第1話 七歳の決意
「お父様! お願いがあります!」
朝食の席に、私の声が響いた。
父は紅茶を口に運びかけたまま手を止め、向かいに座る母も驚いたように目を瞬かせる。
「どうした、ラウラ。」
アストレア侯爵家当主である父が、穏やかな声で尋ねる。
私は椅子から立ち上がり、ぐっと拳を握った。
「ヴィクトール様のお弟子にしてください!」
しん、と食堂が静まり返る。
数秒後、父が静かに聞き返した。
「……ヴィクトール様?」
「はい!」
ヴィクトール。
大陸最強と謳われた伝説の大魔導師。
今は王都郊外で隠居生活を送っている人物だ。
そんな人に、七歳の侯爵令嬢が弟子入りしたいと言い出したのだから、驚くのも当然だろう。
「理由を聞いてもいいかな。」
私は一瞬だけ言葉に詰まる。
――将来、魔王になる男の子を救いたいからです。
ゲームの設定では、アレクは公爵家の嫡男だが、幼い頃に魔力暴走を起こしている。
あまりにも強大な魔力を持つ彼を安全に育てられる人間は少なく、ヴィクトールに引き取られ、彼のもとで暮らすようになる。
つまり――。
アレクは、今この瞬間もヴィクトールの家にいる。
(だったら、私もそこへ行けばいいんだ!)
アレクのそばにいられる場所。
アレクと友達になれる場所。
それが、ヴィクトールの家だった。
ゲームのことも、前世の記憶も、毎晩見る夢のことも。
全部話したら、熱でもあると思われてしまう。
もちろん、そんなことは言えない。
「……魔法が好きだからです。」
嘘ではない。
魔法陣も魔法理論も大好きだ。
だけど、一番の理由は。
(アレクを助けたい。)
ゲームでは、アレクは幼い頃から孤独だった。
誰にも理解されず、誰にも寄り添ってもらえず、最後には魔王になってしまう。
でも、私は知っている。
夢の中で何度も見た、あの寂しそうな笑顔を。
『俺は、最初からこうなる運命だったんだろ。』
(そんな未来、絶対に変えてみせる。)
「お願いします、お父様!」
父はしばらく私を見つめていたが、小さく息を吐いた。
「ヴィクトール様は、とても厳しいお方だ。」
「はい。」
「泣いて帰ってくるかもしれないぞ?」
「帰ってきません。」
きっぱり答えると、父は少しだけ笑った。
「その目なら本気なんだな。」
「はい!」
「分かった。一度、お伺いを立ててみよう。」
「ありがとうございます!」
思わず父に抱きつく。
これで、一歩前へ進める。
ゲームにはなかった未来へ。
◇ ◇ ◇
数日後。
私は父とともに馬車に揺られていた。
窓の外にはのどかな森が広がっている。
(緊張する……。)
ゲームでは、この頃にはアレクはもうヴィクトールのもとで暮らしている。
(お願い……間に合って。)
会える。
ようやく会える。
父が優しく声をかけた。
「ラウラ。無理だと思ったら、遠慮なく帰ってきなさい。」
「大丈夫です。」
私は微笑んだ。
帰るつもりなんて、最初からない。
やがて馬車が止まる。
目の前にあったのは、伝説の大魔導師が住んでいるとは思えない、質素な一軒家だった。
庭では白髪の老人が畑を耕している。
「あれが……。」
「ヴィクトール様だ。」
父が馬車を降りる。
「お久しぶりです、ヴィクトール様。」
老人は鍬を肩に担ぎ、こちらを見た。
「おお、アストレア侯爵か。」
「今日はお願いがあって参りました。」
「断る。」
父が何も言っていないのに即答だった。
「まだ何も申し上げておりませんが……。」
「どうせ弟子入りじゃろ。」
図星だった。
父が苦笑する。
「実は娘が……。」
「帰れ。」
「お願いです!」
私は父の前へ飛び出した。
ヴィクトールはじっと私を見る。
「わしは子守りをする気はない。」
「子守りじゃありません!」
「ほう?」
「ちゃんと勉強します! 修行も頑張ります!」
「嫌じゃ。」
「諦めません!」
「嫌じゃ。」
「お願いします!」
老人は困ったように頭をかいた。
「……頑固じゃのう。」
その時だった。
家の扉が開く。
「じじい。」
ぶっきらぼうな声。
黒髪黒目の少年が、眠たそうな顔で出てくる。
「飯。」
「ああ、もう少し待て。」
私は息を呑んだ。
(いた……。)
ゲームで何度も見た姿。
でも、画面の向こうとは違う。
ちゃんと息をしている。
ちゃんとここにいる。
まだ、魔王じゃない。
少年は私を見て首を傾げた。
「……誰?」
私は自然と笑みがこぼれた。
「初めまして。私はラウラ・アストレア。」
少年は何も答えず、ただ不思議そうに私を見つめている。
まだ何も知らない、この小さなアレクは。
――今度こそ。
君を、一人にはしない。




