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キングスレイヤー真  作者:


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86. 鉄と睡魔と、200個の完璧な球体

 チュン、チュン……。


 工房の割れた窓から、白々とした朝の光が差し込んできた。


 その光に照らされているのは、一晩で組み上げられた「試作一号機」の不格好な骨格だ。


 角材とクランプで仮止めされただけの代物だが、その構造は革新的だった。


 板バネの上にさらに革ベルトの吊り下げ構造を噛ませた、前代未聞の衝撃吸収システム。


 既存の馬車の常識を覆すそのシルエットを前に、職人たちは言葉を失っていた。


「……すげぇ。本当に形になっちまった」


 目の下に濃いクマを作ったカエルが、ふらつく足で立ち尽くしている。


 その横で、ゲランも魂が抜けたように壁にもたれかかっていた。


「重心バランスも計算通りだ。これなら、あの赤土の荒野を全力疾走しても、中の卵一つ割れねぇぞ……」


 二人は、自分たちが一晩で成し遂げた仕事に陶酔していた。


 だが、その感動を打ち砕く無慈悲な声が響く。


「よし、寸法は出たね。じゃあ全部バラして」


「「……は?」」


 ゲランとカエルが同時に振り返った。


 そこには、図面に新たな修正を書き込みながら、ニカっと笑う六歳児がいた。


「だから、これはあくまで『確認』だって言ったろ? 本番はこれからだ。最高の木材と、最高の鉄で組み直すんだよ。ほら、ぼーっとしない」


 俺があっけらかんと言うと、二人は膝から崩れ落ちた。


「お、鬼だ……。人の皮を被った、精密機械の鬼だ……」


「父さん……俺、もう指が動かないよ……」


 二人は涙目でカイルに助けを求めた。


「親方……少し寝かせてください……。死ぬ、マジで死ぬ……」


 カイルはパイプを吹かし、紫煙越しに二人を見た。


 そして、ちらりと俺の方を見る。


 その目は、どこか遠い昔の景色を重ねていた。


(……ああ、そういえば昔もあったな)


 カイルの脳裏に、二十六年前の記憶が蘇る。


『おいカイル! 寝るな! ここを削り終わるまで瞬きもするな!』


『無茶言うなアーノル! もう三日寝てねぇんだぞ!』


『俺もだ! でも見ろ、朝日が昇るまでには最高の車輪ができるぞ!』


 あの時の熱狂。


 理不尽なまでの要求と、それを上回る達成感。


 目の前の生意気な子供の姿が、かつての相棒アーノルと重なって二重に見えた。


「……フン」


 カイルは短く笑い、顎で奥の部屋をしゃくった。


「行ってこい。三時間は起こさんでやる」


「あ、ありがとうございますぅぅ……!」


 ゲランとカエルは、泥のように奥の部屋へ雪崩れ込んでいった。


 静かになった工房で、カイルが俺に声をかけた。


「……坊主、お前も少し寝たらどうだ。その様子じゃ、三日は寝てない男の目つきになっとるぞ」


「平気だよ。ここからが一番楽しいところだろ? あんたも少し寝てきなよ。じいさんの体で倒れられたら困るからさ」


「……クック、余計なお世話だわい。誰かにそっくりすぎて吐き気がするな」


 カイルは呆れたように首を振りつつも、図面を凝視する目は離さなかった。


 そこへ、工房の扉が勢いよく開いた。


「おいコラァァァ!! 誰じゃワシを朝っぱらから叩き起こしたのはァァ!!」


 寝巻き姿のマンダルが、スピディに背中を押されて転がり込んできた。


 不機嫌レベルはマックス、髭は逆立ち、目は血走っている。


「なんじゃアルヴィン! ワシは老人ぞ! 睡眠不足は寿命を削るんじゃ!」


「マンダル、これを見ろ」


 俺は挨拶も抜きに、作業台の上に転がっていた小さな鉄球を放り投げた。


「……あん?」


 マンダルは反射的にそれを受け取り、眉をひそめた。


「なんじゃこれは。……ベアリングの玉か」


「この街一番の工房の既製品だ。どう思う」


 マンダルは鉄球を指先で転がし、光に透かし、最後に爪で弾いた。


 その瞬間、眠気眼が一瞬で鋭い職人の目に変わった。


「……歪んどるな。僅かじゃが、中心からズレておる」


「髪の毛一本分の誤差も許されない場所だ。わかるか」


「バカにするな。こんなもん、高速回転させたら熱を持ってすぐに割れるぞ。これを作った奴は素人か?」


 さすがだ。


 俺は不敵に笑った。


「だろ? だからマンダルに頼みたい。ズレが一切ない完璧なのを二百個作れ。表面には防錆の処理を忘れるなよ」


「に、二百個じゃとぉ!?」


 マンダルが素っ頓狂な声を上げた。


「おま、簡単に言うな! 真球を叩き出すのがどれだけ神経削ると思うちょるんじゃ! しかも防錆まで……できるかそんなもん!」


「できないのか? 腕が落ちたんならいいんだ。ここにある既製品で我慢するよ。まあ、マンダルなら朝飯前だと思ったんだけどなぁ」


 俺がわざとらしく肩をすくめると、マンダルのこめかみに青筋が浮かんだ。


「ふ、ふざけるなぁァァ!! 誰に向かって口を聞いとる! ワシを誰だと思っとるんじゃ!」


 マンダルが袖をまくり上げ、俺に詰め寄った。


「お前がおらん間に、ワシがどれだけ腕を上げたと思っとる! 昔のワシと一緒にすな! 道具を貸せ! 今すぐ二百個、完璧なのを叩き出してやるわい!」


 ちょろい。


 いや、頼もしい。


「よし、奥の鍛冶場を使え。足りない炭や材料はスピディに走らせろ」


「へいへい! またパシリっすか!?」


 マンダルが怒りの形相で鍛冶場へ向かう。


 すぐに、リズミカルで重厚なハンマー音が響き始めた。


 その音を聞きながら、俺は新たな羊皮紙を広げた。


「よし、カイル。俺たちもやるぞ」


「まだやるのか、坊主。今の図面でも十分だろうに」


「いや、車輪のスポークの形状も変える。今の単なる棒状じゃ、ねじれに弱い。先に向かって細くなる形状にして、さらに本数を増やしてクロスさせる」


 俺はペンを走らせる。


「それと、車軸だ。今までの一本棒はやめる。『分割車軸』にするぞ」


「は? 車軸を切るのか?」


「そうだ。左右を別々に動かす。そうすれば、片方が岩に乗り上げても車体は水平を保てるだろ。強度が落ちる分は、この『筋交い』をフレーム全体に入れて補強するんだ」


 俺の説明に、カイルが唸った。


「分割車軸にクロススポーク、さらに筋交いによるトラス構造か……。お前の頭の中はどうなっとるんじゃ。本当に六歳か?」


「最高だろ? さあ、削り出しだ! 手を動かせ、じいさん!」


「フン、言ってくれるわい!」


 俺はノミを握り、カイルはカンナを構えた。


 寝ている暇なんてない。


 最高の仲間と、最高の技術と、最高の素材。


 レーマネの裏路地で、二十六年の時を超えた「革命」の音が、再び激しく鳴り響いていた。



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