竜と妖精の琥珀・2
「……ここは?」
ノエルが目を覚ましたとき、見慣れぬ天井がそこにあった。意識を失っている間に着替えさせられたのか、いつもの服ではなく病衣を着ていた。枕元に置いてあったバンダナを身に付けるとノエルは周囲を見回した。脱いだ服と荷物袋が部屋の隅にある。
「よお。目を覚ましたか少年」
声をかけてきたのは鳶色の髪を後ろで括っている二十代後半と思われる男だった。眼鏡の奥の瞳は青が混じる琥珀色をしていた。
「これでも成人済みだ。おれはノエル、16歳。あんたは?」
「……オレはカイト。医師の真似事をしてる27歳。あー、年齢はどうでもいいか。火事の現場から運び込まれたお前たちを手当てしてあげた優しいおにーさんだよ」
火事の現場、と聞いてノエルは勢いよく体を起こした。ようやく記憶が繋がったのだ。
「そうだ! 火事! ……エルトは⁈」
「まあまあそう慌てなくても。連れのエルフの兄ちゃんなら無事だぞ。まあ怪我してるけどな。しばらくは安静が必要だ」
カイトは飄々とした態度でノエルに言った。
「救助の現場にはオレも行ったけど、同じ状況で一人は重傷、一人は無傷っていうのもなかなか見ないやつだったなあ」
「……エルトの方が先に瓦礫に潰されたんだ。おれは運が良かっただけだよ」
「その割には衣服の汚れ具合がなあ、煤と灰だらけだったが血の一滴も付いてないし不自然なんだよ。あれだけの瓦礫に潰されてて擦り傷一つない。不思議なこともあるもんだ」
カイトは白衣のポケットから煙草を取り出して咥えると、マッチを擦って火をつけた。火薬の匂いがツンと鼻を刺激する。
「オレの知り合いに傷がすぐ治る不思議な奴がいてね。そいつを思い出した。まあ、ノエル君は強運の持ち主ってことなんだろうな」
カイトは煙を吐き出すと、部屋の入り口を示して呟いた。
「エルフの兄ちゃんなら隣の部屋だ。肋骨折れてっから無理させんなよ」
「ありがとう!」
ノエルはカイトにお礼を言うと、隣の部屋へと裸足で駆け出した。
「……スリッパくらい履けよ。野生児か」
カイトは煙草を一本吸い終えると、寝台の下に置いてあったスリッパを拾いあげてノエルの後を追いかけた。
エルトが病室で目を覚ましたのはノエルが目を覚ますよりも少し前だった。左腕と胸部には包帯が巻かれ頬には絆創膏が貼られている。手当てをしてくれた男曰く肋骨にヒビが入っているから覚悟しとけ、である。胸部の鋭い痛みに浅い呼吸を繰り返すエルトは吐く息に熱がこもっていることに気が付いた。どうやら、怪我から発熱しているようだった。
「……不甲斐ない」
村人達が瓦礫に埋もれていた二人を救助してくれたのだと聞いた時、エルトは無事に少年を助け出し鎮火させられたことに安堵した。それと同時に、己の詰めの甘さを実感していた。
「父さんなら、もっと上手く解決したよなあ……」
「いや、今回のは親父でも無理だろ」
エルトの呟きは突然部屋に現れたノエルの言葉に打ち消された。
「ノックぐらいしろ、ノエル」
「寝てるかもって思ったんだよ。……無事そうで良かった」
ノエルの行動を窘めるエルトに、ノエルはへらりと笑った。
「おれたちはおれたちの最善を尽くしたんだ。なるようになった、それでいいだろ」
「……そうだな」
ノエルの能天気な言い方に小さく笑ったエルトは、その拍子に鋭い痛みが走り息を止めた。
「大丈夫か?」
「あまり……大丈夫では、ない」
返ってきたエルトの言葉はとても弱々しく、顔色は酷いものだった。その時、ドアがノックされ部屋の入り口にはカイトが立っていた。
「スリッパ忘れてんぞー。エルフの兄ちゃんは顔色酷いな。熱出てるなこりゃ」
カイトはノエルにスリッパを手渡すとエルトの額に手を当てた。
「エルト、です。名前」
「エルトだな。オレはカイト、村長に治療費貰ってるから熱下がるまでウチで寝とけ」
エルトの脈を測りながらカイトはへらへらと笑いながら言った。
「もうさー、村長がめちゃくちゃ頭下げてたぜ。息子の命の恩人だって。オレも臨時収入貰えてありがたいというか? まあ、そんな訳だから遠慮なく休んでけ」
「ありがとう、ございます」
エルトは痛みを押し殺して礼を述べると、カイトから上衣を手渡された。
「これ着れる? 痛くて無理そうならいいんだけどさあ。包帯姿じゃ寒いだろ」
上半身が治療を受けたままの包帯姿だったエルトは、上衣を受け取るとその動作で誘発された痛みに固まった。その額には脂汗が滲んでいる。
「あー、やっぱ無理そうだなこりゃ。そこで暇してるノエル君は手伝ってあげたらいいんじゃない?」
カイトがノエルをチラリと見て楽しそうに呟く。
「言われなくても!」
ノエルはエルトの上衣を手に取ると、慎重にエルトの腕を通していく。エルトは時折痛みに顔を歪めながら、なんとか着ることができた。その様子を見て何故か満足そうにしているカイトが口を開いた。
「これでよし。二人とも、この部屋のものは好きに使ってくれ。足りないものがあればできる限り用意させる。身の回りの世話はオレじゃなくてプロトってやつがするから。おーいプロト、入っていいぞー」
カイトは部屋の外に向かって誰かを呼ぶと、小さな人影が部屋に入ってきた。五歳くらいの見た目をした亜人の少年だ。金茶の髪の間には猫のような大きな耳がついている。人懐っこそうな黄金色の瞳に笑みを浮かべて、プロトと呼ばれた少年はノエル達に挨拶をした。
「プロト・1なのです。プロトとお呼びください」
彼は深々とお辞儀をすると、脇に抱えていた植木鉢を高く掲げた。
「こちらは鉢植えマンドラゴラなのです。プロトはハチと呼んでいます。危険植物なので引っこ抜くのはダメです。徘徊してますが危険はないので、そっと見守っていてくださいなのです」
ハチと呼ばれた鉢植えマンドラゴラは、根菜のような形をした植物だ。根に見える本体の部分に顔が付いており、抜かれるときにあげる悲鳴を聞いた生き物は絶命すると伝えられている。細長い手足がついており、植物の割に自力で動けるらしい。
「見ての通りハチは会話は無理だが、徘徊するだけで悪さもしない。観葉植物だけに寛容に見守ってくれ。なんてな!」
「はあ……」
ノエルは冷めたような目でカイトを見る。つくづくこの男は捉えどころがない。
「ああそうだ、エルト君の状態をノエル君にも分かるように説明しとかなきゃな。一番酷いのは肋骨のヒビだ。呼吸するだけで痛みが出るから笑わせたりしないように。痛み止めの貼り薬と包帯の固定で痛みを軽減させても、治るのに少なくとも20日はかかるだろうなあ。ずーっと痛いやつだから無理させんなよ。それと左腕は三針縫ってる。まあ動かさなきゃ平気だろ。顔の擦り傷はそれらに比べりゃすぐ治るな」
カイトの説明にノエルは頷いた。
「オレさあ、医師じゃないって言ってんだけど何故か村の人達から先生って呼ばれてんだよね。まあこれくらいの怪我ならオレ程度でも充分対応できんだけどさー」
小さな村にとって、医療の心得があるカイトはたとえ正式な医師でなくても頼りにされているのであった。
「カイトは医師にはならないのか?」
至極真っ当なノエルの問いに、カイトは眉間に手を当てて答えた。
「あー、それ聞いちゃう? 医師になるにはさあ、お金がかかんのよ。オレ程度の稼ぎでは到底無理って訳。でもまあ、この村に正式な医師が来たらオレはそいつに先生の座を譲って細々と暮らすから。これなら問題ないだろ?」
「そういうもんか?」
「そういうもんだ」
カイトはきっぱりと言い切ると、薬を取ってくると言い残して部屋の外に出ていった。残されたノエルとエルトを、プロトがじっと眺めている。
「おれはノエル。こっちの怪我してるのがエルト。よろしくな、プロト、ハチ」
「よろしくなのです!」
プロトはにっこりと微笑むと丁寧にお辞儀をした。鉢植えマンドラゴラはうねうねと手足をくねらせていた。
「ノエル君ちょっといいか?」
「なんだよ」
「エルト君は薬飲んで寝ちゃったし、お前いま暇だろ?」
「そうだけど……」
ノエルは寝台の上で寝そべり暇を持て余していた。汚れた衣服の洗濯などやることはあるのだが、日が沈みかけている時間帯に敢えてそれをする理由も見つからなかったのだ。
「オレさー、本来は研究者なんだよね、いろんな生物の血液を調べてんの」
「へえ。それで?」
「今はさあ、注射器っつって細長い針を刺して血を採る方法があってさあ。昔はナイフで皮膚をざっくり切ってたから、それに比べりゃ傷もすぐに塞がるし痛みもすぐ引くからそりゃあ便利な代物って訳よ。で、ここからが本題なんだけど……」
カイトは琥珀色の瞳を煌めかせて言った。
「血ィ摂らせて」
「断る」
ノエルは即答した。
「えー、なんでー。ノエル君の血、欲しいんだけど」
「断る。痛そうだからやだ」
「チクっとするだけだよ。ちょっとだけだからさあ……」
「嫌だ。おれは痛いのが嫌いなんだよ」
懇願するカイトをノエルは鬱陶しそうに払い除けてうんざりとしながら言った。
「残念……でもまあこういうのって説明と同意が必要だからな。うん、仕方ない。気が変わったら教えてねえ」
「気が変わったら、な」
しょぼしょぼと残念がるカイトにノエルは手を振り払いながら呟いた。エルトの恩人ではあるが、それとこれとは話が別だ。
「エルト君は良いよって言ってくれたのになあ」
「あいつ……」
人の良すぎる相棒に、ノエルは頭を抱えた。
カイトは趣味で研究をしながら、医師の真似事をして暮らしていた。高度な専門的な知識を持っている反面、その生活能力は著しく低く家事能力は壊滅的だ。それを補っているのが亜人の少年、プロト・1である。亜人とは人間によく似ているが、一部分だけ人間とは異なる特徴を持つ者のことを指す。獣人とは区別され、その数はとても少ない。
プロトは体は小さいがその家事能力の高さには目を見張るものがあった。御伽話に出てくる家事をする妖精がいたらこのようなかんじなのだろうというほど、よく気付きよく動く働き者だった。彼は今も小さな手で夕食の準備をしていた。
「プロトはいつも一人で家事してんのか?」
「そうなのです。カイトが手伝うと大惨事になるので」
プロトは慣れた手つきで野菜を洗うと、長ネギと大きな瓜を作業台の上に置いた。
「何か手伝えることがあったら言ってよ。おれどうせ暇だし」
ノエルの言葉にプロトは少し考えて、遠慮がちに呟いた。
「……じゃあ、プロトの代わりにこの瓜を切ってもらってもよいですか? プロトは大きな野菜を切るのが苦手なのです」
「あー、悪りぃ、おれ、刃物持てないんだ」
ノエルは歯切れ悪く言葉を紡いだ。
「そうなのですか?」
「精霊との約束でな、刃物を使っちゃいけないことになってるんだ。例外はあるんだけど、野菜とか切ったらダメなんだ。ごめんな」
「約束だったら仕方ないのです」
「その代わりおれが瓜を支えといてやるよ。一緒に切ろう。それなら平気だ」
「はい!」
プロトはにっこりと笑うとまな板の上に大きな瓜を置いた。ノエルの頭の大きさほどもあるその瓜は、確かにプロトの小さな手では切りにくいだろう。ノエルと一緒に半分に切り、種とワタを取り除いていく。
「その調子、上手いぞプロト」
一口大に切れたところでプロトは安心したように微笑んだ。
「そこの大きなお鍋に、お水を入れてくれますか?」
「おーけー」
ノエルは水道の蛇口を捻ると鍋の八分目まで水を入れた。
「プロトではお水を入れるのに時間がかかるので助かるのです」
「いつもどうしてんだ?」
「大きめのコップで少しずつ入れてるのです」
プロトは皮を剥いた瓜を鍋の中に入れると、魔道具で火をつけた。調味料で味付けをして、湯が沸くのを待つ間に長ネギも切る。
「おれさあ、炒めたり煮込んだりするのは得意だから何かあったら言ってよ」
「はいなのです!」
ノエルとプロトのやり取りを、カイトはドアの外から気付かれないように聞いていた。
「……精霊との約束、ねえ。誓約か」
カイトは目を細めて煙草を吸うと、息を細く長く吐いた。白い煙がほどけるように消えてゆく。カイトは静かにその場を離れると、後には煙草の煙だけが残った。やがてそれも宙に消え、微かな残り香もまた時間と共に消えていった。
「エルト、飯、食える……?」
食前のお祈りを横になったまま済ませクッションにもたれかかるようにして身体を起こしたエルトは、返事をしようとして痛みに息を止めた。
「……っ」
「まあまあ無理すんなよ。こんな痛みが20日は続くんだ。覚悟を決めるか諦めるかして慣れるしかないのよ。食べたら痛み止めやるから、食って体力つけな」
カイトは飄々とした態度で言った。
「……エルト、今日はおれが食べさせてやるから」
「頼む……」
痛みと発熱で思うように動けないエルトの口元に、ノエルがスプーンを運ぶ。適度に冷まされたそれは先ほどプロト達が作っていた瓜と長ネギと卵のスープだった。
「美味い……」
とろけるような食感の瓜が入ったスープは、優しい味がした。
「だろー? おれとプロトで作ったんだぜ!」
ノエルは得意気に言い放った。作ったのはほぼプロトなのだが、それは言わないでおくことにした。時折痛みに息を詰まらせながら、エルトはやっとの思いでスープを完食した。
「おかわりいる?」
「今日は、いらない」
囁き声で返事をしたエルトはクッションにもたれかかって目を閉じた。浅い呼吸が彼の痛みを物語っている。
「よし、全部食ったな。次は薬の時間だ。痛みを軽減してくれるが眠くなるやつだ。まあもう夜だし寝とけって話だけどな」
カイトはエルトに薬草を煎じた薬が入っているカップを差し出した。先ほども飲んだがお世辞にも美味しいと言えないそれを、エルトは一気に飲み干した。
「よし、良い子だ。貼り薬は明日の朝に取り替えるから、今日はもうずっと寝てていいぞ」
「何から何まですみません……」
申し訳なさそうに告げるエルトに、カイトはけらけらと笑いながら言った。
「いいのいいの、治療費たんまり貰ってるから。いやほんと普段見ない額よ? 命の恩人様々ってやつだな。気にしなくていいからしっかり休みな」
「……はい」
カイトの言葉に、エルトは小さく返事をした。
薬を飲んだエルトが寝付くまでにそう時間はかからなかった。その寝息は浅く、苦しそうにしているのが寝ていても伝わってくる。エルトの付き添いをプロトに任せて、ノエルは隣の部屋へ食事をしに行った。
「あー、先に食ってた。ノエル君も遠慮なくどうぞ」
テーブルを見ればカイトが先にスープとパンを囓っていた。ノエルは鍋からスープをよそうと、椅子に座ってお祈りをした。
「いただきます」
左手でスプーンを持つと、ノエルはスープを口に運んだ。なんだかほっとする味だ。
「エルトの言った通りだ。美味い」
「パンは適当にその袋から取って食っていいぞー」
「じゃあ遠慮なく」
ノエルは紙袋の中からパンを取り出すと、半分に割って囓った。
「ふわふわのパンってやっぱり美味いな。旅してると硬いパンが多くてさあ」
ノエルは柔らかいパンの方が好きだ。ただしこれは日持ちしないため、村や街の近くでないと食べられない。
「村長の家が燃えたから、村じゃ商売早めに切り上げて皆で後始末だとよ。おかげでパン屋のおかみさんに山程パン押し付けられたわ」
「大変なんだな」
「でも流石は村長ってかんじで、貴重品は全部金庫に入れてたから財産は無事だったらしいぜ。金庫ってすげえんだなあ」
カイトはコーヒーを飲みながら呟いた。
「村長さん、明日もう一度来るって言ってたぜ。知らねえけど貸してるもんがあるんだろ?」
「あ、そういえばローブ貸してた」
カイトの言葉で、ノエルは炎から護るために少年にローブを貸していたことを思い出す。
「そのうち旅の魔術師様の銅像が建つぜ」
「あはは……」
ノエルは曖昧に笑った。ノエルは精霊使いだが、表向きは魔術師ということにしているからだ。ノエルらパンをもう一つ紙袋から取り出すと、次はスープに浸して食べた。
「まあ、今日は色々あったけどウチにいる限りは安全だ。ノエル君も休めるときに休んでエルト君の看病してやりな」
「言われなくてもそうするよ」
ノエルはスープを飲み干すと、使い終わった食器をキッチンへと下げた。
「ごちそうさま、もう部屋に戻るよ。今日は色々ありがとな」
ノエルはカイトにそう告げると、エルトのいる部屋へと戻っていった。カイトはノエルの後ろ姿を見送る。ノエルの背中を見詰める琥珀色の瞳の奥で青色が輝いた。
その夜は月のない静かな夜だった。エルトの眠っているベッドの他に寝具はなく、備え付けのソファでノエルは一晩を過ごした。野宿に比べればソファでも充分すぎるほどの寝心地だった。
「……よく寝てるな二人共」
深夜に見回りに来たカイトは、二人の寝息を確認するとそっとドアを閉めた。
静かに夜が更けてゆく。
穏やかな、優しい夜だった。
〈つづく〉




