望郷のウル
それは穏やかな昼下がりのことだった。昼食を終えて片付けも終わり、そろそろ移動を開始するという頃にそれは起こった。
「なんか……すっげえ眠い……」
ノエルは大きなあくびをすると眉間を指で揉みほぐした。睡眠時間はいつも通り確保できていたノエルが昼間に眠気を訴えるのはとても珍しい。
「大丈夫か? ノエル。少し休もうか」
「うん……悪いけど、歩ける気がしない。少しだけ、寝る……」
そう言い残してノエルはその場に崩れ落ちた。土は柔らかく彼を受け止めて怪我こそしていないものの、ここまで無防備なことは普段のノエルならしないはずだ。既に寝息を立てているノエルを仰向けに寝かせ直すと、エルトは小さくため息をついた。
「前にもこんなことがあったような……」
まだ旅に出る前、ノエルが子どもだった頃にも似たようなことがあった。あの時は養父のルトラが一緒にいたので何も問題はなかったが、いま頼りになるのは自分だけだ。エルトは荷物袋から魔除けの杭を取り出すと、念の為四方に突き立てた。
青空に白い雲が流れてゆく。十分ほど経過して目をうっすらと開けたノエルは、焦点の合わぬ瞳のまま体を起こすと何も言わずにバンダナを首元まで引き下げた。その瞬間、碧い瞳は深みのある緑色に、明るい金髪は少し伸びて白みがかった若葉色へと変化した。普段よりも表情は落ち着いており、その頬には瞳と同系色の模様が浮き出ている。
「……ウル?」
エルトは遠い記憶の中にある名前を呼んだ。前にも一度見たことがある、その名はウル。
「そうだ。我は世界樹の精霊ウル。久しいな、銀のエルフよ」
ウルと呼ばれた彼は、ノエルと同じ声同じ顔だが明らかに雰囲気が違っていた。無表情で、朗らかな声は落ち着いた声へ、垂れ目がちな大きな瞳は今は半眼となっていた。
「預けた〈鍵〉の扱いについて言いたいことは多々あるが、失くしていないだけ良しとしよう」
ウルは『枝』を手に取るとその端を地面にそっと付けた。その途端に、ただの土だった場所に植物の種が芽吹きあっという間に草原が誕生した。
「銀のエルフよ、ノエルは力を制御できているか?」
「はい。暴走することはなくなりました」
「ならば良い。宿主に何かあっては依代を失う。我は消える訳にはいかぬ」
ウルは淡々とした声で告げると、己の手のひらを見つめた。両手の手袋を外すとエルトに手渡す。
「重たい。この体は不便なものを身に付けすぎだ」
ウルは首元のバンダナを指でつまむと、忌々しげに眺めた。
「それも手袋も、ノエルがノエルでいられる為のものです。精霊である貴方には不便なものかもしれませんが」
ノエルが身に付けているバンダナも手袋も彼の能力を抑えるための簡易封印の一種だ。エルトは手袋を荷物袋にしまうと魔除けの杭を引き抜いた。ウルが目覚めているならばこれは無い方が良い。
「ウル、貴方は何故ここに?」
「わからぬ。いま我の内側で宿主は眠っている。〈門〉の捜索はどうだ?」
「地道に進めています。まだ世界樹の手がかりは得られていません」
「そうか」
〈創世の世界樹〉によって創られた世界は枝の数だけ無数に存在する。それぞれの世界にはどこかに必ず世界樹があった。しかし、ノエル達が今いるこの世界にはそれが失われて久しい。〈門〉と呼ばれる、次世代の世界樹に繋がる樹を探してそこにウルを連れて行くのがノエル達の旅の目的だった。
「意識が繋がる我ら植物でも、〈鍵〉と〈種子〉が近くになければ〈門〉は探し出せぬ」
〈鍵〉は『枝』、そして〈種子〉はノエルのことだ。植物同士は意識が繋がっているが、〈門〉を探すには遠くからでは難しい。〈鍵〉と〈種子〉が揃って近くにないと反応しないらしいのだ。故に、ノエルが各地に足を運んで地道に探す必要があった。
「もっとも、次世代の世界樹となるべき樹が存在するかもわからぬ。我が最後の世界樹である可能性もある。見つからなければ、それもまたこの世界の運命」
ウルは静かに言った。無表情ではあるが、どこか寂しそうにエルトには見えた。
「ウル、俺たちが必ず見つけます。貴方の帰るべき場所を、きっと」
エルトはウルに力強く宣言する。帰りたい場所が何処かもわからず、ただそれを強く望む気持ちは幼少期の記憶のないエルトにも共感できるものがあった。
「そろそろ宿主が目覚める。銀のエルフよ、お前達に任せたぞ」
ウルはそう言って目を閉じると髪の色が元の明るい金髪へと戻っていった。ノエルがゆっくり目を開いたとき、その色もいつもの碧い瞳に戻っていた。ノエルはしばらくぼんやりとしたまま黙っていたが、瞬きを数回して意識がこちらへと向いたようだった。
「……おはよ」
「おはよう、ノエル。大丈夫か?」
「なんか、変な夢見てた……風の国が滅んで、シオドアが復讐者になってた……」
「〈扉〉か?」
「ん……違う世界の〈扉〉だったかも。おれ、どのくらい寝てた?」
「そんなに寝てないぞ。太陽だってあまり傾いてないだろ?」
「そっか、そうだな……」
ノエルはバンダナを元の位置に戻そうとして、あることに気が付いた。
「……なんか、髪の毛伸びてる?」
「ウルが表に出てたんだ。覚えてないか?」
「あー、全然覚えてない。おれ、ウルと話したことねえんだよなあ。何か言ってた?」
ウルとノエルは裏と表の関係だった。ノエルの中で眠るウルは昔に本体である世界樹を失くし、今はノエルを依代として存在を保ち続けている。ノエルは生まれつきの体質で命を落としかけていたところを、ウルを内側に宿すことで生きながらえていた。
「俺達に任せるって。あと、『枝』の扱いをもう少し丁寧にした方が良いかもしれない。多分だけど、ウルちょっと怒ってたと思う」
「あー……。あれ絶対壊れないから便利なんだよなあ……」
〈鍵〉とも呼ばれる、先代の世界樹の枝というありがたく稀少な代物をその頑丈さだけに着目して便利な鈍器扱いしているのは世界広しといえどもノエルだけである。実際のところ、決して欠けることも折れることもない『枝』はその使命以外にもノエルの旅を手助けしてくれていた。
「一応気を付けとく。おれ達の旅はこれまで通りで良いんだよな?」
ノエルはエルトから手袋を受け取ると、両手にしっかりと嵌めて手を握り込んだ。
「ああ。それで問題はなさそうだ」
「じゃあ、何も変わりはないな!」
伸びた前髪をかき上げて、ノエルはへらりと笑った。
「ノエルは、帰りたいと思うことはあるか? 故郷を離れてもう一年以上経つだろ」
歩きながらエルトはノエルに問いかけた。
「うーん、……今は旅が楽しいからそういう気持ちはないな!」
足を止めずに考え込んでから、ノエルは明るく答えた。
「帰りたい何処かとか、そういうのはまだノエルには早かったか?」
「ガキ扱いすんなよ」
「俺は、父さんに拾われる前は何処から来たのかわからないから、帰るべき場所が何処かわからないウルの気持ちが少しだけ解る気がしたよ」
遠くを見るエルトの眼差しは、少し寂しい色をしていた。
「おれにとって、エルトが隣にいればそこがおれの居場所だよ。何処かに帰るとか帰らないとかじゃなくて。だって、ガキの頃からの付き合いだろ?」
「……そうだな。〈水の天秤〉のこともあるしな」
「それ抜きでも! だって、エルトはおれの兄ちゃんなんだろ」
見上げてくるノエルの瞳があまりにもまっすぐで、エルトはほんの少し目を細めた。
「おれとエルトは家族なんだからさ、互いに帰る場所になれるだろ。だから、それでいいじゃん」
「……ああ。ノエルの言う通りだ」
どちらからともなく拳を作って前に突き出せば、それを重ねて笑い合った。
「兄として、ノエルのおしめだって取り換えたからな」
「それを言うのはずるいだろ、そもそも頼んでねえし」
「何をするにも俺の後ろをついてきて可愛かった」
「おれが可愛いのは仕方ないだろ」
エルトは無言でノエルの頭を撫でると、目元を緩めて柔らかく微笑んだ。
「健やかに育ったな」
「おかげさまでな!」
ノエルは得意気な顔で笑いながら親指を立てた。
「結局、ウルは何だったんだろうな? 急ぎの用事がある様子でもなかったんだろ?」
「そうだな。表に出てくる周期とかあるんだろうか。ノエルは日記にきちんと書いておけよ?」
「忘れずに書いとくけどさあ、封印が不完全になってきてるなら親父案件だし、偶然なら問題なさそうだし。『枝』の扱いに文句言いたそうだったのはわかったけど、それだけってものなあ……」
分かれ道に差し掛かりノエルは地面に『枝』を立てると、手を離して自然に倒れるのを待った。カランと乾いた音を立てて『枝』が倒れた方にノエル達は歩みを進める。
「どうする? 父さんに報告するために一度帰ってみるか?」
「うーん、『枝』が倒れた方に家があるならそうするけど、今はそうでもなさそうだしなあ。引き返すより進む方を選ぶよ」
「わかった。異変があったらすぐに言うんだぞ」
「うん」
ノエルは長くなった前髪を鬱陶しそうにかき上げると、バンダナに付いている精霊銀を外して髪留めに変化させた。バンダナを首元まで下ろし、前髪を頭頂部でまとめればいくらか視界がすっきりとした。
「エルト後でさ、髪の毛切ってくれねえ?」
「……手のかかる弟だ」
「ハサミ使えねえんだから仕方ねえだろ」
「野宿の準備が終わったら切ろう。それまで我慢しておけ」
まだ陽は高く日没まで時間がある。二人は他愛もない話をして笑いながら、『枝』の示す方へ歩みを進めていった。
【ウルが表にでてきたらしい。エルトが色々話したらしい。『枝』について怒られなくて良かった。髪が伸びてちょっと邪魔だった──ノエルの日記より抜粋】
〈了〉




