精霊使いと風の国・2
食事を終えてひと息つく頃には既に夜は更けていた。カップに水と茶葉を入れて茶を沸かしながら、エルトは首にかけているペンダントに指先で触れた。精霊銀でできているそれは、所有者のイメージで形を変える性質を持つ。淡い虹色の光に包まれながら細長い筒状のものに変化していくと、それはたちまち横笛の形をとった。
「……」
静かに構えてそっと息を吹き込むと、高く澄んだ音が大気を震わせた。
「──」
月光に照らされた夜の森は、静かな祀りの場と化していた。柔らかな笛の音が紡ぐ旋律は、精霊への捧げ物なのだ。
「……綺麗」
名もなき下位精霊たちが明滅し草木をぼんやりと照らす。夜空に瞬く星々が霞んでしまうほどの幻想的な風景に、サラは息を飲んだ。
「水の精霊はキラキラしたものと音楽が好きみたいでさ、エルトは時間があるとこうして感謝を捧げてるんだ。マメな奴だよな」
ノエルはこっそりとサラに耳打ちをした。なるほど、月の輝きを集めたような銀髪を持つ彼が銀の笛で奏でる旋律はなによりの供物なのだろうとサラは思う。心地良い、どこか懐かしい調べにサラは耳を傾けた。やがて笛の音は空気に解けるように消えてなくなり、夜の森は静寂に包まれた。
パチパチと焚き火の爆ぜる音が余韻を連れてくる。サラは思い出したように拍手をすると、銀の髪を揺らしてエルトが一礼をした。
「聴いてくれてありがとう」
「すごい……素敵でした。こちらこそ聴かせてくださってありがとうございます」
「楽しんで貰えたなら幸いだ。次は楽しい曲を吹こうと思ってるんだけど一緒にどうかな? 何か知っている曲があれば教えて」
「『豊穣の実りの唄』とかどうですか? まだちょっと時期には早いですけど、わたしあの曲が好きです」
『豊穣の実りの唄』は、収穫期を迎えた人々が大地と精霊に感謝を捧げる曲だ。曲調は明るく、人々が輪になって踊ったりしながら歌う曲として広く知られている。
「いいね、それでいこう。……ノエルは無理して歌わなくていいぞ」
「おれはここで聴いてる」
ノエルはその場でごろりと寝転ぶと、大の字になって星空を見上げた。満天の星々を覆い隠すようにして精霊たちが謳い、舞い踊っているのが見える。
「楽しい空気は好きだな」
そのまま目を閉じると、高らかに歌うような笛の音が耳をくすぐった。昔から聴き慣れたこの音は、ノエルの好きなものの一つだった。少しずつ変化をつけながら繰り返す旋律に手拍子が加わり、やがて歌声が混じる。
「♪〜〜」
透き通るようなサラの歌声に、周囲の風霊がざわつくのを感じてノエルは目を見開いた。音楽という供物に風の眷属がここまで反応するのは珍しい。
(待てよ、エルトの笛には無反応だった。この国の風霊は、歌が好きなのか……?)
住むところが違えば好みも多少は異なるとはいえ、風の眷属は自分の歌を一番だと思っている連中だ。ヒトの歌を好む風霊がいるとしたら、相当な変わり者だろう。
「♪〜」
楽しそうにサラが歌うたびに周囲の風霊が舞い踊り、下位精霊たちもそれに刺激されるかのように明滅を繰り返している。先ほどの演奏よりも賑やかな空気の中で、ノエルだけが頭を抱えていた。
(歌か……歌い手か……どっちだ?)
この風の国の民ならば風霊に好かれていても不思議ではないのだが、他にもこの国の民を知らない以上ノエルに判別はつかなかった。サラが歌ったら風霊が喜んだ、という事実のみがそこにあった。
「♪〜〜」
やがて『豊穣の実りの唄』は賑やかなまま曲の終わりを迎えて歌声も止まると、風霊たちはサラの周りをふわふわと漂ってから風に還っていった。
(歌い手に反応してたんだ……)
その様子を眺めていたノエルは大きな拍手を二人に贈ると、サラに向かってウインクした。
「最高な音楽をありがとうな、サラ!」
「ありがとう! とっても楽しかった!」
サラは上気した頬を手のひらで挟んではにかむと、エルトの方を振り返ってお辞儀をした。
「すっごい楽しかったです、ありがとうございました。……一つお聞きしても良いですか?」
「なんだい?」
「笛の構え方、街の皆とは違うなあって。逆ですよね?」
「ああ。子どもの頃からこうなんだ。教えてくれた人がそうだったのかも」
エルトは銀の笛を撫でながら答えた。自分にとって自然なことでも、他人からすれば不思議に思うのだろう。
「そうだったんですね。変なこと訊いてすみません」
「気にしなくていいよ。俺も覚えていないくらい昔のことだから」
銀の笛は淡い虹色の光に包まれ、ペンダントに形を変えてエルトの首元に収まった。
「でも、構え方が逆なだけですごい不思議なかんじがしたんです。うまく言えないんですけど、かっこいいというか、神秘的というか。普段見慣れたものと同じなのに違うって、こんなにも不思議な気持ちにさせるんですね」
「右利きと左利きみたいなもんじゃね?」
うまく言葉にできない様子のサラに、ノエルは助け舟を出した。
「ああ、それに似てるかも。左利きの方が字を書いていると、不思議とかっこよく見えるんです」
「そういうもの?」
力説し始めたサラにエルトはツッコミを入れるが、おそらく彼女の耳には届いていないだろう。
「つまりどういうことなんだ? サラ」
「つまりはですね、笛を吹くエルトさんは神秘的でかっこいい! ということです。たぶんですけど、酒場とかで笛を吹くお仕事貰えますよ」
「考えたこともなかったな……」
基本的に二人は街では目立たないように行動しているため、人前で笛を吹くという発想がなかった。
「今度金に困ったら試そうぜ!」
「最終手段として考えておくのはアリ、か……」
顔を見合わせて相談している二人に、サラはニコニコしながら話しかけた。
「いつか、この国のお祭りのときに笛を吹きに来てください。きっと皆喜びますよ」
「覚えておくよ」
エルトは火からカップを下ろすと、熱々の茶に息を吹きかけてから啜った。ほのかに甘い花の香りがじんわりと沁み渡る。
「明日も朝早いからそろそろ休もう。火の番は俺がしておくから、ノエルは先に休んで」
「あの……わたしも火の番を……」
「サラさんはいいよ。旅に慣れてないだろう? ちゃんと休んで、明日に備えて」
「すみません、お言葉に甘えさせていただきます」
申し訳なさそうに告げるサラに、ノエルはのんびりとした口調で答えた。
「へーきへーき。おれたちにとっちゃ、いつものことだし」
「魔除けの杭を使っているからそんなに危険なことはないよ。ゆっくりおやすみ」
「おやすみなさい」
サラがテントに入っていくのを見送ると、ノエルは小声で呟いた。
「ヒトの悪意は弾けないのが難点だよな。……周囲に気配が八つ。エルト、念の為気をつけろ」
「只の旅人だと思いたいね。警戒はしておく」
「……ところでさ、目的地が目的地だし、今夜はテント使っていい?」
「駄目、寝袋」
「やっぱダメかー」
焚き火のそばに座り込むエルトの横で、ノエルは寝袋を広げてもぞもぞと入る。
「まあ、星空も見えるし悪くねーけどさあ」
「何かいつもと違う動きがあったら教えてくれ、ノエル」
「はいはーい。あ、そうだ。さっきサラが歌い始めたら風霊が喜んでたな」
「へぇ……風霊が歌を喜ぶのは珍しいな」
「歌よりは歌い手に反応してるかんじだったぜ。んじゃ、寝るわ」
そう言い残して目を閉じたノエルは、数分もしないうちに寝息を立て始めた。焚き火の明かりを頼りにエルトは荷物袋から手帳を取り出すと、鉛筆で文字を書き加えていく。
「『風霊、歌を喜ぶ。歌い手に反応していた様子あり』……」
エルトは先ほどの演奏を思い出した。確かに、下位精霊たちも普段よりざわついていたように感じる。
「『歌い手は風の神殿に縁のある少女・サラ』……サラって何者なんだろう?」
サラの眠っているテントをチラリと見て、エルトを首を傾げた。平和な国とはいえ、街から神殿に向かうにはそこそこ大変な道のりだ。同行者もなしに若い女性が一人旅をするにはそれなりの理由があるはず。エルトは焚き火に枝を放り込むと、両腕を組んで星空を仰いだ。ノエルが言っていた周囲の気配も気になる。
「アクア」
エルトは契約している水の精霊・アクアティートを喚びだすと、人差し指の上に座らせた。
「ひとつ、頼まれてくれるかい。侵入者を阻む網目状の結界だ。時間稼ぎ程度でいい」
水の精霊はふわりと浮かぶと、周囲に糸状の水の結界を張り巡らせた。立体的な蜘蛛の巣のように張り巡らされたそれは、触れた者を足止めすると同時に術者に異変を知らせるものだ。
「ありがとうアクア。何もなければそれでいいし、用心するに越したことはない」
水の精霊はエルトの頭の上にちょこんとうつ伏せで乗っかると、得意そうな表情で頬杖をついた。
「ここまでわかりやすく結界を張っているんだ。普通の感覚なら近寄らないとは思うけどね」
右腕の腕輪を剣の形に変化させて地面に突き刺すと、エルトは荷物袋から本を取り出して読書を始めた。月はいまだ天高く、静かな森を見守っていた。
ノエルが次に目を覚ましたとき、月は地平線に隠れようとしているところだった。周囲に異変がないことを確認するとエルトに声をかける。
「交代する」
「ああ。水の結界を張ってたけど異常はなかった」
「わかった」
引き継ぎを終えたエルトがテントに入ると同時に、周囲に張っていた水の結界が消えた。水の精霊を還したのだ。ノエルは寝袋を畳みながら大きくあくびをした。
(相変わらず気配は八つ……風下に五つと風上に三つか。挟み撃ちか別々なのか。後者なら三つの方は素人だよなあ)
追跡にしろ監視にしろ、通常は風下を選んで行動するのが常識だ。ノエルは荷物袋からカップを取り出すと、エルトの水筒から水を注いだ。焚き火に設置された五徳の上にカップを置くと、枝を放り投げながらぽそりと呟く。
「強火」
すると途端に焚き火の勢いが増して、ノエルは伸びをした。昨日は日がある時間に月が登っていたから、夜明けまでまだまだ時間はある。荷物袋から昨晩の余りの果実を取り出すと一口囓り、ゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。まだ眠たい頭に甘味と酸味が届いて、一気に目が醒める。
「これジャムにしたらエルト好きそう」
そのままでも充分に美味しいが、ジャムや菓子にしたらもっと美味しいだろう。そんなことを考えながらあっという間に完食すると、二つ目の果実に手を伸ばす。
「……焼いたら美味いかな?」
ノエルは手頃な小枝で果実を突き刺すと、焚き火にかざして炙り始めた。
「弱火でじっくり〜、焦げない程度に〜」
寝ている二人を起こさないよう小声で、歌うように火の精霊に指示を出す。しばらくすると甘い香りが立ち上り、ノエルは大きく息を吸い込んだ。
「合わせるなら桂皮かなー。今持ってたっけ? ああでも勝手に使うとバレるしな。とりあえずそのまま食うか……いただきます」
小枝に刺したままの焼いた果実に囓りつくと、生のものとは違う歯触りと甘味にノエルは満足そうに微笑んだ。
「間違いなく美味い……!」
とろけるような食感と甘味は、きっと相棒好みに違いない。そう確信をしながら食べ進めていくうちに、湯を沸かしたままだったことに気が付いた。
「いけね、忘れてた」
ぐらぐらと煮立つカップを布巾越しに掴んで火から下ろすと、左手をかざして囁いた。
「ちょっとだけ冷まして」
するとノエルの声に反応した水霊がたちまちカップから熱を奪い適温へと冷ましてゆく。
「ありがとうな」
ノエルは左手でカップを持つと、すっかり飲み頃になった湯を啜った。
簡単な食事を終えたノエルは、焚き火から少し離れた所で『枝』を使った素振りをしていた。精霊使いであるノエルにとって肉弾戦は専門外だが、それでも日々の鍛練を怠ってはならないと父からきつく言われていた。
「はっ、……せいっ」
『枝』は魔法の流れを制御するための杖だが、同時に護身用の武器でもある。ただの木の棒にしか見えないそれは木製であることが信じられないほどの耐久性能を誇っていた。
「これで……終わりっ!」
日課のトレーニングを終えたノエルは、その場に座り込むとそのまま大の字になって寝転んだ。
「腕立て……懸垂……スクワット……素振り……毎日やってんのになかなか筋肉つかねーんだよなあ、もう」
以前街で見かけた大男はまさに筋骨隆々といった風貌で、同じ生き物とは思えないほどの体格差にショックを受けたものだった。
「性質が違うんだろうなあ……羨ましくなんかないけど。いや、ちょっと羨ましいけど」
己の二の腕をつついても、あの盛り上がるような筋肉とは程遠い。
「まあ、親父も細いけど強いもんな。見た目より中身だぜ……!」
ノエルは己を鼓舞するように拳を空に向かって突き上げる。ふと、東の空の端が白んできたのが視界に入り勢いよく身体を起こした。
「夜明けが近いな……」
周囲の気配の数に変わりはなく、テントの二人はまだ眠っている。ノエルは焚き火の近くに戻ると拾った枝を火にくべた。
「まだもう少し、良い夢を」
* * *
「隊長、あの二人の若者、隙がありませんね」
東の空が白んできた頃、黒装束に身を包んだ人物が遠眼鏡を使いながら隣に立つ男に呼び掛けた。
「旅慣れている。妙な魔術を使うし、こちらに気付いている可能性もある」
隊長と呼ばれた男は遠眼鏡から目を離さずに答えた。暗視の魔術がかけられているそれは、風の魔術によって僅かな音を拾ってくる性質も持つ。音の全てとは言わないが、それでも無音に比べれば得られる情報量は莫大だ。
「任務はここからが本番だ。各自気を引き締めろ。連中が仕掛けてくるとしたら間違いなく今日だ」
「はっ」
* * *
東の空が朝焼けを連れてきた頃、サラはテントの中で目を覚ました。ここが一瞬どこであるのか混乱したものの、すぐに旅の途中であることを思い出して落ち着きを取り戻した。
(そうだった、わたし旅してたんだ)
左腕に巻かれた包帯を眺めて、サラはため息をついた。緊張で眠れぬ夜を過ごすものだと思っていたが、そんなことはなく逆によく眠れてしまった。
(わたし、疲れてたのかな?)
寝袋を畳んで身支度を終えると、マントを羽織ってテントから出る。
「おはようございます、ノエルさん」
焚き火のそばに座っていたノエルは、にこりと笑って挨拶を返した。
「おはよう、サラ。よく眠れた?」
「おかげさまで。火の番ありがとうございました。……エルトさんは?」
「まだ寝てる。起きるまで放っておいていいぜ」
ノエルとサラは顔を見合わせて笑った。
「おれより寝る時間短いからさあ、なるべく寝かせとくんだ。あ、朝飯ちゃんと持ってきてる?」
「はい、朝ごはん持ってきてます。火、お借りしますね」
「うん、火使うなら気を付けて。五徳とか使っていいから」
ノエルは焚き火に枝を放り込みながら五徳の位置を調整した。パチリと爆ぜて火の勢いが増す。
「水、まだある? もし足りなかったらおれたちの水筒特別製だから、分けてあげるよ」
「ありがとうございます、一応魔道具の水筒持ってきてるので、大丈夫だと思います」
そう言いながらサラは手元の水筒を横に振った。ちゃぷちゃぷという音の心許なさに、首を傾げる。
「あれ……? あまり溜まってない。空気中の水分を飲み水にしてくれる魔道具なんですけど、調子悪いのかな……?」
サラは水筒からカップに水を注いだ。ギリギリ一杯分といったところだ。茶葉の入った小袋をカップにいれると、焚き火に設置されている五徳の上にそっと置いた。コの字型の金属棒が二本、一箇所で繋がっている形状の五徳はその開き具合では大きい鍋も置けそうだ。ノエルは五徳の上にまだスペースがあることを確認すると、エルトのカップに水を入れてサラのカップの隣に置いた。
「内緒なんだけど、おれたちの水筒も魔道具なんだ。ちょっと性能が強いから、サラの方に影響でてるかも」
ノエルはヒソヒソ声でサラに話しかけた。
なるほど、そういうこともあるのかもしれない。サラはそう納得をして、ノエルに頭を下げた。
「そういうことでしたら、半分だけ、水をください。それくらいあれば、たぶん大丈夫だと思います」
「おーけー。エルトには内緒な」
ノエルはサラの水筒に水を移すと、蓋を閉めてから手渡した。
「ありがとうございます」
「食べ物とかはあまり共有しない方がいいけど、水と果物くらいはいいだろ」
サラはリュックから朝食の入った包みを取り出して中身を膝の上に並べた。乾燥させた果物とナッツを練り込んだ菓子パンが二つと小袋に入った炒り豆だ。
「ノエルさんは朝ごはん食べないんですか?」
「おれは先に食ったからいいよ」
「そうなんですね。では……」
サラは両手を組んで食前のお祈りを始めた。その様子を眺めながら、ノエルは焚き火を手頃な枝で突っついていた。
食前のお祈りの内容は人によって様々だ。今日という日があることを大地と精霊に感謝し、今日の糧があることを感謝する。そして食材の手配に関わった人々に感謝を捧げて終わるのが一般的だが、これらの項目が多いほどお祈りに長く時間がかかる。サラのお祈りは、エルトに負けず劣らず長い方だった。
「……いただきます」
サラが食事をする隣で、ノエルは目を閉じて風の音を聞いていた。
「サラのそばにいると、風が心地良いな」
「え?」
「なんとなくそう感じるだけ。風の国って皆こうなのか?」
「それは……わかりません。だけど、わたしはこの国に吹く風が大好きですよ」
「そっか……」
朝焼けが終わり太陽が力強く輝きを増す頃、寝ていたエルトが起きてきた。
「……おはよう」
朝に弱い体質を責任感と意志力で捩じ伏せてエルトは焚き火のそばに腰を下ろした。
「おはよ、お湯沸いてるぜ」
ノエルはカップを火から下ろしてエルトの横に置くと、茶葉の入った小袋を湯の中に入れた。色と香りが湯に溶け出した頃合いを見てエルトが茶を啜ると、頭が回り始めたのかしゃっきりとしてきた。
「サラさんおはよう。よく眠れた?」
「おはようございますエルトさん、おかげさまでよく眠れました。朝ごはん先にいただいてます」
「うん。ノエルも火の番お疲れさま。変わったことは?」
「特にないぜ。あ、昨日の果実だけど焼いて食ったら美味かった!」
「それは良い知らせだ。今度時間があるときに試そう」
エルトは荷物袋から果実とクラッカーを取り出すと食前のお祈りをし始めた。
「なあ、サラ。この果実ってジャムとか菓子にしたりする?」
「はい、そのままでも美味しいですけどジャムにして保存食にしたり、パイを作ったりします」
「やっぱりな! 今の時期は食べれる?」
「ジャムなら年中食べれます。パイは収穫期の方が美味しいと思いますよ」
「じゃあ、この用事が終わったらジャム買いに行くか」
ノエルはエルトの方をチラリと見た。まだお祈りは終わらないらしい。
「とりあえずおれはテント片付けてくる。サラも、食べ終わったら早めに片付けしようぜ」
「そうします」
ノエルとサラがテントを片付け終わる頃にはエルトも朝食を終えていた。焚き火の始末をし荷造りを済ませて出発の準備を完全に整えると、三人は南西にある神殿を目指して歩き始めた。
「天気も良いし視界も良好。何か起こるならこのタイミングだよなあ」
「ノエル、縁起の悪いことを言うな」
「これはおれの勘だけど、長い一日になるぜ」
昨日歩いた道は上り坂の悪路だったが、今日歩く道は下り坂の悪路である。三人は足を踏み外さないように慎重に進むと、『枝』を文字通り杖代わりにしていたノエルが先頭に立った。
「……風上に気配三つ、何かくる」
何かを察知したノエルが警告を発したと同時にエルトはサラを庇うようにして立つ。相手の目的は不明だが、何かを狙うのだとすればそれはサラだろうという確信があった。
「戦いになるかも。……サラ、心当たりは?」
「……あります!」
「わかった。今はそれだけで充分」
「落ち着いたら話を聞かせて。今は自分の身を守ること」
「はい……!」
サラは護身用のナイフの位置を確かめるように右手を添えた。無闇に抜くのは危険だと教えられていたのでまだ抜かない。前に立つ二人の背中を守るのは自分なのだと己に言い聞かせて、サラは深呼吸をした。
(絶対に二人を傷付けさせない……!)
そのとき、一陣の風を纏った太刀筋がノエルに襲いかかった。ノエルは咄嗟に『枝』でそれを受け止めると、大きく後ろに吹き飛んだ。
「なんだこいつ、一瞬で間合いを……!」
「アクア! 結界!」
昨晩のものより強固な結界を後方に向かって展開しエルトは剣を振り上げた。ノエルに攻撃をした黒装束の大男は短刀でエルトの剣を受け止める。エルトはそのまま大男の後頭部に回し蹴りを叩き込むと、一歩後ずさって間合いを取った。銀の剣に水を纏わせて一閃すると、水の刃が相手めがけて飛んでゆく。それに追撃をするようにしてエルトが剣で斬りかかると、もう一人小柄な男が現れてその剣筋を短刀で止めた。
「遅い……っ!」
エルトは小柄な男の顎を蹴り上げると回転した勢いで下から斜め上に向かって斬り上げた。小柄な男が一言も発さず地面に倒れ込むと同時にエルトは突きを放ち、大男の胸を貫いた。
「……っ!」
サラは、まるで時が止まったかのように血飛沫が宙に舞い、その場に留まるのを見ていた。あれだけ至近距離で命のやり取りをしていたというのに、エルトは返り血を一切浴びていない。水の精霊がその血飛沫の全てを、水球で包んでエルトにかからないようにしていたのであった。
「怪我はないか?」
「こっちは大丈夫だ。だけど、気配はあと一つ残ってる。……サラ、大丈夫か?」
「はい……ちょっと、腰が抜けちゃって……」
その場に座り込むサラに、ノエルは手を貸して立たせた。
「まあそうだよな。でも、まだ油断はできない」
「はい」
サラは立ち上がるとノエルの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「一瞬で間合いを詰められた。風の魔術か何かだろうか」
エルトの独り言にサラが答えた。
「我が国のシノビが使う、風脈を利用した移動方法に似ていました。風の通り路に特殊な技術で乗る移動方法です。だけど、シノビはプロの戦闘集団。もっと強いはずなので、シノビではなさそうです」
「……そうか。俺一人で対処できるくらいだもんな」
エルトは水の結界を更に強めながら言った。
「奇襲を仕掛けるならサラを直接狙えば良かったのに、それをしなかった理由はなんだ……?……まさか、陽動?」
エルトが呟くと同時に、遠くで連続した爆発音が聞こえた。次第に近く強くなっていくそれは、やがて地響きと共に山崩れを引き起こした。
「ノエル! サラ! 崩れる、こっちへ!」
エルトは叫ぶと同時に二人に手を伸ばしたが、それは割り込むようにして現れた禿頭の男に阻まれた。手に握っている魔道具には膨大な魔力が集まっている
「ヴァン閣下、万歳!」
禿頭の男が嗄れた声で叫ぶと、それは大爆発を起こした。熱風と爆音が周囲を取り囲み山崩れと共に足元が崩落していく。山の上に吹き飛ばされたエルトは水の護りで大した怪我はしていないが、頭を強く打ち意識が朦朧としていた。
「ノエル……サラ……」
先ほどまで立っていた場所は爆発と山崩れに飲み込まれ跡形もなくなっていた。
「ちゃんと守れよ、ノエル……」
大地の揺れが収まり山が静寂を取り戻すと同時に、エルトはその意識を手放した。
〈つづく〉




