88. 産声は、静寂の中に
「よし、フレーム固定! ダガン、そこで一ミリも動くなよ!」
「おう! 任せろ、人間万力だ!」
深夜の工房に、俺の鋭い号令が響く。
ダガンが巨大な木製フレームを両手で抱え込み、文字通り「固定器具」となって支えている。
その腕の血管は今にも破裂しそうなほど浮き出ているが、揺らぎ一つない。
「ボルト挿入! マンダル、ナットを回せ!」
「指図するなガキ! もう回っとるわ!」
マンダルが目にも留まらぬ速さでスパナを回転させる。
普通なら数分かかる締め付けが、数秒で終わる。
しかもそのトルク管理は、手の感覚だけで完璧に一定だ。
「次、サスペンションユニット!」
俺が叫ぶと、カイルとゲランが、焼き上がったばかりの板バネの束を運び込んできた。
それを車軸の上にセットし、さらにその上に革ベルトとスプリングを組み合わせた吊り下げ機構を噛ませる。
「カエル! U字ボルト!」
「は、はいッ!」
カエルが震える手でボルトを差し出すと、俺とカイルが左右から同時に受け取り、呼吸を合わせて一気に締め上げる。
ガキンッ!
重なる金属音が一つに聞こえるほどのシンクロ率だ。
「……すげぇ。父さんとあの子、まるで鏡を見てるみたいだ」
ゲランが呆然と呟くが、感傷に浸る暇などない。
「おいメイガン! キャビンの扉、閉まりが悪いぞ!」
「あぁ!? さっき合わせたでしょうが!」
「湿度で木が膨張したんだ! 削れ!」
「チッ、細かい男は嫌われるよ!」
シュパァァァッ!
メイガンが愛用の短剣を一閃させる。
薄皮一枚分の木屑が舞い、扉が「スッ……」と吸い込まれるように閉まった。
完全密閉だ。
「合格! 次、車軸!」
ここが心臓部だ。
俺とカイルは、分割された車軸を慎重に持ち上げた。
その両端には、マンダル特製のSランク・ベアリングが組み込まれたハブが輝いている。
「いくぞ……せーのっ!」
カチャリ。
重厚な部品同士が、まるで吸い付くように収まった。
マンダルの真球ベアリングが、恐ろしいほどの精度で車軸を支えている。
手で軽く回しただけで、車輪は音もなく、そしていつまでも回り続けた。
「……気持ち悪いほどスムーズじゃな」
作った本人であるマンダルですら、引くほどの回転性能だ。
「よし、最後だ! スピディ、幌を持ってこい!」
「へ、へい! お待ちどう!」
全身ロウまみれになったスピディが、防水加工を施した特製のキャンバス地を引きずってきた。
それをカイルが曲げ加工した骨組みに被せ、革ベルトでピンと張る。
「張り具合よし! 固定!」
バチンッ!
留め具が弾け、全ての工程が終了した。
――シーン……。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、工房に静寂が訪れた。
全員が肩で息をしながら、目の前の「それ」を見上げている。
そこに在るのは、貴族が乗るような煌びやかな馬車ではない。
塗装は素材の色のまま。
装飾は一切なし。
だが、太いタイヤ、幾重にも重なるサスペンション、低く構えた重心、そして機能美の塊のようなフレームワーク。
それはまるで、荒野を蹂躙するために生まれた「装甲獣」のような威圧感を放っていた。
「……なんて姿だ」
ゲランが呻くように言った。
「美しい……。飾りなんてないのに、こんなに美しい馬車は見たことがない」
「ふん。まあ、ワシのベアリングが入っておるからな」
マンダルが煤だらけの顔を拭いながら、隠しきれない自慢げな笑みを浮かべる。
「俺の筋肉も染み込んでるからな、頑丈さは保証するぜ」
ダガンがパンパンに張った上腕二頭筋を叩く。
カイルがゆっくりと馬車に近づき、御者台の覆いを掌で撫でた。
「……いい仕事だ」
その一言が、全てだった。
レーマネ随一の頑固職人が認める、最高傑作。
「ああ。これなら世界の果てまでだって走れる」
俺も車体に触れた。
26年前、若き日の俺たちが夢見た「究極」の形。
それが今、新しい仲間たちの手によって完成したのだ。
「……で、名前はどうするんだ?」
メイガンが串を咥えながら聞いた。
「名前?」
「ああ。これだけのマシンだ。名前がないと締まらないだろ?」
俺は少し考え、カイルを見た。
カイルも俺を見ている。
言葉はいらなかった。
「『リライア』」
俺が呟くと、カイルがニヤリと笑った。
「……『信頼』か。悪くない」
かつて俺たちが作った最初の馬車の名前。
それを継ぐ、二代目の誕生だ。
「よし! 完成だ! 全員、よくやった!」
俺が拳を突き上げると、工房中に「オオオオオオッ!!!」という歓声が爆発した。
だが、俺は知っている。
馬車は走ってこそ完成だということを。
「……さあ、寝てる暇はないぞ?」
俺がボソッと言うと、全員の笑顔が引きつった。
「まさか……」
「試運転だろ? 朝日が昇る前に、荒野でシェイクダウンだ!」
「「「やっぱりかァァァァ!!!」」」
悲鳴と共に、俺たちの熱い夜は、まだ明けそうになかった。




