竜と妖精の琥珀/番外編・2
カイト達と別れてから十日ほど後のこと、ノエルとエルトはとある山中の農家を訪れていた。天候は荒れており、強風を伴う雨と雷で彼等の旅は足止めをされていたのだ。二人は、農家の手伝いをする代わりに納屋に泊めさせてもらっていた。
「ニワトリって可愛いもんだな!」
鶏小屋の掃除から戻ってきたノエルは雨に濡れた体を乾かしながら、夕食にとお裾分けで貰ったパンとスープの乗ったトレーをエルトの前に置いた。
「ありがとう。お疲れさまだったなノエル」
「へへっ、大したことねーよ! それよりさあ、早く食べよーぜ」
トレーに乗せた厚手の布をめくりながらノエルは食前のお祈りを手短に済ませた。
「いただきまーす!」
一仕事を終えて空腹だったノエルはスープを冷ましながら食べると、その美味しさに驚いた。
「何これ美味い……なんか肉めっちゃ入ってる。鶏肉かな?」
たっぷりの野菜と骨付きの鶏肉が入っているスープは、疲れた体に沁み渡るような味がした。エルトの方をチラリと見ると、彼はまだお祈りをしていた。
「このスープめっちゃ美味いよ、エルト。早く食べなよ」
「言われなくてもそうする。……いただきます」
エルトは先日負傷した箇所がまだ癒えておらず、今も浅い呼吸をしていた。肋骨に入ったヒビが痛むのだ。旅の間は気を張っているが、今は安全な所にいるからか痛みが増しているようだった。
「……おれが食わせてやろうか?」
「いや、自分で食べれる」
エルトはノエルの申し出をきっぱりと断ると、スプーンを手に取り慎重に野菜を崩して口に運んだ。
「うん、美味しい」
柔らかく煮込まれた甘味のある根菜に鶏肉の旨味が染み込んでおり、ノエルの言う通りとても美味だった。
「干し肉ではこの味は出ない」
「だよなあ。脂が美味い」
二人はしみじみと語った。日頃の食生活に不満はないが、こうして美味しい食事と出逢ってしまうとどうしても比較してしまうのだ。
「新鮮な野菜と骨付き肉の組み合わせが、美味くないはずないんだよな」
「大鍋で長時間煮込んでいるのも大きいな。こればかりは旅の装備では難しい」
普段、乾燥させた野菜と干し肉あるいは干し魚で作るスープばかり食べている二人は、用意されたスープを一口ずつ大切に食べた。
「硬くないパンも貴重だよなあ」
ノエルはふわふわのパンを千切るとその柔らかさを堪能するように噛み締めた。
「日持ちしないパンは持ち歩けないからね、嵩張るし」
「人里の恩恵、ってかんじだな」
「そうだね、感謝して食べよう」
エルトは怪我に響かないようにゆっくりと食べ進める。スープに浸さなくても食べられる柔らかいパンは今の彼にとってありがたかった。日頃食べている硬いパンはスープに浸してやっと噛むことができるという代物であり、何かと怪我に響いていたからだ。
「……雨、止まねえな」
ノエルはスープを食べながら言った。外は土砂降りの雨で、時折雷も聞こえてくる。窓は強風でガタガタと音を立てており、精霊たちは騒めいていた。
「こういう日ってさ、精霊達も忙しそうなんだ。嵐自体は精霊達の意思じゃないんだけど、何か大きな力に振り回されてるかんじ」
「以前酷い目に遭ったもんな……」
二人は以前、同じような嵐の日に野宿をしたことがあった。普通の雨ならば水の精霊に頼んで濡れないようにできるが、嵐の日は精霊達が暴走気味であまり声が届かないのだ。暴風でテントは形を失い寝袋は浸水し碌に寝れたものではなかった。彼らはその教訓を生かして軒先を借りれるときは借りる方針にしたのだ。今回は運良く納屋を貸してもらえた。
「雨が上がったらさ、おっちゃん達にお礼しような」
「そうだな、一宿一飯の恩だ。できることをしよう。明日は俺も手伝うよ」
「エルトは無理しなくていいよ。その分、おれがやるから。今日は火の番もしなくていいんだし、せっかくだからしっかり休めよ」
怪我が治りきっていないエルトには、こういう時くらい休んでいてほしいというのがノエルの本音だった。この相棒は真面目だしすぐに無理をする。
「ノエルに頼りきりなのも悪いだろう。簡単な労働くらいできるさ」
「……じゃあ深呼吸してみて」
「それくらいできる。……ッ、……ぅ」
ノエルの言う通りに深呼吸をしたエルトは、鋭い痛みが走り涙目になっていた。
「呼吸してるだけでそんなんじゃ、おっちゃん達が気を遣うだろ。怪我人だって言ってあるし、ちゃんと休みなよ」
「面目ない……」
「今日と明日の午前のうちはエルトの休息日。しっかり休んでさ、早く治してよ」
「わかった……」
エルトは渋々了承すると残りのスープを飲み干した。
「器返してくるから貸して」
ノエルはトレーに空になった器と厚手の布を乗せると、納屋の扉を開けた。雨と湿った風が中に吹き込んでくる。
(……後で乾かせばいいか)
ノエルは雨の中を一歩踏み出すと、母屋の方へと歩き出した。
* * *
翌朝、日の出の時刻に目を覚ましたノエルは雨が上がっていることに気が付いた。まだ寝ているエルトを起こさないように外で日課のトレーニングを済ませると、農家の人々も既に活動していた。
「おはよう、おっちゃん。何か手伝うことある?」
『枝』を腰のベルトに差しながら、ノエルは農家の主人に声をかけた。
「おはよう、兄ちゃん。よく眠れたかい? これからウシの乳を搾るんだが、良かったら一緒にやるかい?」
「やるやる! 昔ちょっとだけ手伝ったことあるよ」
ノエルは手袋を外して手を洗うと、牛小屋の中に入っていった。
「このウシを任せていいかい?」
「わかったよ。……よろしくな」
ノエルはウシに優しく声をかけると、容器を地面に置いて手際良く乳を搾っていった。
「すごいなあ、お前。乳の出がめっちゃいいじゃん」
「ほう……最近乳の出がめっきり少なくなってるウシなんだが、今日は調子が良いんだなあ」
「そうなのか?」
農家の主人は搾乳しながらノエルのウシを見た。
「もう歳だからいよいよだと思っていたが、まだ現役で頑張れるならその方がいい」
「……ウシも色々事情があるんだな」
ノエルは搾乳を終えると、ウシの背中を優しく撫でた。
「これどこへ運べばいい?」
「こっちへ頼む」
絞り終えたミルクを指示された場所へ運ぶと、次は鶏小屋へと案内された。
「卵を全部拾って籠に入れてくれ。それで、朝の仕事はおしまいだ」
「わかった」
ノエルは鶏小屋に足を踏み入れると、卵を踏まないよう慎重に歩いた。
「お前達、卵を分けてくれよな」
ノエルがニワトリに声をかけると、今日はまだ卵を産んでいないニワトリまで卵を産み始めた。
「ちょっと待って、今あるやつだけでいいから!」
ノエルは慌ててニワトリ達に声をかけるが、既に遅く全てのニワトリが卵を産み終えていた。
「あー……美味しく食べるよ、ありがとう」
全ての卵を拾う頃には籠に山ができていた。
「その……すみません、おれが鶏小屋に入ったら全部のニワトリが卵産んじゃって……」
ノエルは農家の主人に申し訳なさそうに声をかけながら籠を渡した。農家の主人は少し呆気に取られてから、声をあげて笑った。
「あっはっは、兄ちゃん動物に好かれるタイプの人間だな? ウシの乳の出は良くなるしニワトリは卵をよく産む、いるんだよそういう奴がね。この目で見るのは初めてだ。兄ちゃん、ウチで働くかい?」
ノエルは首を横に振ると、ウシが騒がしいことに気が付いた。
「牛小屋に何かいる!」
ノエルは『枝』を手に駆け出すと、何か大きな獣が牛小屋にいるのが見えた。
「ウシから離れろ! ……風ッ!」
『枝』を振り下ろして風の刃を獣に向かって飛ばす。それはウシよりも一回り小さい、狼に似た獣だった。
「ここのヒトと動物は襲うな。山へ帰れ」
ノエルは獣の目をまっすぐに見て言った。獣は唸り声をあげてノエルを威嚇する。
「なんでぇこいつは……狼?」
「おっちゃん、こっち来ちゃだめだ!」
農家の主人は鍬を手に牛小屋の近くに現れた。興奮した獣が農家の主人に襲いかかる。
「……土ッ!」
ノエルは『枝』を地面に突き立てると、土を操作して獣と農家の主人の間に壁を作った。目標を見失った獣はノエル目掛けて突進してくる。
「お前の相手はおれだ!」
そう叫んだノエルは『枝』を大きく振りかぶるとすれ違いざまに獣の腹へと重い一撃を叩き込んだ。
「……まだやるか?」
ノエルは獣を見下ろすと、『枝』に風を纏わせて静かに言った。獣はのろのろと起き上がると、背を向けて山の方へと歩いて行き姿を消した。
「……勝った」
ノエルは力が抜けてその場に立ち尽くす。その背を農家の主人が力強く叩いた。
「やるなあ兄ちゃん! 助かったよ」
「被害がでなくてよかったよ」
ノエルはへらりと笑って言った。あの獣も、ここが人間の縄張りだと認識したのならもう現れないだろう。
「しかし不思議な兄ちゃんだなあ。さっきのは魔術かい?」
「まあそんなとこ」
にっこり笑って誤魔化すと、ノエルは頭を掻いた。魔術と勘違いしてくれているのであれば、その方が都合が良い。
「兄ちゃんにはお礼をしないとな……そうだ、さっきのミルクと卵ってのはどうだい? 連れの兄ちゃんは怪我人なんだろう? 栄養価が高いぞ、ウチのミルクと卵は」
「ミルクと卵……じゃあそれで!」
農家の主人の提案にノエルは頷いた。少し考えてから、農家の主人にお願いをする。
「あの……砂糖を分けてもらえませんか? あと、台所も借りれたら嬉しいんですけど」
「おやすいご用だ! 兄ちゃんは恩人だからな」
「……ありがとうございます!」
ノエルは農家の主人に頭を下げると、一度エルトの所に戻った。
「なあなあエルト! ちょっと起きてさあ、バケツ貸して」
まだ寝ているエルトを叩き起こしてノエルは楽しそうに言った。
「……バケツ?」
「そうバケツ。すぐ返すからさ」
「ちょっと待って……はい」
エルトは寝ぼけ眼で精霊銀のブレスレットをバケツに変えると、ノエルはそれを受け取って走って出て行った。
「あらあらお兄ちゃん、ウチの人から聞いたよ、さっきはありがとうねえ」
「お邪魔します、おばちゃん。作業の邪魔にならないようにするからさ!」
ノエルは台所で朝食の準備をしている五十代半ばの夫人に声をかけると、腕まくりをして手を洗った。エプロンを借りて準備を整えると、まずは片手鍋に砂糖と水を入れて火にかけた。
「プリンを作ろうと思うんだ」
「あら、いいわね。ウチのミルクと卵を味わうには最高よ」
「鍋とか道具お借りします。ちゃんと洗ってお返しします」
ノエルは丁寧に頭を下げると、夫人は棚から小瓶を取り出して笑う。
「味だけじゃなくて風味付けも必要よ。これ、使いなさいな」
夫人は植物のさやを一本ノエルに手渡す。とても、甘い香りがした。
「……ありがとうございます!」
煮詰めて焦がした砂糖の液をエルトのバケツに入れると、その鍋にミルクとさやを入れて火にかける。人肌程度に温まったら火から下ろして、ノエルは大きなボウルに卵を沢山割り入れた。泡立てないようによく混ぜて、砂糖も加えて更に混ぜる。
「ちょっとこれ楽しいかも」
ノエルは昔父親に作ってもらったプリンを思い出しながら作業に没頭していた。
卵液に温めたミルクを少しずつ加えて混ぜ、全て混ざったらザルで漉しながらバケツにそっと入れていく。大鍋に沸かしておいた湯にバケツを入れて蓋をすれば、あとは火が通るまでひたすら湯煎するだけだった。
「刃物使わなくてもできるお菓子作りって最高だな!」
ノエルは使った道具を洗いながら笑顔で言った。食事作りと違ってお菓子作りは刃物を使わなくてもできるのが嬉しかった。洗い物が終わって大鍋を見る。ノエルは火の精霊にこっそりと命令した。
「中までじっくり火を通すぞ、なるはやで」
こうしてノエルは湯煎時間を短縮しながら、巨大なプリンを作ったのである。串を刺して火が通ったことを確認すると、次は水と氷の精霊に命じて急速に冷やした。
「熱を奪え、凍らない程度に」
精霊使いの調理方法は、他人には真似のできない技術が詰め込まれていた。
「なあなあエルト、さっき借りたバケツ返すわ」
ノエルは綺麗に洗ったバケツをエルトに手渡すと、ついでに台所で煮出しておいた痛み止めの煎じ薬も近くの木箱の上に置いた。エルトはバケツを受け取ると右腕のブレスレットへと変化させる。
「朝食持ってくるから待ってろよな」
そう言ってノエルは納屋から出ると、大きな皿を持って戻ってきた。
「エルトの為に作った特製プリンだぜ!」
頭ほどもある巨大なプリンの乗った皿を、ノエルは得意そうな表情でエルトに見せつけた。
「……は?」
エルトは目を丸くすると驚きで言葉を失っていた。完全に想定外の出来事だったのだ。
「エルト甘いもの好きだろ? ミルクと卵をたくさん貰ったから、作ってきたんだ。……嬉しくねえ?」
「……嬉しい。嬉しいけどちょっと驚いたというか」
「これなら腹いっぱい食えるだろ! ミルクも卵も栄養たっぷりだから怪我も早く治るかも」
エルトは片手で口元を覆うと、息を止めた。嬉しさとおかしさが同時に込み上げてきて怪我に響くのだ。エルトは涙目になりながら声を押し殺すようにして笑った。
「ははは……そんなに大きいプリン初めて見た」
「全部エルトが食っていいんだぜ!」
「ありがとうノエル。一緒に食べよう?」
「いいのか? 全部エルトが食っていいんだけど」
「一緒に食べた方が美味しいだろ。せっかくノエルが作ってくれたんだ」
「じゃあそうする。ちょっと皿とスプーン借りてくる」
ノエルが自分用の皿とスプーンを取りに母屋に向かうのを見送って、エルトはぽつりと呟いた。
「こんな形で子どもの頃の夢が叶うってあるのか……」
それは誰にも言ったことのない、密かな夢だった。
ノエルが納屋に戻ってきて、二人は巨大なプリンを取り分けて食べた。卵のコクに甘い香り、それらを全て包んだ滑らかな食感は旅の疲れを忘れさせて二人を幸せな気持ちにした。
「ノエル……これ美味しい」
「我ながら上手くできたぜ!」
旅をしていると砂糖は貴重でなかなか手に入らない。基本的に甘いものとは無縁の生活をしていた彼らにとって、新鮮なミルクと卵そして砂糖から作られるプリンは最高級のご馳走だった。
「そういえば……結局バケツは何に使ったんだ?」
「え? コレ。プリンの型」
「はあ⁈ 精霊銀で、プリンを?」
『精霊銀』と呼ばれる奇跡の金属は、所有者のイメージに呼応して形を変える性質を持つ。普段は装身具として身に付けておき、必要なときはその形を武器や楽器に変えて所有者の役に立つのだ。伝説の盗賊は全ての鍵穴に合う鍵を自在に創り、伝説の詩人は繊細な楽器を創り天上の音楽を奏でたとされている。伝説級の稀少な金属である。エルトはこの精霊銀を二つ所持しており、剣と笛、そしてバケツを創ることができた。そして、今日ノエルはその伝説級のアイテムから創られたバケツによって、プリンを作ったのである。
「コレはもう伝説のプリンかもしれねえ」
ノエルはプリンを食べながらしみじみと言った。
エルトはしばらくの間、頭を抱えていた。
「……どこかで、見覚えのあるサイズだとは思っていたんだ」
巨大なプリン専用の型など、そうそう存在しないことはエルトにも想像はついていた。だが、今日滞在しているのはそこそこ大きな農家だ。何か適切な容器を借りたのだろうとばかり思っていた。しかし、現実はそうではなかった。
「まあ、美味くできたから結果オーライじゃん!」
「確かにこの口当たりは絶妙で最高に美味しいけども! ……はあ、まあいいか」
エルトは小さく笑うと胸元を押さえた。
「ははは……痛ッ、あははは……」
涙目になりながらも笑いが堪えきれない様子のエルトに、ノエルもつられて笑う。
「へへへ……上手くいってよかったぜ!」
「言ったことなかったけど、子どもの頃の夢だったんだ、山ほど大きなプリン食べるの。おかげで夢が叶ったよ、ありがとうノエル」
「……! どういたしまして!」
少し恥ずかしそうに笑うエルトにノエルは満面の笑みを返す。
(喜んでもらえるって、なんかいいな……)
ノエルは胸が暖まるような気持ちだった。
「これ食ったらさ、片付けして手伝いして、昼には出発しよう」
「そうだな、今日中に山を下れたら良いんだけど」
二人はプリンを食べながら今日の予定を決めていく。
「食後に飲む痛み止め不味いじゃん? 少しプリン残しといてさ、口直しに食ったら良くね?」
「ノエル天才。採用」
なかなか無くならないプリンを食べながら、二人は他愛もない話を沢山した。ここはまだ旅の途中。少しの休息の合間のひととき。
これから始まる今日を思いながら、至福の味わいを二人は共にした。
〈了〉




