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キングスレイヤー真  作者:


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99. 誇りの値段

 部屋を支配したのは、鉛のように重い沈黙だった。


 支配人はガタガタと震えながら、主人の顔色を窺っている。


 対するイヤネスは、石像のように固まっていた。


 額から一筋の脂汗が流れ落ち、高級な絨毯に染みを作る。


 計算しているのだ。


 白金貨1000枚という莫大な賠償金か。


 それとも、過去三十年分の製品を全て回収し、修理するという地獄の作業か。


 前者は、一時的にでも商会の屋台骨を揺るがすほどの損失だ。


 だが後者は、商会の「信用」という命を完全に絶つことになる。


 商人にとって、信用を失うことは死と同義だ。


 どれほどの時間が過ぎただろうか。


 永遠にも感じられる静寂の後、イヤネスがゆっくりと口を開いた。


「……白金貨、毎年100枚。……それを10年間だ」


 声は低く、しかし力強かった。


 追い詰められてなお、トップに立つ者としての威厳を崩さない。


「一括などは認めん。……だが、分割ならば払ってやる」


 事実上の、敗北宣言だった。


 だが、決して弱音は吐かない。


 あくまで「自分がその条件を選んでやった」という態度は、傲慢不遜なイヤネスらしい、最後の抵抗に見えた。


「金の輸送は、我が商会の責任においてアケニース領まで行う。護衛も、馬車も、全てこちら持ちだ。……それで、手を打て」


 苦渋の決断だったはずだ。


 白金貨1000枚。


 それは小国の国家予算にも匹敵する。


 それを十年かけて払い続けるということは、ハインツ商会はこの先十年間、俺という「足枷」を引きずって歩くことになる。


 俺は深く息を吸い、ニヤリと笑った。


 十分すぎる戦果だ。


 だが、俺は最後の最後に、もう一つだけ試してみたくなった。


「……いいでしょう。条件を飲みます」


 俺は身を乗り出し、イヤネスの目を覗き込んだ。


「ですが、もし今ここで、私に対して『謝罪』をしていただけるなら。総額から白金貨100枚、負けて差し上げますよ?」


 たった一言。


「すまなかった」と言えば、白金貨100枚が浮く。


 商人ならば、飛びつくはずの提案だ。


 プライドなどという一銭にもならないものを捨てれば、莫大な富の一部が守れるのだから。


 だが。


 イヤネスは、その提案を無視した。


 まるで聞こえなかったかのように、無言で懐から羊皮紙を取り出し、さらさらとペンを走らせ始めた。


 カリ、カリ、カリ……。


 ペン先が紙を走る音だけが響く。


 彼は眉一つ動かさず、淡々と、屈辱的な賠償契約書を書き上げていく。


(……なるほどな)


 俺は内心で舌を巻いた。


 こいつは、選んだのだ。


 白金貨100枚という大金よりも、自分の「誇り」を。


 ガキに頭を下げるくらいなら、金を払って済ませる。


 それが「国頭くにがしら」と呼ばれる男の、最後の意地であり、譲れない矜持なのだろう。


「……署名した。確認しろ」


 イヤネスが羊皮紙を滑らせて寄越す。


 そこには、俺が提示した通りの支払い条件と、輸送の義務、そしてハインツ商会の代表印が鮮やかに押されていた。


 俺は内容に不備がないことを確認すると、懐から「四十年前の契約書」を取り出し、テーブルに置いた。


「……商談成立ですね」


 俺が古い証文を渡すと、イヤネスはそれをひったくるように受け取り、デスクの上のオイルランプにその端をかざした。


 ゆらり、と炎が舐め、古びた羊皮紙があっという間に黒い灰へと変わっていく。


 これで、俺と彼を繋ぐ過去の因縁は、金という形に変わって清算された。


 最後まで、謝罪の言葉はなかった。


 俺を見送る彼の目には、敗北の悔しさと同時に、奇妙な光が宿っていた。


 大金を失っても、己の膝だけは折らなかったという、歪だが強固な自負。


(……まあ、構わないさ)


 俺は契約書を懐にしまい、席を立った。


 謝罪なんて言葉よりも、これからの十年間、毎年のように届く白金貨の山の方が、よほど彼にとっての「罰」になるだろう。


「では。……支払いが滞らないことを祈っていますよ」


 俺は背を向け、部屋を出た。


 背後からは、何の言葉も返ってこなかった。


          ◇


 重厚な扉が閉まり、廊下に出た瞬間だった。


「……ッ」


 俺は壁に手をつき、崩れ落ちそうになる膝を必死に支えた。


 全身から、力が抜けていく。


 冷や汗がどっと噴き出し、心臓が早鐘を打っていた。


(……あぶねぇ……)


 ハッタリだった。


 もしイヤネスが「リコール上等、やってみろ」と開き直っていたら、勝てる保証はなかった。


 ギリギリのチキンレース。


 俺は深く、長く息を吐き出した。


 ハインツ商会という巨人を、力でねじ伏せた。


 白金貨100枚よりも重い、男のプライド。


 それを貫き通した敵への、ほんのわずかばかりの敬意のようなものもある。


 だが、結果が全てだ。


 俺は震える足に力を込め直し、ハインツ商会の正門を出て、眩しい日差しに目を細めた。


「……勝ったのは、俺だ」


 青空に向かって呟く。


 手の中には、未来への莫大な資金。


 俺たちの旅は、これで本当の意味で「自由」になった気がした。




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