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キングスレイヤー真  作者:


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100/138

100. 勝利の味と、聖なる汁

 ハインツ商会の敷地を出て、角を曲がった瞬間だった。


 張り詰めていた糸がプツリと切れ、俺の足がもつれた。


「……っと」


 石畳に膝をつきそうになった俺の体を、音もなく現れた影――スピディが支えた。


「おっと! 大丈夫ですか、ボス!」


 スピディは俺を支え直すと、興奮冷めやらぬ様子でまくし立ててきた。


「いやー、痺れましたよ! あのイヤネスを言葉だけでボッコボコにするなんて! 最後の一手なんて、聞いてるこっちがヒヤヒヤしましたって! 商会の存亡を人質にとるとか、マジで悪魔っすね! さすがボス!」


 いつもの軽い調子だが、その声には心底からの称賛が混じっている。


「……よせ。ただのハッタリだ。心臓が口から出るかと思った」


 俺は苦笑しながら体勢を立て直した。


 後ろでは、ポムキンが重そうな革鞄を軽々と担いでいる。


 イヤネスが「手付金」としてその場で用意させた、今年分の白金貨100枚だ。


 家一軒どころか、城すら買えそうな重みを、巨漢の従者は顔色一つ変えずに持っている。


「ポムキン、重くないか?」


「……よい重さ」


 ポムキンは無表情のまま、少しだけ嬉しそうに鞄を叩いた。


「さて……どうしますか、ボス。勝利の宴といきますか?」


 スピディがニカッと笑う。


 俺は腹をさすった。


 極度の緊張から解放された反動か、猛烈な空腹感が襲ってきていた。


「ああ、腹が減ったな。……どこか美味い店はないか?」


「了解っす! いくつか目星はつけてありますよ」


 さすがは『パシリ』だ。


 こういう時のリサーチも抜かりない。


「この近くですと、評判の良い肉料理の店がありますが……それとも、少し歩きますが魚を出す店もあります。まあ、ボスはアケニース育ちですから、肉の方が――」


「魚だ」


 俺は即答した。


 食い気味だったかもしれない。


 スピディが少し驚いた顔をする。


「魚、ですか?」


「ああ。アケニースは内陸だ。川魚ならともかく、新鮮な海の魚はほとんど食えない。だが、ここレーマネは海に面している。……行くしかないだろう」


 前世の日本人の血が騒ぐ。


 塩焼き、煮付け、あるいは……。


 想像するだけで唾液が溢れてくる。


「わかりました。では、こちらへ!」


          ◇


 案内されたのは、港に近い大衆食堂だった。


 店の前には、炭火で魚を焼く香ばしい匂いと、甘辛い煮汁の香りが漂っている。


 高級店ではないが、絶対に美味いと直感が告げていた。


「いらっしゃい! 空いてる席へどうぞ!」


 中に入ると、活気のある声で店主が迎えてくれた。


 俺たちは隅のテーブル席に陣取った。


「ご注文は?」


 エプロン姿の店主が水を置いていく。


「おすすめは?」


「今日は脂の乗ったサバが入ってるよ。焼き魚か、煮魚か選べる。あとはパンか『飯』、それにスープか『聖汁』のセットだ」


 俺の手がピクリと止まった。


 聞き捨てならない単語が二つあった。


「……おい待て、親父さん。今、『飯』って言ったか?」


「ん? ああ、言ったよ」


 店主は不思議そうに俺を見た。


「あの、白い粒々の……穀物のことか?」


「そうだよ。なんだ、知ってるのかい? 南にある『テンス』の方から入ってくるやつでな。あそこはほぼ鎖国状態で、どんな国なのかよくわからんのだが、最近少しずつ流通し始めたんだ。独特の粘り気があるからこっちの人間の口には合わないみたいで、あまり人気はないんだが……」


 店主は頭をかいた。


「俺は好きでな。まあ、たまに物好きな客が頼むから、メニューには載せてるんだ」


 その瞬間、俺の全身に電流が走った。


 米。


 マジか。


 あるのか、この世界に。


 パンもいい。


 芋も悪くない。


 だが、俺の魂が求めているのは、あの白くて輝く宝石なんだ。


 転生してから数年、ずっと焦がれていた故郷の味。


 焼き魚に、白いご飯。


 その黄金の組み合わせを想像しただけで、口の中に唾液が洪水のように溢れてくる。


 会いたかった。


 ずっと会いたかったぞ、米……!!


 俺は震える拳を握りしめ、祈るように店主に告げた。


「焼き魚と、飯をくれ。……絶対に飯だ。大盛りで頼む」


「お、おう。わかったよ、物好きだな」


「それと……もう一つ気になるがある。『聖汁』ってのはなんだ? 聖なる汁?」


 名前がいかめしい。


 回復薬の一種か何かか?


「ああ、これか」


 店主は説明するのが面倒そうに、厨房の奥を指差した。


「『ドマニー教』って知ってるか? 昔からある最大勢力の宗教なんだが、そこが信徒に配ってる『聖なる玉』ってのがあってな」


「聖なる玉?」


「ああ。茶色くて、少し独特の匂いがする団子みたいなやつだ。作り方が一般にも開示されたんだが……それを湯に溶かすと、滋養強壮に良いスープになるんだよ。まあ、これは結構好きなやつは多いぞ」


 茶色い玉。


 湯に溶かす。


 独特の匂い。


 俺の脳内で、いくつかの点が線で繋がった。


 まさか。


「……それも頼む」


「あいよ! 焼き魚定食、飯と聖汁で一丁!」


 数分後。


 運ばれてきた盆の上を見て、俺は確信し、そして天を仰いだ。


 こんがりと焼けたサバ。


 湯気を立てる白いご飯。


 そして、木の椀に入った、茶色く濁ったスープ。


 中には刻んだネギが浮いている。


 一口すすってみる。


 口いっぱいに広がる、大豆の発酵した芳醇な香りとしょっぱさ。


 五臓六腑に染み渡る、懐かしい故郷の味。


(……味噌汁じゃねぇか!!)


 俺は椀を持ったまま震えた。


 間違いない。


 これは味噌だ。


 ドマニー教の「聖なる玉」とは、要するに「味噌玉」のことか。


(……あ)


 そこで、俺はある記憶を呼び起こした。


 前世の俺、アーノルだった頃の記憶だ。


 あの日、俺はドマニー教の聖地で、創始者タローが遺した羊皮紙を読んだ。


 そこには、米がないことを嘆き、代用として「麦味噌」を作っているという記述があった。


 だが、タローさんはそれをどう食べるかまでは書き残していなかったらしい。


 当時の神父たちは、タローが遺したその「茶色いペースト」を、使い方もわからずにありがたがって、そのまま丸めて食べるという苦行のような儀式を行っていたのだ。


『なんという味だ……これが創始者様の試練か……』


 顔をしかめて味噌玉をかじっていた神父たちに、俺は教えてやったのだ。


『違う、そうじゃない。これは湯に溶いて飲むものだ。そうすれば、極上のスープになる』


 半信半疑の彼らに味噌汁を作って飲ませると、彼らは涙を流して感動した。


『おお! なんという慈悲深き味! これぞ黄金のスープ!』


 ……そう、確かに俺は教えた。


 だが、その時、俺は一つだけ余計なことをした。


 タローさんの手記の後半が、ただの愚痴や日記だったことを隠すため、そして神父たちの信仰心を守るために、「高尚な教え」として脚色して伝えてしまったのだ。


『これは創始者が遺した聖なる知恵だ』と。


(……そのせいで、『味噌』という名前よりも『聖なる玉』という仰々しい名前が定着しちまったのか……っ!)


 俺のバカ。


 良かれと思ってついた嘘が、メニュー名をおかしなことにしている。


 「聖汁」なんて言われたら、飲むのに背筋を伸ばさなきゃいけない気がするじゃないか。


「……どうしたんすか、ボス? 涙ぐんじゃって」


 スピディが不思議そうに覗き込んでくる。


「いや……なんでもない。ただの感動だ」


 俺は涙を拭い、白いご飯を口に運び、味噌汁――いや、聖汁を流し込んだ。


 美味い。


 名前はどうあれ、味は完璧だ。


 タローさんの執念と、俺のお節介が生んだ奇跡の定食。


「……スピディ、ポムキン。お前らもこれを食え。これは『勝利の味』だ」


「はぁ……よくわかんないっすけど、ボスが言うなら間違いないっすね!」


 二人は不思議そうな顔をしていたが、俺にとっては、白金貨にも勝るとも劣らない、最高のご褒美だった。


 俺は心の中で、同郷の先輩タローと、かつての自分アーノルに乾杯しつつ、久々の和食を噛み締めた。



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