精霊使いと風の国・1
-Yggdrasill gate-(ユグドラシル・ゲート)
現在でない時間を、此処でない何処かで。
世界樹が枝葉を伸ばすようにして生まれる数多の世界は、その理に沿ってゆるやかに終わりを迎えようとしていた。地に満ちる生命は時に運命を受け入れ、時に抗い、時に未来へとその腕を延ばし運命を紡いでいった。
これは、綻びと繋がり。
世界樹と護人が垣間見た泡沫の夢の物語。
シルフェリアは、山脈の端と谷を有する小さな国だ。〈風の王〉と呼ばれる上位精霊と契約を結ぶことを王位継承権を得る条件としている程に王家は風の加護を重んじている。魔力を帯びた澄み渡る清浄の風は小さな国を大自然の脅威から護り、確かな実りをもたらした。人々は冬を越すのに困らない程度の家畜と麦、そして果樹とその加工品を日々の糧として慎ましく暮らしている。風車小屋がいくつも建てられている光景は、まさにこの国の象徴と言えるだろう。実りの時期を迎えた麦の穂がまるで黄金の海原のようになびく様子は、旅人によって各地に歌い継がれているほどだ。
「噂通り、風が気持ちいいな。風霊が歌ってる」
小さな丘の上、少し背の高い木にもたれかかった青年が碧い瞳を眩しそうに細めて呟いた。柔らかそうな金の髪は風が通り過ぎるたびにふわりと揺れて、陽の光を思わせた。青年の名はノエル。相棒と一緒に旅をしている若者である。
「川の水も澄んでいて綺麗だったよ。良い地脈が通っている。豊かな国だと思う」
川辺で水を汲んで戻ってきた相棒──エルトは、翠玉色の瞳をノエルに向けると水の入ったバケツを指し示しながらばつが悪そうに小さく言った。
「魚が欲しければ獲ってくるといい。得意だろ。俺は別に保存食と干し肉のスープでも良いんだけど」
「なんだ、エルト今日も獲れなかったのか」
「お前が特別なんだよ。火の準備はしとくから行くなら行け」
「ヘイヘイ」
荷物袋から調理に必要な道具を出しながらエルトは頭を掻いた。冴えた月光を思わせる艶やかな銀髪がその度に揺れて、彼は手頃な小石を手に取ると、地面に紋様を書きだした。銀髪の隙間から覗く耳は人間のそれよりも長く、彼がエルフであることを示していた。
水属性の魔法を得意とする彼は書き終えた魔法陣の中央に集めた枝葉を置き、呪文を唱えるとそれらはたちまち乾燥し燃やすのに適した素材となった。枝葉から水を取り除いたのだ。防火の魔法陣の上に石を積み上げて作った簡素な釜戸に乾燥させた枝葉を並べ、契約している水の精霊を喚ぶと彼女の力でレンズ状の水球を作り出す。
「アクア、もう少し下に寄せて」
アクアと呼ばれた水の精霊はにこりと微笑むと、エルトの意思を読み取り指先を下に向けて水球を操った。太陽に照らされた水球は陽の光を一箇所に集め、乾燥した枝葉に熱を与える。それからしばらくして煙が上がり、チロチロと小さな火が伸びてきて枝葉を飲み込んだ。
「アクア、ありがとう。お疲れさま」
水の精霊は満足そうな表情を浮かべてから泡となり消えた。住むべき世界に還ったのだ。エルトは火のそばに腰を下ろすと荷物袋の中から小鍋と水筒を取り出し、水を小鍋に移して火にかけた。干し肉を細かく千切って小鍋に放り込み、エルトは川の方を眺めながら呟く。
「あとはノエル次第だな……」
その川は対岸まで大人二人分の背丈程度の幅で、流れが比較的穏やかな小さな川だった。人の頭ほどの大きな石がゴロゴロと転がっており、透き通る水流は深い水底まで見渡せるほどだった。雪解けの清水が源流なのかその水は手が痺れるほど冷たく、釣り具が無ければ魚を獲るのは難しいように思えた。
「なるほど、良い川だなー」
手袋ごと川に左手を突っ込んだノエルは水面に映る自分の顔を眺めてニコニコしながら呟いた。彼の瞳には常人では見えないものが写る。名や属性のある精霊ばかりでなく、揺蕩う魔力の塊である下位精霊がこの地に満ちて歌っている。精霊使いである彼は見えざるものの営みが豊かであるこの国に好ましさを感じていた。
「ちょっと、魚分けてくれ」
ノエルは真剣な顔つきになると、いつもより低めの声で川に向かって囁いた。すると、岩場の陰に隠れていた魚が2匹、彼の左手の元に集まった。
「……ありがとう。無駄にはしないから」
ノエルは集まってきた魚を1匹ずつ掴んでバケツに移すと、ゆっくりと立ち上がり左手を空に掲げた。
「つめてー! 誰か乾かすの手伝ってくれ……!」
ノエルの言う『誰か』というのはヒトではなく精霊たちに向けたものである。水の精霊が衣服から水分を選り分け、風の精霊が風を送って乾かし、火の精霊が冷たくなった肌を火傷しない程度に温める。二呼吸の間にそれらが完了し、ノエルは満開の笑みを浮かべた。
「ありがとな! 皆!」
すっかり乾いた手袋を握りしめて、ノエルは相棒の待つ丘の上へと歩みを進めた。
二人は、ある目的の為に旅をしていた。見つかるかどうかもわからない探し物をする旅路は、どちらかというと観光に近い。まだ見たこともないものを見て街で人の話を聞き、決まった目的地のない旅は気ままなものだった。
「さて、今日はどうしようか?」
ナイフで捌いた川魚を串に刺しながら、エルトはノエルに話しかけた。小袋に入っていた塩を魚に擦り込み、串を火の近くに刺す。
「んー、金はまだあるし調味料も前の街で補充したばかりだよな?」
「そうだね。保存食もまだ充分にあるし、豊かな土地だから食べ物には困らなそうだ」
「つまり?」
ノエルは小鍋をかき回しながらエルトに尋ねた。
「この国では仕事見つけなくて良い。観光して過ごせる」
「よっしゃあ!」
「無駄遣いはするなよ」
焚き火に薪を追加すると、エルトは魚が入っていたバケツを手に取った。手をゆすいで水を捨て、バケツを右手に乗せて念じると淡い虹色の光を放ちながら右手首に巻き付くブレスレットへと変化した。
「相変わらず便利だよな、ソレ」
『精霊銀』と呼ばれる奇跡の金属は、所有者のイメージに呼応して形を変える性質を持つ。普段は装身具として身に付けておき、必要なときはその形を武器や楽器に変えて所有者の役に立つのだ。
「俺の技量だとバケツと剣と笛にしかならないけどね」
伝説の大盗賊は全ての鍵穴に合う鍵を創り出したというし、歴史に名を残す詩人は美麗にして繊細な楽器を創り天上の音楽を奏でたという。稀少な精霊銀を持ちながら実用性に重きをおいた運用をしているエルトでは、先人の足元にも及ばない。
「おれはバケツ便利でいいと思うけど」
「うん。あ、ノエル火強くして」
「りょーかい」
ノエルが焚き火に左手をかざして燃え盛る炎をイメージするだけで、自然と炎は大きくなった。その様子を無言で眺めていたエルトは、ノエルの鼻先に人差し指を突き立てた。
「やり直し。ちゃんと声に出して命令しないと」
「えー……ダメ?」
「駄目だ。力を使う自覚もなしに使役してしまう事故に繋がる。父さんと約束しただろ」
翠玉色の瞳を細めて、エルトはノエルを睨み付けた。ノエルの能力は精霊を使役することだが、事情が一般的な精霊使いとは少し異なる。精霊と契約をせずともその力を発揮できてしまうのだ。ノエルが望めば、全ての精霊は彼のために力を貸すだろう。だからこそノエルの父は、望みを敢えて言葉として発することをノエルに課した。意識と望みを切り分けることで、力を使う自覚を促す目的だ。
「あれ面倒なんだよなあ……」
「一般的な魔術師の詠唱より簡単なんだ。ちゃんと身に付けろ」
「……火の精霊にノエルが命じる。釜戸の火を少し大きくしてくれ」
世間一般の魔術師が行う詠唱は、属性の指定に始まり威力の範囲や展開する座標、使用者からの距離による威力の減衰の補正や奇跡の行使への感謝など項目は多岐に渡る。それに比べてノエルの場合、ただの『お願い』レベルで済むのだ。濡れたから乾かしたい。火を少し大きくしたい。ノエルがそう望むだけで精霊たちは進んで叶えようとするため、その線引きとして『声に出してお願いをする』ことが彼の父によって義務付けられていた。
「俺たちは精霊の加護で魔法を使えるけど、あまり一般的じゃないんだ。魔術師に擬態できるならその方が安全だろ。それっぽく詠唱する練習はしといて損はない」
「変な教団とかに追いかけられると面倒だもんな」
一般人に魔法と魔術の区別はつかないが、ある程度の素養がある者にはその違いが才能だけでは埋められない天からの贈り物であると解ってしまう。故に、無用なトラブルを回避するためにも『魔法』を行使する姿はなるべく見られない方が良いというのが彼らの出した結論だった。過去、既にトラブルに巻き込まれたことのあるノエルはいまひとつ危機感が薄くエルトは頭を抱えていた。
「とにかく、人前でうっかり力を使ってしまわないように再度気を引き締めていくぞ」
「はーい」
* * *
乾燥野菜と干し肉のスープに焼き魚、硬く焼いたパンと干した果物を並べた昼食を前にしてノエルは涎を垂らしていた。
「はやく食べよーぜ!」
「……」
食前のお祈りをさっさと済ませたノエルは、丁寧に祈りを捧げているエルトの裾を引っ張って催促する。
「……ノエル、お前いくつになった?」
「へ? 16だよ。エルトも知ってるだろ」
「成人してから一年も経つのにその子どもっぽい態度はなんだ。食前のお祈りくらいもっと真面目にやれ」
「……てへ」
「てへ、じゃない」
反省する様子を見せないノエルの態度に、エルトは大きなため息をつく。
「まあ、食べようか。冷めてしまったら魚にも失礼だ」
「うんうん。それじゃあ……」
「いただきます」
「いただきます!」
待ってましたと言わんばかりに川魚に齧り付くと、ノエルは顔をほころばせた。
「皮パリパリで、脂乗ってて美味い」
「うん、美味しい」
「あの川で長いこと生き抜いて、寿命が残り少なくなってたらしいぜ」
咀嚼しながらノエルは続けた。
「食前のお祈りもいいけど、やっぱおれは『美味いぞ!』って食ってやるのが一番いいと思うんだよな。美味い!」
串を頭上に掲げて、ノエルは一際大きな声で空へ語りかけた。
「ノエルはそれでいいけど、串、落とすなよ」
ノエルの瞳には、自分では見えないものが映っていることをエルトは知っている。いつも楽しそうにしている相棒の姿は、自分も見ていて楽しい。何かと小言を言いたくなってしまう気持ちをそっと抑えて、エルトは川魚を噛み締めた。
食事を終えて火の始末をする頃には、陽は天頂を超えて僅かに傾きかけていた。
「さて、ノエル。街を目指して宿に泊まるのと、いつも通り野宿するのどっちが良い?」
広げていた荷物を全て荷物袋に収納しながら、エルトはノエルに問いかけた。
「んー、金は取っておきたいけどふかふかのベッドも捨てがたい。ついでに言うと美味いもん食いたいし綺麗なおねーさんを拝みたい」
「よし、野宿だな」
「聞く意味あるのかよ!」
ノエルの言葉をさらりと受け流して、エルトは手帳を取り出した。一番新しいページを開いて書き込んである文字を指でなぞりながら、読み上げる。
「……『シルフェリアの〈風の王〉、古くより伝わる王家との契約』。〈風の王〉は上位精霊のことで間違いないよな?」
「そうだな」
以前滞在した街で聞いた伝承を、エルトは丁寧な文字で手帳に書き綴っていた。上位精霊には通り名を持つ者が少なからず存在している。〈風の王〉もそのひとりだ。
「問題は、自由を信条とする風の眷属が何故わざわざ伝統に縛られるような行動をしているか、だ」
「おもしれーからじゃね?」
「わからない。だから、直接風に聞く必要がある」
「それで……?」
ノエルは気付いていた。平静を装っているものの、エルトはいま興奮しているということに。精霊の行動原理は属性ごとに多少の傾向がある。そこから大きく外れる〈風の王〉は、エルトにとって知的探究心をくすぐられる存在なのだ。
「街で情報収集をするよりも、屋外の方が風を感じられるだろう?」
「それはそうですね」
嫌な予感が的中しないことを祈りながら、ノエルは恐る恐る返事をした。
「ノエルなら視えるし聴こえる。適任だ」
「やっぱり? おれ?」
「俺は水のことしかわからないんだ。任せたぞ。寝袋は使っていいから」
言外にテントは使わせないことを伝えて、エルトは手帳を閉じた。彼は、精霊にまつわる伝承とその実態について調べることを趣味としているのだった。
「その、〈風の王〉に聞きに行けばおれたちは宿に泊まっても良いのでは?」
「契約しているのは王家の人間だぞ。俺たちみたいな旅人が簡単に会ってもらえる訳ないだろう」
「それもそうかー」
宿への未練がなかなか断ち切れない様子のノエルは地面にしゃがみ込むと、腰のベルトに差してある短杖を取り出した。ノエルの腕と同程度の長さのそれは木を削り出して作られたまっすぐな棒の片端に布を巻いただけの簡素な作りで、『枝』と呼ばれていた。
「山と街がここで、おれたちがいるのがこの辺りで、お城があるとしたら街の中だと思うんだよな……」
ぶつぶつ言いながらノエルは『枝』で周辺の地図を地面に書き始めた。
「空から見た限りだと木が多くてよくわからなかったんだよなあ。遺跡とか神殿とかもしかしたらどこかにあるかも。風霊はその辺に溢れてるけど意思の疎通はできねーから、風の通り道を探して……よし書けた」
地面に書かれた地図は簡略化されてはいるものの、位置関係などはそれなりに正確だった。ノエルは現在地に『枝』を立てると、手を離して倒れるのを見守った。
「おれたちは何処へ行くのか、任せた」
カランと乾いた音を立てて『枝』が倒れた先は、街とは反対側にある低い山と森に囲まれたエリアだった。
「街の方に倒れてくれりゃよかったのに……」
ぶつくさと文句を言っているノエルをよそに、エルトはポーチから方位磁針を取り出して位置を確かめた。
「ここから南西の、森とされる場所だね。何があるのか楽しみだ」
「距離的に、街なら夕暮れには着くし森なら明日の昼くらいに着くと思うんだよなあ。今からでも進路変更しねえ?」
「しない。森を目指すぞノエル」
「はーーーー」
ノエルは大きなため息をつくと、『枝』を腰のベルトに差し直して立ち上がった。
「世界樹の導きのままに、だな」
木の陰から、二人の様子を窺っている人物が一人いた。フード付きのマントに身を包んだ旅人風で、背は小柄。薄荷色の大きな瞳が印象的な少女だった。
「あの二人、同じ方角に行くのかな。挨拶してみる? ううん、悪い人だったら怖いし……」
平和な国とはいえ街道から外れた場所で出逢う以上はそれなりにリスクを伴う。善人が悪人かの判別がつかないとあっては、警戒するに越したことはない。
「どうしよう……『聴いて』みようか? あ、使っちゃダメなんだった……」
ぽそぽそと独り言を繰り返す少女は左腕に巻き付けた包帯を撫でると小さく呟いた。
「……不便だなあ」
その包帯にはなんらかの魔法文字が刻まれているようだった。少女が気を取り直して目線を前に向けると、今まで見ていた二人組の姿が消えていた。
「おい」
「こんにちは」
「きゃーーー!」
不意に背後から声をかけられて、少女は思わず悲鳴をあげた。
「驚かせてしまって申し訳ない。さっきから俺たちのこと見てただろう? 何か用かと思って」
エルトは驚かせてしまったことを謝罪すると、フードの少女に目線を合わせて少し屈んだ。
「迷子? それとも旅人? 女性が一人でいるのは相当な理由があってのことだと思うんだけど」
「わたし、神殿に用事があって……旅人みたいなものです」
少女はエルトの目をまっすぐに見つめながら答えた。
「神殿? やっぱ向こうに神殿があるんだな⁈」
ノエルが横から口を挟む。
「俺はエルト、こっちの金髪がノエル。あてのない旅をしている。もし良かったら、少し話を聞かせてもらっても?」
「ええ……お兄さんたち悪い人じゃなさそうですし。わたしはサラ、この先にある風の神殿に用事があって向かっているところです」
「一人でか? 危なくねー?」
「……この国は平和ですし」
サラと名乗る少女は眉根を寄せてへにゃりと笑った。
「俺たちもその神殿に行ってみたいんだけど、一緒に行ってもいいかな? 心配なようなら少し離れて歩くし、君には触れないと約束する」
「いいですよ……その方がわたしも心強いです。一緒に行きましょう」
サラはフードを外すと、優雅にお辞儀をした。耳より少し上で結われた瞳と同じ薄荷色の長い髪がさらりと揺れて、風になびく。
「風の国へようこそ、旅の方。良き風の巡りに感謝します」
「改めてよろしくな、サラ!」
ノエルがへらりと笑うと、三人を包むように涼やかな風が駆け抜けた。
神殿に向かうには標高はそこまで高くはないものの、山道を行く必要があった。馬やロバならともかく、馬車では到底通行できないような悪路を三人はひたすら歩き続けた。
「神殿は信仰の対象なんだろ? もっと道を整備するとかしねーの?」
「この国では、自然も信仰の対象なんです。人の手を加えない山岳を踏破することで、精霊の加護を得るのだとか」
息を切らしながら進むノエルとサラを、エルトは最後尾から見守る。
「女性のサラさんはともかく、だらしないぞノエル。日々の鍛練が不足している」
「そんなこと言ってもさあ……」
「良い機会だ、修行と思って頑張れ」
一人涼しい顔で歩みを進めるエルトは、ノエルの肩を叩いて励ました。
「お二人は、旅をして長いんですか?」
「あー、そうだな。一年くらいになるから短くはないな。成人したと同時に放り出されて、そのまま」
「じゃあノエルさんはわたしと歳が近いんですね。わたし先日15歳になりました」
「おー、おめでとう!」
「それはおめでとう」
ニコニコしながら話すサラにつられて、二人も笑顔で祝福をする。
「エルトさんは、エルフですけど……歳はおいくつですか?」
「ノエルより上なのは確かなんだけど、正確にはわからないんだ。すまない」
「そうなんですね……変なこと聞いてしまってすみません。エルフの方って珍しいので……」
人間より長命とされるエルフは、王都レベルの大きな街に一人いるかどうかという程度の割合だ。基本的に彼らは人里から離れて集落を作り、自然と共に暮らしている。人間と共に行動し、旅をするエルフというのはどちらかというと変わり者なのである。
「ノエルとは兄弟みたいなものでね。あまり同族を知らないんだ。だから、気にしなくていい」
心の底から気にしていないという様子でエルトはサラに声を掛けた。
「それより、この国のことをもっと教えてくれないかな? どんな人たちが住んでいて、どんな暮らしをしているんだい?」
「でっかい風車とか麦畑があったよな!」
「この国は、山脈から絶えず吹く風と湧き出る豊かな水が民の暮らしを支えています。収穫できた小麦は、風車小屋で小麦粉にするんですよ」
サラは得意げに続けた。
「小さな国ですから、皆で助け合って暮らしています。食べ物は美味しいし、素敵な国だと思っています」
誇らしげに語るサラの横顔を見て、ノエルは優しく微笑んだ。
「……この国が大好きなんだな」
「はい! わたしの自慢の、故郷です」
坂道を登りきり、少し開けた場所に出る頃には空は赤く染まり始めていた。
「少し遅くなったけど、野営の準備をしよう。サラさんはテントは持ってる?」
「はい、一応……」
「じゃあ魔除けの杭をこの辺りに打つから、適当にテントの準備をしてて」
エルトは荷物から四本の杭を取り出すと、地面にしっかりと突き立てていく。
「魔除けの杭?」
「知らねーの? 魔物や獣、虫なんかが寄ってこない便利なやつだぜ」
「魔道具だからね、あまり一般的ではないかも。これだって譲り受けた品だからあまり大きな顔はできないだろ、ノエル」
四本目の杭を打ち終えて、エルトはノエルを窘めた。
「これで、結界が張られたってわけ。安全に過ごせるのは杭の内側だけだから気をつけろよ」
「はい!」
ぱっと見た程度では違いが分からなかったが、そういうものなのだろうとサラは納得をした。自分よりも旅慣れている二人の言うことだ、きっと間違いはないのだろう。サラは黙々とテントを組み立てながら、二人の笑い声を聞いていた。
ほどなくして寝場所の確保ができた頃、太陽は地平線に沈もうとしていた。
「晩飯はおれが担当なんだよなあ。……エルト、アレやっていい?」
「好きにしろ。どうせ止めてもやるんだろ」
「よし! じゃあ今朝拝借してきたこの国の果樹で」
そう言いながらノエルはポーチから指の長さほどの小枝を取り出した。手頃な石を手に取り地面に小さな魔法陣を書くと、その中央に小枝を突き立てる。
「エルト、ナイフ貸して」
「……」
エルトは無言でナイフを手渡すと、ノエルは右手の人差し指にその刃を押し当てた。
『〈水の天秤〉の契約に基づきその力を示せ』
刃を指から離すと同時に、鮮血が一滴、小枝に滴り落ちる。その指には既に傷はなかった。ナイフをエルトに返すと、ノエルは小枝に左手をかざしながら呪文のようなものを呟いた。
その瞬間。
小枝はみるみると成長を始め、やがて手首ほどの太さになると次々と白い花を咲かせ、あっという間に果実をつけ始めた。ノエルが落下した果実を受け止めると小枝だった木は成長を止め、枯れ葉を全て落としてそのまま枯れてしまった。
「ありがとう、ちゃんと次に繋げるから」
枯れ木の中から小枝を一本折ってポーチにしまうと、ノエルは二人が座っている方を向いて明るく言った。
「食料と燃料ゲットだぜ!」
「今のは……?」
目の前で起こっていたことが信じられないという面持ちで、サラはノエルに問いかけた。
「あー、今のはおれが得意としている樹の魔術。急成長させて実とか分けてもらうんだ。便利だろ?」
両腕いっぱいに赤い果実を抱えたまま、ノエルはへらりと笑った。
「いっぱいあるから、サラもどうぞ。……といっても、食い飽きてるかな?」
「ありがとう。この果実、今の季節では手に入らないから嬉しいです。それにしても、すごい魔術ですね……」
「一子相伝、ってやつだぜ!」
果実をエルトに手渡して、ノエルは枯れ木を地面から引き抜いた。枯れ葉と枝と幹に分けて積み上げ、次は防火の魔法陣を地面に書いていく。
「こっちはあんまり得意じゃないんだよなあ……」
書き上がった上に枯れ葉を山積みにし、マッチを取り出して点火した。
「燃えろー燃えろー、頑張って燃えろー」
明らかに適当な旋律を使って詠唱の代わりにしているのが見て取れて、エルトは頭を抱えた。他人がいなければ適当でもなんでもよいのだが、サラの目の前で使う魔術の擬態としてはあまりにもお粗末すぎる。
(まあ、魔術じゃなくてお祈りに見えるならそれでも良いのか……)
「すごい、ノエルさん、どんどん燃えてきましたよ」
「よし、次は枝を足すぞ!」
「はい!」
勢いを増してきた焚き火に枝を入れると大きく音を立ててパチリと爆ぜた。宙に舞う火の粉がある一定の距離でかき消えたのを見て、サラは首を傾げた。
「火の粉、飛んでこないですね?」
「ああ、下に防火の魔法陣敷いてるからな。火の精霊に、お前の仕事はここまでだぞ! って示すやつ。火事になったら困るだろ」
「すごい……初めて見ました」
ゆらゆらと揺らめく炎を、サラはしばらくの間呼吸を忘れて見入っていた。
「火はこれで大丈夫だから、サラさんも自由に使って。さてノエル、晩飯は果物となんだ? まさか、これだけとは言わないよな?」
「えーっと、干し肉?」
「……適当すぎる」
ノエルの返答に頭を抱えつつ、エルトは荷物袋から水筒を取り出しカップに水を注いだ。
「サラさんは水と食料は大丈夫? 困ったことがあったら力を貸すから、遠慮なく言ってね」
「はい、わたしは自分の分ちゃんとあるので、大丈夫です。ありがとうございます」
サラもリュックから包みを取り出すと、膝の上に広げ始めた。紙の包みに入っていたのはベーグルのサンドイッチと干し杏だ。小さなカップに水筒から水を注ぎ、簡単な食事の支度を終える。
「それじゃあ、食事にしようか。ノエル、お祈りちゃんとやれよ」
「へいへい」
* * *
火を囲んで座る三人を、遠くから眺めている者達がいた。闇夜に紛れて遠眼鏡と暗視の魔術で監視している者の他に人影は四つ。
「隊長、如何致しますか?」
隊長と呼ばれた人物は、遠眼鏡を懐にしまいながら振り返ると低い声で周囲に告げた。
「日の出まで現状維持。先方の出立と同時に行動を開始する。不審な動きがあれば即応する」
「了解」
部下と思しき人物達がそれぞれ樹の上に姿を隠すと、隊長と呼ばれた人物は覆面を口元まで下げてため息をついた。
「……あまり無茶はしないでくださいよ、姫さま」
〈つづく〉




