66. 鉄の血筋と、小さな錬金術師
マンダルの殴り書きが記された汚いメモを懐にねじ込み、俺は馬車へ戻った。
車輪が石畳を叩くリズミカルな音を聞きながら、西に傾き始めた冬の太陽を仰ぐ。
「スピディ、日が暮れる前に行くぞ。領都の中心街だ」
「へいへい。お次はどちらへ?」
「タンダル工房だ」
俺が名を告げると、スピディは短く声を上げた。
この辺りで一番大きな鉄工所であり、農具から貴族の装飾品まで手広く扱う優良物件だ。
あの偏屈なマンダル爺さんの息子にしては、随分と商売上手なようである。
領都の大通りに面した一等地に、その工房は堂々と鎮座していた。
煉瓦造りの立派な建物からは、肺を震わせるような重厚な金属音が絶え間なく響いている。
中に入ると、鉄が焼ける特有の焦げた匂いと、作業に没頭する職人たちの熱気が肌を刺した。
受付の男が怪訝な顔をしたが、例の落書きのような紹介状を見せた途端、血相を変えて奥へと走っていく。
数分後、ドタドタという騒がしい足音と共に二人の男が現れた。
「よう、坊主! また会ったな!」
人懐っこい笑顔で手を振ってきたのは、眼鏡をかけた線の細い青年、ランダルだ。
以前、コジインの工房建設でも顔を合わせている。
「久しぶりだね、ランダル。元気?」
「おうよ。今日は何の用だ? また爺ちゃんのお使いか?」
ランダルが気安く頭を撫でようとしてくるのを、俺はスッとかわした。
その背後から、厳格そうな中年男が静かな足取りで歩み寄ってくる。
マンダルを少し若くし、小綺麗に整えたようなその男を、俺は意識を集中して見据えた。
(鑑定)
【名前:タンダル(44歳)】
【能力:器用】
なるほど、この父親もベテラン職人としての確かな腕を持っているようだ。
そして、タンダルの足元には、ちょこんと小さな女の子がしがみついている。
ランダルの娘だというその幼子に、俺は何気なく視線を移した。
(鑑定)
【名前:ミランダ(2歳)】
【能力:匠】
(……ん?)
俺は思わず二度見した。
匠。
それは単なる技術を超え、芸術の領域に至る圧倒的な才である。
それを、まだ言葉もおぼつかない二歳児が宿しているというのか。
この一族、血の継承が濃すぎる。
「初めまして。アルヴィン・アケニースです」
俺が挨拶すると、タンダルは少し驚いたように眉を上げたが、すぐに職人としての礼をとった。
「工房主のタンダルです。親父……マンダルから紹介状を預かってきたそうで」
「うん。今日は仕事の話で来たんだ」
俺は単刀直入に切り出した。
「ランダルを借りたい」
「は?」
ランダルがキョトンとし、タンダルが怪訝な顔をする。
俺は懐から究極石鹸レシピと、マンダルに書かせた推薦状をテーブルに広げた。
「これを作るための技術者が欲しいんだ」
タンダルの目を見据える。
「マンダルさんに頼んだら、細かい作業なら俺よりランダルの方が上だって言われてね」
ランダルが驚きつつ、レシピに目を落とす。
最初は半信半疑だったようだが、詳細な工程表と複雑な型枠の設計図を見るうちに、その瞳に職人の熱が灯った。
「……すげぇ。これ、ただ混ぜるだけじゃねぇな」
ランダルがブツブツと呟き始める。
「温度管理に、この乳化のタイミング……これ、もはや錬金術だろ」
「分かる?」
「分かるさ! 特にこの型枠、花弁の一枚一枚まで再現するなら、アレを応用して……」
完全に自分の世界に入り込んだ彼を見て、俺はタンダルに向き直った。
「というわけで、彼をヘッドハンティングしたいんだ」
驚くタンダルに構わず続ける。
「期間は未定だけど、僕のアルヴィン商会の専属技師として働いてほしい」
「アケニース家ではなく、坊ちゃん個人の……商会ですか?」
「そう。だから報酬も僕が出すよ」
そして、俺は重要な条件を付け加えた。
「ただし、技術秘匿のために、作業はコジインに併設した工房でやってもらうことになる」
「出向、ですか」
タンダルが腕を組み、重い沈黙が流れた。
彼は図面に夢中になっている息子ランダルを、どこか複雑な眼差しで見つめている。
「……正直に言いますと、渡りに船かもしれません」
タンダルは絞り出すように口を開いた。
「私の工房を継ぐのは長男のトンダルと決めています。次男のモンダルも、いずれ戻って兄を支えるでしょう」
彼は少しだけ寂しそうに苦笑した。
「ですが、三男のランダルには席がない」
声に父親としての葛藤が滲む。
「腕はいいが、方向性が違う。このままここに置いても、器用貧乏な便利屋で終わってしまうのではないかと……修行に出すべきか迷っていたのです」
優秀すぎる三男坊を持て余していたというわけか。
「ですが、石鹸作りですか。……それが職人としての修行になるのかどうか」
「なるよ。これはただの石鹸作りじゃない」
俺は断言した。
「素材の性質を見極め、極限まで精密な加工を行う化学だ」
力強く頷く。
「ここで得た経験は、必ず彼の表現の幅を広げるはずだよ」
タンダルはしばらく沈黙し、やがてじっと俺の目を見た。
「……一つ、条件があります」
「何でも言って」
「報酬は弾まなくていい。その代わり……こいつが、いつか自分の工房を持てるように支援していただけますか?」
親心、というやつだろう。
三男坊が兄たちに頼らず、自立できる道を。
「約束するよ。この事業が成功すれば、工房の一つや二つ、すぐに建てられるくらいの富が手に入る」
「……分かりました。ランダルを預けます」
タンダルが深く頭を下げた。
俺はニヤリと笑い、ランダルに手を差し出した。
「聞いたね? 今日から君はアルヴィン商会の製造部長だ。よろしく頼むよ」
「へっ、部長? なんだか悪くねぇ響きだな!」
ランダルが俺の手を握り返す。その掌は厚く、温かかった。
「あ、そうだ」
俺は足元で不思議そうにこちらを見上げるミランダを見た。
「もしよかったら、ミランダちゃんも一緒に連れてきていいよ」
少ししゃがんで視線を合わせる。
「コジインには子供もたくさんいるし、保育士も雇ったばかりだ」
「えっ、いいのか? 嫁が忙しい時は俺が子守りしながら仕事してたから、助かるけど……」
「大歓迎だよ。それに、この子には何か……特別な才能を感じるしね」
俺が言うと、ミランダはあうーと言って俺の指を握った。
将来、彼女がこの商会のデザインを担うことになるかもしれない。
「よし、商談成立だ!」
俺は満足して立ち上がった。
石鹸の製造責任者、確保。
ついでに、未来の天才デザイナー候補も確保だ。
「準備ができ次第、コジインへ来てくれ。最高の設備を用意して待ってるよ」
俺は二人に手を振り、夕暮れの街へと戻った。
帰りの馬車の中で、俺は心地よい疲労感に包まれていた。
この冬は石鹸作りに全力だ。




