76. 金で買える安全と、荒野へのショートカット
山賊騒ぎから一夜明け、馬車は次の宿場町クラブを目指して走っていた。
この町を越えると、いよいよ西の大国群へ続く国境地帯に入る。
昼下がり。
小窓がコンコンと叩かれた。
「へいボス、ちょっと作戦会議いいですか?」
スピディの声だ。
いつもより少しトーンが真面目だ。
俺は小窓を開けた。
「どうした? トイレ休憩ならさっき行ったばかりだぞ」
「違いますよ。これからのルートについてです」
スピディが地図を片手に説明を始めた。
「この先、クラブの街を抜けると、通称赤土の荒野ってのが広がってるんです」
彼は地図の一点を指差す。
「ここを真っ直ぐ突っ切ればレーマネまで最短距離なんですが……」
「ですが?」
「治安が最悪でして」
スピディは顔をしかめる。
「山賊はもちろん、凶暴な肉食獣もウヨウヨいます。おまけに水場もないから、数日は完全な野宿になります」
野宿。
その単語を聞いた瞬間、マンダルが過剰反応した。
「野宿じゃと!?」
彼は身を乗り出す。
「ふざけるな! わしの腰を殺す気か!」
「そうなんですよマンダルさん。しかも夜襲のリスクが高い」
スピディは首を横に振った。
「俺とポムキンの旦那は強いですが、さすがに二人だけで警戒し続けるのはキツイっす。寝込みを襲われたら、馬車ごと黒焦げになるかも」
彼は地図に別の線を引くように指を動かす。
「なので提案です。ここから少し北に迂回して、正規軍が巡回している交易路を行きましょう」
自信ありげに頷く。
「日数は五日ほど余計にかかりますが、ベッドで寝られますし、命の保証付きです」
なるほど。至極まっとうな提案だ。
安全第一。御者としては満点の判断だろう。
「治安が悪いっていうのは、ただの無法地帯ってだけか?」
俺が聞くと、スピディは声を潜めた。
「いえ、実は南に隣接してるモグロン王国が絡んでるって噂でして」
彼は周囲を気にするような素振りを見せる。
「あの国、自分たちの領土を通る商人から高い税金を取るために、この近辺のフリーの街道に盗賊や山賊を送り込んでるらしいんです」
「なるほど。ここを通りにくくして、自国へ誘導する作戦か」
「ええ。だからタチが悪いんすよ。相手は組織化されてる可能性があります」
俺は地図を見た。
迂回路は大きく蛇行している。
「……五日か。往復で十日。時間のロスが大きいな」
「命あっての物種じゃぞアルヴィン!」
マンダルが必死に食い下がる。
「五日くらいなんじゃ! わしは安全なベッドで寝たいんじゃ!」
俺は腕を組み、スピディに尋ねた。
「スピディ。その荒野ルート、道自体は馬車で走れるのか?」
「ええ、地面は固いんで走れなくはないです」
彼は腕を組む。
「問題はやっぱり数ですね。敵がワラワラ湧いてきたら、ポムキンの旦那が前で無双してても、後ろから回り込まれたらアウトなんで」
つまり、戦力不足。
防御の穴があるということだ。
「なら、話は簡単だ」
俺はパンッと手を叩いた。
「穴があるなら埋めればいい」
「へ? 埋めるって、誰が?」
「金で埋めるんだよ」
俺はニヤリと笑った。
「次のクラブの街には、急ぎの商人やわけありの旅人も集まるだろう?」
俺は言葉を続ける。
「そういう場所には、必ず荒事に慣れた連中がたむろしているはずだ」
「ああ、なるほど。用心棒ですか」
「そうだ。そこで人を雇おう。それも、とびきり強くて数の多いやつらを」
車内が静まり返った。
マンダルが口をパクパクさせている。
「……よ、傭兵じゃと?」
彼は信じられないという顔をした。
「あの、ガラの悪い、金のためなら人を斬るような連中を?」
「人聞きが悪いな。彼らは民間の安全保障専門家だよ」
「言い換えてもガラの悪さは変わらんわ!」
マンダルは叫ぶ。
「そんな連中と一緒に旅をするなど、わしは御免じゃぞ! 寝首をかかれるかもしれん!」
マンダルの偏見がすごい。
だが、スピディは少し考え込み、ニカっと笑った。
「なるほど、その手がありましたか! つまり金に物を言わせて軍隊を作るってことですね?」
「その通り」
俺は頷く。
「護衛が二人で足りないなら、十人でも二十人でも増やせばいい。そうすれば夜も交代で見張れるし、マンダルさんも安心して野宿できるだろ?」
「野宿は確定なのか!? わしはベッドがいい!」
マンダルの叫びを無視して、俺は方針を決定した。
「よし、決まりだ。クラブの街に着いたら、すぐに傭兵を雇う」
俺はスピディを見た。
「スピディ、腕利きが集まる酒場を知ってるか?」
「へへっ、任せてください」
彼は胸を叩く。
「俺、そういう裏情報は大好物なんで。とびきり荒っぽくて使える連中を見繕いますよ」
「頼んだぞ」
俺たちはハイタッチをした。
マンダルだけが頭を抱えて、ブツブツと呟いている。
「……終わった」
彼は絶望したように目を閉じる。
「山賊に囲まれるか、傭兵にカツアゲされるかの二択じゃ。わしの老後は、荒野の土と共に消えるんじゃ……」
「大丈夫だよマンダルさん。傭兵にはボーナスを約束すれば、最高に忠実な番犬になるから」
「お前のその、人の心を金で換算する癖はどうにかならんのか……」
夕暮れ前、馬車は国境の街クラブに到着した。
ここは荒野への入り口だけあって、行き交う人々も武装した者が多い。
空気もどこか殺伐としている。
「ひぃ……みんな人相が悪い……」
マンダルが馬車の窓から怯えたように外を見ている。
俺たちは宿に馬車を預けると、早速行動を開始した。
「マンダルさんは宿で休んでていいよ。ポムキン、ついててあげて」
「……」
ポムキンは無言で頷く。
「嫌じゃ! この鉄の塊と二人きりはもっと怖い! わしも行く!」
結局、マンダルもついてくることになった。
スピディの案内で向かったのは、街一番の賑わいを見せる酒場だ。
荒野の牙亭というらしい。
急ぎの商人たちが護衛を探しに来る、いわば非公式な斡旋所のような場所だ。
ギィィィ……。
重い扉を開けると、紫煙とアルコールの匂い、そして男たちの怒号が渦巻いていた。
典型的な荒くれ者の巣窟だ。
「お、おいアルヴィン、帰ろう」
マンダルが俺の服の裾を掴んで震えている。
「ここは子供と老人が来ていい場所じゃない……」
だが、スピディは慣れた様子でカウンターへ歩き出した。
「へいマスター! 景気のいい話を持ってきたぜ!」
店中の視線が俺たちに集まる。
値踏みするような、粘着質な視線。
俺は気にせず、店の真ん中のテーブルに金貨袋をドンと置いた。
チャリ……。
重たい音が響き、店内の喧騒が一瞬止まった。
「……さて」
俺は椅子によじ登り、店内を見渡して声を張り上げた。
「明日から赤土の荒野を越えて西へ向かう! 期間は国境まで!」
俺は胸を張る。
「仕事内容は単純、俺たちの馬車を何があっても守り抜くことだ!」
男たちが顔を見合わせ、ニヤニヤと笑い始めた。
一人の大男が近づいてくる。
「おいおい、お坊ちゃん。迷子か?」
男はあざ笑う。
「ママのおっぱいでも吸って――」
俺は袋の紐を緩め、中身を少しだけ見せた。
金色の輝きが漏れ出す。
「報酬は相場の三倍だ」
俺は声を低くした。
「……ただし、腕が立つ奴しかいらない。雑魚は座ってろ」
瞬間、店内の空気が変わった。
嘲笑が消え、ギラギラとした欲と殺気が膨れ上がる。
「……相場の三倍だと?」
「おい、マジかよ」
マンダルがひぃぃぃと悲鳴を上げてポムキンの背後に隠れる。
俺はニッコリと笑った。
「さあ、面接を始めようか。我こそはという奴、前に出ろ」
金で安全を買うショッピングの始まりだ。
マンダルの胃痛は、たぶん最高潮に達している。




