュート・フィアス。水の精霊と契約をしている。事情はそちらの国のヒトから聞いたよ。改めてよろしく」
「わたしはサラ・アイラ・シルフィード。改めてよろしくお願いします、エルトさん」
サラはエルトの右手を取ると嬉しそうに握手に応じた。そのとき──
『良き風の巡りに出逢えたようだな、姫よ』
三人は歌うような風の声を聴いた。
「〈風の王〉……!」
姿は見えないが、確信があった。サラは一歩前に進み出ると〈風の王〉に呼び掛けた。
「古き盟約に従い風の国の第一王女・サラが参りました。〈風の王〉よ、わたしと契約を……」
『まあまあ、立ち話もなんだし中に入りなよ。今開けるね』
声が止まぬうちに神殿の扉が軋む音を立てて開き、三人は呆然と立ち尽くした。
『突き当たりを右に行ったところで話をしよ。怪我人いるんでしょ、急がなくていいから』
声が遠くなり気配が消えると、ノエルはエルトに耳打ちをした。
「今のマジ上位精霊? ノリ軽すぎない?」
「俺にも声が聴こえてるんだから風の上位精霊に間違いはないだろう」
ヒソヒソ声で会話をしている二人をよそに、サラはフラフラと前に進んだ。
「今の声……間違いない……でも……」
サラは何かを確かめるように、独り言を繰り返す。
「〈風の王〉、あなたは……ふーちゃん?」
サラは物心がついた頃から風霊と共にあった。中でも『ふーちゃん』と呼ばれる風霊とはよく一緒に悪戯をしたものだ。悪戯がバレて父王に叱られているときは真っ先に姿を消していたが、それでも良き遊び相手だった。
「……この先に進めば、全てが解る」
今サラの心を支配しているのは恐怖だった。旅の途中では考える余裕がなかったが、もしも〈風の王〉に拒絶されたらと思うと歩みが遅くなる。この旅に失敗したら、また諦めずに挑戦すれば良いと思っていた。だが、実際に〈風の王〉の声を聴いて確信をした。そもそも、この儀式のずっと前から契約者として相応しいかを常に見定められていたのだ。
あの曲がり角を曲がれば、全ての答えが出る。
サラは深呼吸をして立ち止まると、不意に温かいものが両肩に触れた。
「だいじょーぶ、元気出せって」
「自然体で、笑顔を忘れないで」
ノエルとエルトがサラを励ますように背中を押した。精霊との縁が深い二人の言葉は、サラにとって心強いお守りになる。
「……はい!」
サラは笑顔で一度だけ振り向くと、もう迷わなかった。
『よく来たな、風の国の姫よ』
天井の高い小部屋の中央には、古い石像が建っていた。〈風の王〉を模したものだと伝えられている、建国の時代から存在している石像だ。声は、この石像から響くように発せられている。
「始祖シルフェリアが末裔、サラ・アイラ・シルフィードが参りました。先ほどのご無礼お許しください」
『いいよ、気にしなくて。それよりさあ、さっきの挨拶ちょっと威厳なかった?』
威厳のある石像が持つイメージとは程遠い声が小部屋の中で反響する。ケラケラと笑うような声は、まるで幼い子どもが悪戯をしているときのようだった。
「……やっぱり、ふーちゃんでしょ!」
サラは丁寧な言葉遣いも忘れて〈風の王〉に問いかける。
『そうです、キミが小さい頃よく一緒に遊んでいたふーちゃんです。姿見せようか?』
石像の後ろからちょこんと姿を現したのは、ヒトの頭程度の大きさをした風の上位精霊・〈風の王〉だった。
『お久しぶりー。サラは相変わらず元気そうだね……大きくなった!』
「どういうことか説明をしてくださいますか? わたし、ふーちゃんが〈風の王〉だなんて聞いてないですよ」
『そりゃあ、内緒だもん』
〈風の王〉はあっけらかんと答えた。
『ふーちゃんはね、昔からお城で遊んでいる風霊なんだよ。そういうことになってるの』
「昔から……お城で……」
『そう。どっかで聞き覚えあるでしょ?』
「王家と〈風の王〉……」
『正解。さて、ここで本題に入ろうか?』
〈風の王〉はサラの目の前に浮かぶと、指を一本突き立てた。
『キミは此処に何をしに来た?』
「それは……契約を……」
『そう、契約。キミがボクと契約するのに相応しいのか、確かめる必要がある』
〈風の王〉は大きな目を細めながら言った。
『でも、そんなものはとっくの昔から答えが出ている。必要なのは、今ここにある覚悟だ』
「覚悟……」
『此処に来るまでに魔法を使ったね? どうしてだい?』
サラは息を飲んだ。精霊に嘘は通用しない。
「それをしなければ、今此処に立てなかったからです」
『しきたりが守れなくなるとは考えなかった?』
「考えました。考えて、そうしました」
『後悔はしてる?』
「していません。その選択が正しかったと、胸を張って言えます」
『うんうん。実に自由だ』
〈風の王〉はサラの答えに満足そうに微笑んだ。
『サラは旅の途中で不自由を知り、そして自由を知った。風の心は〈自由〉、何物にも縛られないことがボクらの矜持』
〈風の王〉はくるくると回りながら歌うように告げた。
『不自由であることを選ぶのも自由。ボクらは、サラを歓迎する』
「……つまり?」
『契約をしよう、シルフェリアの末裔サラ、ウェントゥスの娘よ。心のままに成すべきを成せ』
「……ありがとうございます!」
『左手をここに』
サラが〈風の王〉に左手を差し出すと、その手の甲にうっすらと紋章が浮かび上がった。契約の印だ。
『風はいつでも共にある。善き隣人であれ、風の国の姫よ』
〈風の王〉はそう言いながら姿を消すと、辺りには静寂だけが残された。
サラと〈風の王〉の契約は無事に終わり、その一部始終を見守っていたノエルとエルトは緊張感から解放されて床に座り込んだ。
「なにあれ、圧すごすぎる」
「対等に話せるサラさんが特殊すぎる……」
〈風の王〉は喋り方こそ砕けていたものの、その威圧感は流石は上位精霊というものだった。
「お二人とも、大丈夫ですか?」
心配そうな表情で駆け寄ってくるサラに笑顔を返すと、ノエルは左手を掲げてハイタッチをした。
「やったじゃん、サラ!」
「はい! おかげさまで!」
サラはノエルの隣に座っているエルトの方を向くと、次は控えめなハイタッチをする。
「おめでとう、サラさん」
「はい、ありがとうございます」
怪我に響かないようそっと手を重ねると、サラは何かに気付いたように立ち上がった。
「……城の者が来ているみたいです」
「ほんとだ。気配が五つある」
やがてサラたちの目の前に現れたのは、黒装束に身を包んだ五人のシノビたちだった。先頭にはシオドアが立っている。
「〈風の王〉との契約成立、おめでとうございますサラ様」
シノビたちはサラの前で跪き、シオドアが静かに告げるとサラは肩を震わせながら大声で怒鳴った。
「聞いてない! シオちゃんが来るなんて聞いてない!」
「サラ様、落ち着きなさいませ」
シオドアは冷静に言った。
「本日の任務は国王陛下のサプライズにございます」
幼少期のサラの遊び相手は、風霊のふーちゃんとシノビ見習いのシオドアだった。サラより四つ歳上の彼は、サラの頼み事ならば全てを叶えようとする真面目な男だった。
「シオちゃん、おおきくなっても、いっしょにいようね!」
「努力いたします」
目標に向けて淡々と努力を積み重ねるのを得意とするシオドアにとって、サラの頼み事を叶えるのは優秀なシノビであることと同義だった。死なないこと、そして強くあること。
「ずっと、一緒にいようね」
子どもの頃の約束を守り続けて成長した彼は、一人前のシノビとして任務に就くようになっていった。
「ずっと、一緒にいたいね……」
時に死戦を潜り何ヶ月も国に戻らないことさえあった。過酷な体験はシオドアを優秀なシノビへと成長させた。
ある日シオドアに課せられた任務は、次期王位継承候補の親衛隊長として与えられた任務だった。即ち、サラをこの先一生護衛せよとのことである。
現国王ウェントゥスは、賢王として名高いが愛娘を溺愛する父親でもあったのだ。
サラによってその両頬をこれでもかというほど伸ばされたシオドアは、本日の任務について護衛対象に淡々と説明を行なっていた。
「つまり、サラ様の今後の護衛役として私が任命されましたので、以後よろしくお願い致します」
「言い方がダメ。もっと昔みたいに言って」
「サラ様の」
「ダメ! 様付けないで」
「……サラ、ずっと一緒という約束を叶えてきた。これから先は私が護る」
「……シオちゃん!!」
サラはシオドアに抱き付いて嬉し涙を流していた。この優秀な幼馴染は、この先もっと遠いところに行ってしまうものだとばかり思っていたからだ。
「サラ様、私はあなただけのシノビです」
「うん……うん」
「あのさあ、どういうことなのかさっぱりわかんねーんだけど……」
すっかり二人の世界に入っている状況に、ノエルは説明を求めた。
「あっ、取り乱してしまってすみません」
サラはシオドアから離れると、手をパタパタと動かして説明を始めた。
「……シオちゃんは子どもの頃からわたしの遊び相手でお世話係だったんです。だけどシノビとして成長して外での任務が増えていったから、もうわたしとは一緒にいられないかと思ってて、それで……」
「一生サラ様をお護りせよという任務を与えられ戻って参りました」
「お父様から、迎えにはわたしの親衛隊長になる者を寄越すとだけは聞いていたの。でもそれがシオちゃんだったなんて……」
「国王陛下も粋なことをなさいます。一介のシノビにこのような栄誉を与えてくださるとは」
口調は淡々としているが、サラを見つめるシオドアの瞳は優しいものだった。表情と感情を隠していても伝わってくるこの空気は、シオドアの嬉しさを表していた。
「よくわからねーけど、良かったじゃん。なあエルト……エルト?」
「……」
エルトは壁にもたれかかって座ったまま気を失っていた。
「いけない、やはり頭の怪我が……伍、診てくれ。姫さま、国王陛下からの許可は得ています。護衛を二名残して、客人を治癒師に診せるため城にお運び致します。完全に気を失っている今ならば、荷物として風脈で運べる」
シオドアは伍と共にエルトを抱き抱えると、風脈に乗る準備を始めた。
「わかった。わたしたちは風に乗って空から帰ります。ノエルさんもそれでいいですね?」
「ああ……荷物はおれが持ってく。エルトをよろしく頼む」
「承知した」
ノエルはシオドアたちが風脈に乗るのを見送る。その姿が空間を僅かに捻じ曲げて空気に溶けるような消え方をしたとき、ノエルは不謹慎ながらも面白いものを見てしまった高揚感で胸がいっぱいになっていた。
(すげー! 精霊が還るのに似てた! 向こうの世界にヒトって入れるんだ……!)
風の国のシノビは、人間の世界とは少しずれた場所にある精霊の世界の風霊の通り路〈風脈〉を使用することができた。完全に精霊の世界に入る訳ではなく、あくまで通り路を借りているにすぎない。特殊な技術と特殊な訓練が必要であり、これらは危険も伴うため一般には公開されていない彼らだけの特技だ。簡単に言うならば、風霊の通り路を利用した瞬間移動である。
「エルトさん、大丈夫でしょうか……」
サラが心配そうに呟く。
「まあ、大丈夫だろ。精霊たちがそこまで大騒ぎしていないし」
「そういうものですか?」
「そうそう。おれたちも城に向かう?」
「はい。皆さん、外へ出ましょう。空が見えるところまで行ったら風の魔法で移動します」
風の神殿の出口まで歩いてから、ノエルはひとつ深呼吸をした。この地の風霊は本当にサラが大好きなのだと嫌でも伝わってくる。
(視えてねーんだろうなあ、こいつらのこと。群れすぎてサラの顔とか良く見えねーもん)
ノエルの視界には風霊がサラにまとわりついていて、サラが一歩あるくごとにポロポロと落ちてゆくのが見えた。
(おれが今風の魔法使っても、威力が半端になるだろうなあ。無理矢理命令したい訳でもないし)
青空が少し見える所まで移動した彼らは、サラを中心にして立って魔法の発動を待っていた。
「サラ大丈夫?」
「はい。風の魔法で移動するのは昔からやってますし、この神殿も子どもの頃に来たことあるので、帰り道もバッチリです。空を飛ぶので、舌を噛まないよう気を付けてください……いきます」
風が集まって足元がふわりと浮かぶ。集まった風はやがて球状になり、四人は立ったまま空へと昇っていった。
「すげー、鳥と同じ高さだ」
「このまま城まで行きます……!」
四人を包んだ風の球は、馬よりも速く空を駆けていった。流れる景色を楽しむ間も無くあっという間に王都上空へと到達した。
「あっ、皆さん、これから着地しますが受身は各自で取ってください!」
降下中のサラのその一言でシノビの二人は風脈に飛んだ。
「サラ、それってどういう……?」
ノエルの言葉に、サラは少し照れながら答える。
「わたしの場合風が受け止めてくれるから、安全に着地させるのがちょっと苦手で……」
「さっきは出来ただろ?」
「あれは短距離だったから……今回は遠距離で速度も出てますし……。ノエルさんなら大丈夫ですよね!」
サラは申し訳なさそうな笑顔でノエルに告げた。
「あー! 謎に信頼されてる⁈」
「なるべく、土の上に着地しますから……!」
みるみる地面が迫っていく。二人を包んだ風の球は、王城の中庭の草地に土埃をあげながら豪快にめり込んだ。
〈つづく〉




