94. 鉄の味(メイガンサイド)
石畳を叩くブーツの音が、妙に心地よく響く。
俺、メイガンは大きく伸びをして、レーマネの乾いた空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「あー、せいせいした! やっと解放されたぜ」
ここ数日、俺たちが何をしていたかといえば、金槌と鋸を持っての馬車作りだ。
ふざけた話だ。
俺の手は、剣の道を極めるために豆を潰し、皮を厚くしてきたものだ。
釘を打つために鍛えたわけじゃない。
「……まったくだ。俺の筋肉も、木材運びより剣を振りたがってうずいている」
隣を歩くダガンが、太い首をコキリと鳴らして同意する。
こいつも口数は少ないが、根っからの真面目人間だ。
ただ、たまに漏らす軽口にはトゲがある。
俺はふと、宿に残してきたあの小さな「怪物」のことを思い出した。
アルヴィン。
アケニース伯爵家の三男にして、俺たちの雇い主だ。
親父のメイシーがよく言ってたな。
死んだ友人のアーノルは、基本的には石橋を叩いて渡る慎重な男だったが、たまに度肝を抜くような無茶をやらかす奴だった、と。
そのアーノルのひ孫が、あのアルヴィンだ。
だが、俺の目から見れば、血の濃さが逆転しているように思える。
あいつは「たまに無茶をする」んじゃない。
息をするように常識を破壊し、思いつきで世界をひっくり返そうとする。
慎重さなんて欠片もない、「ほとんどめちゃくちゃ」な奴だ。
「……まあいい。おかげで俺たちは修行の時間をもらえた」
アルヴィンは言った。
『俺は馬を探しに行くから、お前たちは修行でもしてこい』と。
やっと本業に戻れる。
俺は腰の剣の感触を確かめた。
「で、ジョバーブン。あてはあるのか? こんな商売一色の街に、まともな道場なんてあるのかよ」
俺の問いに、少し前を歩いていたジョバーブンが、ニヤリと口角を吊り上げた。
このおっさんは、擦れてはいるが常識はある。
そして、嗅覚は一級品だ。
「甘いな、メイガン。商人の街だからこそ、傭兵が多いのさ。金あるところに争いあり、だ。だが、商人は自分じゃ戦わねぇ。そこで、頭脳労働も単純作業も苦手だが、暴力の才能だけはある……そんな奴らの行き着く先は、いつだって傭兵稼業さ。この街には、そういう連中を鍛え上げる場所が腐るほどある」
「なるほどね。……燃えてきたじゃねぇか」
最初に訪れたのは、大通りに面した『市民護身剣術・レーマネ会館』。
看板は立派だが、中に入ると、金さえ払えば誰でも「強くなった気になれる」ような安っぽい空気が漂っていた。
「一番強い奴を出せ。金は払う」
俺が言うと、奥から着飾った三人の師範代が出てきた。
だが、構えを見た瞬間に興冷めだ。
重心が浮き、剣はピカピカの飾り物。
実戦の「鉄の匂い」が微塵もしない。
「……行くぞ、ダガン」
「ああ、時間の無駄だな」
踏み込み一閃。
俺たちが本気を出すまでもなく、三人の「最強」は瞬殺された。
床に転がる彼らを見捨て、俺たちは早々にその場を後にした。
「次はここだ。……期待していいぞ」
ジョバーブンが連れてきたのは、路地裏の古びたレンガ造りの建物だった。
看板はない。
だが、建物からは怒号と、鉄がぶつかり合う鈍い音が漏れ聞こえてくる。
中に入ると、熱気でむせ返るようだった。
百人以上は在籍しているらしいが、今日集まっているのは三十人ほどか。
型も礼儀もない。
目潰し、金的、手段を選ばない実戦的な傭兵殺法。
これだ。
俺が求めていたのは、こういう泥臭い空気だ。
「師範代クラスとやりたいんだが」
ジョバーブンの問いに、一人の男が顎で壁をしゃくった。
そこには、名前が書かれた小さな木の板が、ピラミッドのようにずらりと掛けられていた。
「ここは実力主義だ。強い順に板が上になる」
立ち上がったのは、その男を含めた三人。
「俺たちでよければ相手をしようか。……あの板の位置、上から数えて20番目から25番目。それが今の俺たちの席だ」
トップですらない、中堅の傭兵。
だが、その構えには隙がない。
戦場で数多の修羅場を潜り抜けてきた、独特の重圧がある。
「俺はメイガン。……手合わせ願おうか」
俺は剣を抜き、正眼に構えた。
俺たちは、人生のすべてを剣に捧げてきた。
毎日、何千回と素振りを繰り返し、呼吸を整え、刃を研いできた。
その矜持がある。
こんな街の端くれに、俺たちの研鑽を上回る者がいてたまるか。
「やるか」
開始の合図はなかった。
殺気が弾けた瞬間、それが合図だった。
「……ッ、速い!」
俺の突きを、男は紙一重でかわし、同時に足元の砂を蹴り上げてきた。
卑怯? いや、これが実戦だ。
俺は視覚に頼らず、気配だけで剣を薙ぐ。
金属音が火花を散らす。
横ではダガンが、巨漢の槍使いと正面からぶつかり合っていた。
「フンッ!!」
ダガンの剛剣が槍を弾くが、相手も体勢を崩さず、石突きで喉元を狙う。
「……チッ、重いな!」
ダガンが珍しく苦しげに、しかし嬉しそうに軽口を叩く。
ジョバーブンも、老獪なナイフ使い相手に、ボロボロになりながらも巧みに立ち回っている。
強い。
こいつら、20番台でこれなのか。
俺たちの誇りが、技術が、全力のぶつかり合いの中で火花を散らす。
……数分後。
俺の剣が男の喉元で寸止まり、ダガンが槍を叩き折り、ジョバーブンが相手を締め落とした。
「……ハァ、ハァ……俺たちの、勝ちだ」
圧倒なんてできなかった。
額から滴る汗が、目に入って痛い。
一歩間違えれば、俺たちが床を舐めていただろう。
「……やるじゃねぇか、アンタら」
負けた男が、清々しい顔で笑った。
「お前らなら、上位陣ともいい勝負ができるかもな」
「……光栄だね」
俺は剣を納めた。
手のひらに残る、重厚な鉄の振動。
アルヴィンのめちゃくちゃな旅に付き合って、鈍っていた感覚が、この死闘で完全に研ぎ澄まされた。
「最後の一軒も回るつもりだったが……今日は疲れたな。明日にしよう」
俺は肩を回した。
心地よい疲労感が全身を包んでいる。
「ああ。今日はもう十分だ。……いい酒が飲めそうだ」
ダガンが頬の切り傷を拭いながら、真面目な顔で同意した。
俺たちは道場を後にした。
夕日に染まるレーマネの街。
剣の道は、やはり深く、そして熱い。




