第8話
第一演習ダンジョンの実習は、あの日から中止されたままだった。
翌朝、教室の黒板には通常授業の予定が並んでいる。探索実習の欄だけが消され、代わりに基礎術式と救護訓練が書き加えられていた。
不満を口にする生徒は多かった。
第一演習ダンジョンへ入れる機会は限られている。装備をそろえ、何日も準備してきた班もある。理由も詳しく知らされないまま中止されれば、納得できない者が出るのも当然だった。
「昨日入れた班だけ得じゃないか」
「俺らは門もくぐってないぞ」
教室のあちこちから声が上がる。
カナメたちは答えなかった。
二つの確認標識を持ち帰ったことも、往路と復路で距離が変わったことも、教員から口外を止められている。
城戸先生が教室へ入ると、声は少しずつ収まった。
「第一演習ダンジョンは閉鎖を継続する」
すぐに不満の声が返る。
「いつまでですか」
「再調査が終わるまでだ」
「何があったんですか」
「内部構造に変化が見つかった」
城戸先生は必要なことだけを告げた。
「今後の実習日は調査後に決める。今日は予定を変更し、救護訓練を行う」
それ以上の質問には答えず、授業を始める。
カナメは黒板へ目を向けながら、昨日の岩壁を思い出していた。
スピカが何度も振り返った、何もない壁。
往路より五歩長くなった通路。
距離が伸びたのか。
自分たちが通ったあとで、途中へ別の空間が挟まったのか。
「御門」
名を呼ばれ、思考が止まる。
城戸先生がこちらを見ていた。
「救護訓練では、考えているだけでは負傷者は運べん」
「はい」
教室から小さな笑いが起きる。
セラは口元を押さえ、ツムグは隠そうともしていなかった。
ガイだけが退屈そうに窓の外を見ている。
「放課後、四人とも残れ」
城戸先生はそれだけ付け加え、授業へ戻った。
◇
放課後、四人は学院地下の記録室へ通された。
壁一面の棚には、ダンジョンごとの地図と調査報告書が年代順に収められている。中央の大机には、第一演習ダンジョンの地図が三枚並べられていた。
一枚目は、実習で使った現在の地図。
二枚目は、昨日の測定結果を重ねたもの。
三枚目は、紙の端が黄ばんだ古い地図だった。
城戸先生の隣には、昨日同行した補助教員と、白髪の教員が立っている。
「昨日の報告を確認する」
城戸先生が、二枚目の地図を指した。
「お前たちが距離の差を確認した場所だ」
第二区画の分岐と水路の間に、赤い線が引かれている。
「今朝、調査班が同じ場所を測った。距離は昨日の往路より七歩分伸びていた」
「帰りよりも増えてるの?」
セラが記録板を見る。
「そうだ」
「道が伸び続けとるんですか」
ツムグが尋ねる。
「そこまでは分からん。ただし、壁や床が押し広げられた形跡はない」
補助教員が測定記録を開いた。
「石材の継ぎ目も、管理術式の位置も変化していません。通路の一部だけが、地図上の長さと合わなくなっています」
「壁も床も動いてねぇのに、どうやって伸びるんだよ」
ガイが地図を睨む。
「原因は調査中だ。三つの班が別々に測ったが、結果は同じだった」
城戸先生は三枚目の地図を開いた。
「そして、第三区画で新しい通路が見つかった」
現在の地図には壁しかない場所へ、古い地図では細い道が描かれている。
昨日まで存在しなかったはずの道だった。
「新生経路」
白髪の教員が口にする。
「ダンジョン内部へ後から生じた、地図にない経路の仮称です」
カナメは二枚の地図を見比べた。
「新しい道じゃない」
三人の視線が集まる。
「四十年前の調査図に、同じ通路が記録されてる」
黄ばんだ地図の端に、現在と同じ形の経路が描かれていた。
入口の位置だけではない。最初の曲がり方も、その先の緩い下りも一致している。
城戸先生が頷いた。
「四十年前、このダンジョンで大きな構造変動が起きた。壁に亀裂が生じ、その先に未知の通路が現れた」
城戸先生は古い地図へ指を置いた。
「当時の調査が終わる前に、通路は消失した。入口は壁へ戻り、内部へ入る手段もなくなった」
「何があったんですか」
カナメが聞く。
「記録に残っているのは、通路が現れたことと、内部の距離が測量結果に合わなかったことだけだ」
「奥に何があったかは?」
「分からん」
「その道が、今回また出てきたと?」
セラが尋ねる。
「現時点では、そう見える」
ガイが古い地図へ身を乗り出す。
「なら、調べればいいだろ」
「既に調査中だ」
「俺様たちも行く」
「行かせん」
即答だった。
ガイの眉が動く。
「昨日の戦いを見てなかったのか」
「見ていた。第二区画の魔物には対応できていた」
だが、と城戸先生は古い地図へ目を落として言った。
「ダンジョンは奥へ進むほど、強い魔物が現れる。この経路がどの深度へつながるかは分からん」
ガイの表情から苛立ちが薄れる。
「四十年前、ここへ入った先行調査班は戻らなかった」
記録室が静まり返った。
「残っているのは入口側の記録だけだ。奥で何に遭遇したのかも、どこまで進んだのかも分かっていない」
昨日倒した魔物と比べるための情報すらなかった。
カナメにも反論はなかった。
「俺たちを呼んだのは、昨日の記録を確認するためですか」
「それもある」
城戸先生はセラを見る。
「七瀬。スピカに、昨日の帰還経路を地図の上で示させられるか」
セラが肩の白銀の小鳥へ目を向ける。
「短い範囲なら、できると思います」
「頼む」
机の上が片づけられ、第二区画の地図だけが残された。
セラがスピカをそっと下ろす。
「地下沼から帰ったときの道を、覚えているところまででいいわ」
スピカが小さく鳴いた。
尾羽から淡い光がこぼれる。
地下沼を出て、水路を抜ける。
光は四人が歩いた帰路を正確になぞった。
分岐の手前へ差しかかると、線が揺れた。
同じ場所を二度なぞるように、光がわずかに重なる。
「そこです」
セラが言う。
「距離が変わっていた場所」
スピカは線を引くのをやめなかった。
揺れた光の一部が帰路から外れ、地図の空白へ向かう。
そこには、入口も通路も描かれていない。
それでも光は岩壁を越え、第三区画まで伸びていった。
今朝、新生経路が見つかった場所で線が止まる。
スピカが首を傾げた。
「ここまで、道が続いてるの?」
セラが尋ねる。
スピカは小さく鳴いた。
「でも、第二区画側には入口がない」
白髪の教員が二枚の地図を見比べる。
カナメは、光が分かれた場所を見つめた。
入口は見えない。
それでも、道はある。
今は閉じているだけなのかもしれない。
スピカの尾羽が、再び淡く光った。
新生経路の先へ、さらに細い線が延びる。
線は地図の端に達しても止まらず、机の木目を横切った。
その先の壁へ届く前に、光が大きく揺らいだ。
「止めろ」
城戸先生の声が飛ぶ。
セラがスピカを抱き上げる。
光の線が途切れた。
スピカは目を閉じ、セラの腕へ身体を預けている。
「スピカ?」
一度呼ぶと、白銀の頭がわずかに動いた。
「疲れただけだと思います」
「今日はもう使わせるな」
セラが頷き、スピカの背を撫でる。
白髪の教員は、光が残した位置を写し取っていた。
「新生経路の先は、現在の地図に収まりません」
「深部へ続いてるってことか」
ガイが尋ねる。
「方角だけなら、そう見える」
城戸先生は言い切らなかった。
ダンジョンの中では、地上の距離も方向も当てにならない。
だが、スピカはそこを道として示した。
カナメは地図の端へ残った薄い光を見る。
新生経路の奥にも、道は続いている。
だが、どこへつながるのかは分からなかった。
「第二区画側も調べるんですか」
カナメが尋ねる。
「測定器を増やす。だが、生徒は近づけん」
「分かりました」
カナメは、光が帰路から分かれた場所へ目を戻した。
岩壁に入口はない。
鍵穴も見えなかった。
それでも、あの壁の向こうには道がある。
なぜか、そのことだけは確かに思えた。
白髪の教員が、棚から追加の記録板を運んできた。
「第二区画と第三区画、両方の記録です」
机の上に、地図と記録板が並べられていく。
カナメは椅子を引き、最初の一枚を手元へ寄せた。セラとツムグも机を囲み、ガイは向かい側へ腰を下ろす。
調査記録は、想像していたより地味だった。
壁面の温度。石材の組成。魔力濃度。振動。管理術式の反応。
新生経路が現れる前と後の記録を、一つずつ比べていく。
セラが数値を読み上げ、カナメが差を探す。ツムグは壁面図へ指を滑らせ、ガイは記録板へ目を走らせていた。
「何も変わってねぇじゃねぇか」
先に口を開いたのはガイだった。
「温度も魔力も誤差の範囲内だ」
「壁が崩れた形跡もありません」
白髪の教員が二枚の壁面図を並べる。
変化前には、何もない岩壁。
変化後には、人が二人通れるほどの入口。
削られた石材も、床へ落ちていなかった。
「新しく掘られた道じゃない」
カナメは二枚の壁面図を見比べた。
「別の場所にあった道が、ここへつながったのかもしれません」
城戸先生が四十年前の調査図へ目を落とす。
「可能性はある」
セラが地図へ二つの印をつけた。
第二区画の距離が変わった場所。
第三区画に現れた新生経路。
スピカの光は、その二つを一本の道として結んでいた。
「第二区画の距離が伸びたのも、道が重なり始めた影響かもしれないってこと?」
「まだ仮説だ」
城戸先生は二つの印を見比べた。
「両方を継続して測る。現場には近づくな」
◇
夜、第一演習ダンジョンの監視体制が組み直された。
第三区画の新生経路には、壁面の変化を記録する測定器が並んでいる。
現場に生徒の姿はない。
教員と補助教員が交代で記録を取っていた。
温度、魔力濃度、振動。
数値はいずれも誤差の範囲内に収まっている。
新生経路の奥は、調査灯の光が届かないほど深く続いていた。
「交代まで、あと十分です」
補助教員が時計を確認する。
その直後、入口に固定した測定縄が軋んだ。
入口の杭は動いていない。
奥の測定点も、床へ固定されている。
それでも、二つの杭の間で縄が張り詰めていく。
「距離が伸びています」
教員が記録を始める。
温度も魔力濃度も変わらない。
壁面にも異常はない。
ただ、入口から最初の測定点までの距離だけが増えていた。
調査灯の光が、一つずつ暗闇へ飲まれていく。
最後の灯りが消える直前。
さらに奥で、硬いものが擦れる音が響いた。
次回からは、毎週火曜、金曜、日曜のAM6:40に投稿していきます。




