91. 紳士な変態と、命の処方箋
嵐のような晩餐会から一夜明けた、レーマネの朝。
宿の窓から差し込む光を浴びながら、俺は昨夜もらった名刺を眺めていた。
「……『ペッパニ商会』会長、ポショル。薬学の権威、か」
その時、部屋のドアが「コンコン」と上品に叩かれた。
スピディが寝ぼけ眼で扉を開けると、そこには昨日と同じ、完璧な着こなしの長身の紳士が立っていた。
「おはよう。朝早くから失礼するよ、アルヴィン君」
「うわあああッ!? 出たあぁぁッ!!」
背後のベッドで朝の筋トレをしていたダガンが、弾かれたように窓際まで飛び退いた。
ポショルは彼を一瞥し、眼鏡の奥で瞳を怪しく光らせたが、すぐに俺に向き直って優雅に一礼した。
「……ご安心を。今日は君の仲間の『上腕三頭筋』を愛でに来たわけではありません。あくまで商談……いや、提案に来たのです」
「……昨日の今日で、行動が早いですね」
俺が椅子を勧めると、ポショルは音もなく座り、長い足を組んだ。
昨夜の俺の診断について、彼は「私と同じ、あるいはそれ以上の理を感じた」と真剣な目で語り始めた。
「私はこれでも大陸一の薬学を修めたと自負しています。傷はもちろんのこと、猛毒の類も正体がわかっていれば中和は難しくない。……そこでだ、アルヴィン君。しばらくの間、私を君たちの旅に同行させてはくれないか?」
「同行、ですか?」
「ええ。君の類まれなる『診断力』と、私の『調薬技術』。これほど素晴らしい臨床データが取れる機会は他にない。それに……私を味方にしておけば、旅の恩恵は計り知れないよ?」
条件は悪くない。
大陸屈指の「医療」が加われば、生存率は格段に上がる。
だが、一つだけ確認しておかなければならないことがあった。
「ポショルさん。クサレッタ……あの女性について、何か知っていますか?」
その名前が出た瞬間、ポショルの表情から余裕が消え、冷徹な学者の顔になった。
「……クサレッタ。彼女の『ガミカース商会』のことか。表向きは借金奴隷を扱っていますが、裏では非合法な奴隷も売買しているという黒い噂が絶えない。それもただの奴隷じゃない。 あれはまるで人形だ。医学的に見て、あのような状態を安定して維持できる薬物は存在しない」
ポショルは忌々しげに吐き捨てた。
「噂では、特殊な『術』を使い人の心を縛り付けているようです。それが何なのか、我々の理解を超えた技術であることは間違いない。忠告しておきますが、彼女とは関わらない方がいい。あの女と敵対するということは、死よりも恐ろしい『不透明な闇』に身を投じるということです」
俺は昨夜見た【状態:呪縛】という文字を思い出した。
ポショルでさえ「理解不能」と言うその力。
魔法が存在しないはずのこの世界で、唯一「理屈が通じない」相手かもしれない。
「……肝に銘じておきます」
俺は頷いた。
予感はある。
いずれ、彼女とはぶつかることになるだろうと。
「さて、暗い話はここまでにしましょう」
ポショルはパンと手を叩き、いつもの優雅な笑顔に戻った。
「同行は許可してくれるのかな? もちろん……君のような『子供』には手を出しませんよ。私の興味は、あくまで完成された肉体美と、君の持つ知性にある。最低限の倫理観と自制心は持ち合わせているつもりです」
「……説得力があるような、ないような。わかりました、歓迎しますよ。ただし、ダガンに無理やり怪しいプロテインを飲ませないこと。いいですね?」
「ふふ……努力しましょう」
ポショルは俺の手を握り、満足げに微笑んだ。
変態的な執着心はあるが、その知識と実力は間違いなく本物だ。
「よし、決まりだ。ダガン、諦めろ。こいつ、今日から俺たちの担当医だ」
「嘘だろォォォッ!! 」
ダガンの絶叫が宿に響き渡る中、俺たちの旅に、新たな「毒」と「薬」が加わった。




