82. 商業都市の光と、契約という名の鎖
赤土の荒野を抜け、舗装された街道を進むこと半日。
俺たちの目の前に、巨大な城壁と、天を突くような活気が現れた。
商業都市国家、レーマネ。
大陸経済の心臓部であり、金と契約がすべてを支配する街。
正門のアーチには、この国の理念であり、商人たちの絶対的な誇りである言葉が刻まれていた。
『如何なる商品も、ここにないものはなし』
「うへぇ、すっげぇ人だ。お祭りでもやってんのか?」
御者台の隣で、スピディが目を丸くしている。
門をくぐると、そこは熱気の渦だった。
東方の香辛料を積んだキャラバン、南方の珍しい果物を運ぶ荷車、そして大金を懐に入れた各国の商人たち。
飛び交う怒号と笑い声、硬貨が触れ合うジャラジャラという音が、街のBGMだ。
「……ふん。騒々しい街じゃな。鉄の匂いよりも金の匂いがしよる」
荷台の隙間からマンダルが顔を出し、しかめっ面で鼻を鳴らす。
だが、その活気に圧倒されているのは俺たちだけではなかった。
ギィィィ……ガコンッ。
馬車の車軸から、悲鳴のような異音が響いた。
「おっと……」
俺は慌てて手綱を引いた。
馬たちも荒い息を吐き、首を垂れて足を止める。
「限界ですね、ボス」
並走していたダガンが、馬車の車輪を覗き込んで首を振った。
「荒野の悪路で車軸にヒビが入ってる。それに、馬たちもバテバテだ」
俺は【見る力】で馬の状態を確認した。
【種別:荷馬】
【速さ:D】
【頑丈:C】
【体力:C】
【状態:疲労困憊】
ランクCの優秀な馬だが、さすがにあの荒野を強行軍で走り抜けた代償は大きかったようだ。
ステータス自体は変わらないが、状態異常で本来の力が出せていない。
これ以上無理をさせれば、取り返しのつかないことになる。
「仕方ない。まずは宿を確保しよう。その後、馬車の買い替えと馬のケアだ」
俺たちは人混みをかき分け、馬車を曳いて大通りをゆっくりと進んだ。
煌びやかな商店が並ぶ一角。
そこで、俺は「それ」を目撃した。
「――いい加減にしろ、このノロマが!」
ドゴッ!
鈍い音と共に、大きな荷物を背負った男が路上に転がった。
蹴りを入れたのは、質の良さそうな服を着た小太りの商人だ。
「期日までに納品できなきゃ、違約金はお前の体で払ってもらうからな! さっさと運べ!」
「ひぃッ、す、すみません旦那様! すぐに!」
蹴られた男は、泥だらけの服で這いつくばり、何度も頭を下げてから、よろめく足取りで再び自分の体ほどもある荷物を担ぎ上げた。
首には、奇妙な金属のチョーカーが嵌められている。
周囲の人々は、それを見ても眉一つ動かさず、日常の光景として通り過ぎていく。
「……ひどいな」
俺が眉をひそめると、馬車の中で休憩していたジョバーブンが窓から顔を出した。
「ああ。まあ、奴隷ならあんなもんだろ」
「……え?」
俺は思わず聞き返した。
「奴隷?」
「なんだボス、初めて見たのか? ありゃ『借金奴隷』だよ。首輪が付いてるだろ」
俺は絶句した。
奴隷。
その単語が、この世界の常識としてポンと出てきたことに混乱する。
「……この世界に、奴隷なんていたのか?」
「はぁ? 何言ってんだボス。どこにでもいるだろ」
ジョバーブンが不思議そうに言った。
「いないわけないだろ。鉱山、土木、農場の収穫……キツイ仕事はたいてい奴隷がやってるよ。特にここレーマネじゃ、労働力も『商品』の一つだからな」
「嘘だ……」
俺は言葉を失った。
俺は前世で大陸中を旅したはずだ。
だが、奴隷なんて一度も見なかった。
(……いや、違う)
俺は記憶を反芻する。
ターマインで剣を打ち、レーマネで馬車を走らせ、アインクラで装備を整え、ナバラで店を開いた。
だが、俺が関わってきたのは誰だ?
鍛冶師、馬車職人、豪商、兵士、聖職者……いわゆる「専門職」ばかりだ。
単純労働の現場や、大規模な農園の裏側、鉱山の深部には、足を踏み入れていなかった。
ターマインの工房街も、アインクラの職人街も、誇り高い自由民の世界だった。
自分の狭い視野の中で、「この世界は平和だ」と勝手に思い込んでいただけだったのか。
「まあ、ボスはお坊ちゃんだし、育ちが良さそうだからな。綺麗な場所しか見てこなかったんだろ」
ジョバーブンが、まるで世間知らずの子供に教えるように言った。
「勘違いすんなよ。奴隷っつっても、鎖に繋がれて一生飼い殺しってわけじゃねぇ。ほとんどは『借金奴隷』だ」
「借金?」
「ああ。借金を返せなくなった奴が、自分の労働力を担保に契約するんだ。期間と給金、返済計画を国に申請してな。借金を返し終われば解放される」
なるほど。
物理的な鎖ではなく、契約という鎖で縛っているわけか。
「……逃げたりしないのか?」
「逃げたら終わりだ。国が管理してるからな、脱走奴隷の情報は大陸中に回る。普通の店じゃ働けねぇし、部屋も借りられねぇ。野垂れ死ぬか、犯罪組織に拾われてもっと悲惨な目にあうかだ」
「それに、雇う側にも厳しいルールがある」
今度は、マンダルが補足するように口を開いた。
爺さんも知っていたらしい。
「食事や衛生管理、過度な暴力の禁止とかな。もし奴隷を死なせたり再起不能にさせたりしたら、雇い主は莫大な罰金を国に払わなきゃならん」
「安い労働力を使おうとして罰金払ってたら、商売にならねぇからな。ある意味、お互いにドライな共存関係なんだよ」
ジョバーブンが肩をすくめる。
徹底した管理社会。
人権というよりは、「労働力という資産」を損なわないための法律か。
いかにもこの大陸らしい合理性だ。
さっきの商人も、殺さない程度に蹴っていたということか。
「ま、それは『借金奴隷』の話だ」
ジョバーブンの声が少し低くなった。
「『犯罪奴隷』は別だぞ。重罪を犯した奴らが送られる鉱山や開拓地……そこじゃ人間扱いなんてされねぇ。死ぬまで使い潰される消耗品だ。逃げようとすれば即座に処刑される」
「……他には?」
「あとは『非合法奴隷』だな。裏ルートで誘拐されたり、他国から流れてきたりした奴らだ。こっちは国の管理外だ。何をされても文句は言えねぇ」
ジョバーブンは声を潜め、周囲を警戒するように視線を巡らせた。
「レーマネは光が強い分、影も濃い。表通りは華やかだが、裏に入ればそういう連中も蠢いてるって噂だ」
俺は、人混みに消えていく男の背中を見送った。
男は痛む体を引きずりながら、それでも必死に荷物を運んでいる。
それが、彼が選んだ(あるいは選ばざるを得なかった)契約の形なのだ。
「……行こう。まずは馬車だ」
俺は手綱を握り直した。
知らないことだらけだ。
人生二周目だと思って天狗になっていたが、俺はこの世界の半分も知らなかったのかもしれない。
レーマネの喧騒が、少しだけ冷たく感じられた。




