65. 筋肉の朝と、頑固爺の推薦状
翌朝。
冷たい空気を肺に吸い込みながら、俺はコジインへと足を運んだ。
裏庭からは、既に気合いの入った掛け声が響いている。
「セイッ! ハッ!」
ザックたち孤児院の子供たちが、一心不乱に木剣を振っている。
その横では、私兵団のポムキンをはじめとする筋肉ダルマたちが、巨大な丸太を担いでスクワットを繰り返していた。
地面がズシン、ズシンと重く揺れている。
俺は何食わぬ顔でその輪に入り、軽い柔軟体操を始めた。
ポムキンが目で何か訴えかけてくるが、無視して黙々とメニューをこなす。
五歳の体で彼らと同じ真似をすれば、筋肉がつく前に骨が折れる。
汗を流した後は、座学の時間だ。
クロブの授業で読み書きや計算を学ぶ子供たちの眼差しは、飢えを知っているぶん真剣そのものだった。
授業の合間、クロブが俺に近づいてきた。
「アルヴィン様、少々ご相談が」
「どうした?」
「近所に住む子育てがひと段落した女性から、ここで働けないかと申し出がありまして」
クロブが示したメモには、二人の女性の名前があった。
昼前から夕方までの間、掃除や洗濯、調理補助などを手伝いたいらしい。
「住み込みは無理だが、通いならできると」
「クロブはどう思う?」
「猫の手も借りたい状況ですし、彼女たちは地元での評判も良いようです」
「なら決まりだ」
俺は即答した。
「住み込みや食事の提供がない分、働いた時間分の給金をしっかり出してあげて」
方針を口にする。
「時間給での雇用だ」
「時間給……なるほど、合理的です」
クロブは深く頷き、メモにペンを走らせた。
これで孤児院の体制はさらに盤石になる。
次は、俺の本業だ。
勢いよく鍛冶場の重い扉を蹴り開ける。
「マンダル! 仕事だ!」
大きな声で宣言する。
「世紀の大発明を持ってきたぞ!」
肺を焼くような熱気と、鉄の匂いが充満している。
マンダルが不機嫌そうに顔を上げた。
「……ケッ、誰かと思えばクソガキか」
彼はハンマーを置いた。
「またくだらんもんを作らせに来たのか?」
呆れたように俺を見る。
この男は、俺の中身を知る数少ない理解者だ。
五歳のガキ相手でも一切の遠慮がない。
「くだらなくない」
俺は真っ直ぐにマンダルを見据えた。
「金になる話だ。これを作れ」
懐からシステム直伝のレシピを取り出し、作業台の上に叩きつけた。
マンダルは眉をひそめ、油汚れのついた手で羊皮紙を手に取る。
無言で文字を追うにつれ、眉間の皺がみるみる深くなっていった。
「……ああん?」
怪訝な声が漏れる。
「牛脂? オリーブ油? 苛性ソーダ?」
彼は羊皮紙から目を離し、俺を睨んだ。
「おいアーノル、てめぇボケたか? これは料理のレシピじゃねぇか」
「違う、石鹸だ」
俺は真顔で答える。
「貴族の奥様方が泣いて喜ぶ、宝石みたいに綺麗な石鹸を作るんだ」
マンダルは素っ頓狂な声を上げた。
乱暴に羊皮紙を突き返してくる。
「馬鹿言え!」
鍛冶場に怒号が響く。
「わしは鍛冶師だぞ! 鉄を叩いてなんぼの男だ!」
鼻息を荒くして吐き捨てる。
「こんなドロドロした油を混ぜて固めるだけの女子供の遊びなんぞ、作れるかぁっ!」
「遊びじゃない。科学だ」
俺は引き下がらない。
「温度管理、攪拌の速度、配合のタイミング……どれか一つでも狂えば失敗する」
真っ直ぐに職人の目を見つめる。
「この繊細な作業をこなせる職人は、お前くらいしかいないんだよ」
「おだてても無駄だ!」
マンダルは頑なに首を振る。
「わしは鉄以外は叩かん! 帰れ!」
床に唾を吐き捨て、再びハンマーを握った。
俺はニヤリと笑い、わざとらしくため息をついた。
「精密で、熱に強くて、抜けの良い金属の型枠が必要だったんだがな」
わざと背を向ける素振りをする。
「まあ、お前が無理なら他をあたるけどな」
ハンマーを振り上げようとしたマンダルの手が、ピクリと止まった。
俺をギロリと睨みつけ、忌々しそうに舌打ちする。
「……チッ」
舌打ちの後に、渋々といった声が続いた。
「型枠くらいなら作ってやるよ」
だが、と念を押してくる。
「中身の調合なんぞ知らん! 畑違いもいいとこだ!」
「そこをなんとか頼むよ。お前の器用さを見込んでの話だ」
「無理なもんは無理だ!」
マンダルは金槌で作業台をコンコンと叩いた。
「……だが」
何かを思い出したように、視線を宙に向ける。
「細かい調合だの、温度管理だの……そういうチマチマした作業なら、適任がいるかもしれん」
「誰だ?」
「わしの孫だ。ランダルって言うんだがな」
マンダルは鼻を鳴らした。
「ここの領都で、わしの息子のタンダルと一緒にデカい工房をやってる」
誇らしげな色が少しだけ顔に出る。
「あいつはわしに似ず手先が器用でな。細かい調整や作業ならわしより得意だ」
「領都で?」
俺は目を丸くした。
「タンダルの奴もわしが昔仕込んだから腕は確かだ。職人を何人も雇って手広くやってるらしい」
マンダルは顎で街の方をしゃくった。
「そっちに持ち込んでみろ。俺の紹介だと言えば、無下にはされんはずだ」
マンダルの息子と孫。
血筋なら信用できるし、マンダルが認める腕なら間違いはない。
領都に工房があるなら、製造拠点もすぐに確保できる。
「分かった。そっちに行ってみるよ」
「おう、そうしろ」
マンダルは辺りにあった汚れた紙切れを引き寄せた。
「……ほらよ」
羊皮紙には殴り書きの文字があった。
『このチビの言うことを聞け。マンダル』
そう一言だけ書き殴った紙を渡してくる。
雑すぎる紹介状だが、これがあれば門前払いはされないだろう。
「サンキュー、マンダル。助かるよ」
「礼はいらん」
マンダルは再びハンマーを構えた。
「その代わり、美味い酒ができたら一番に持ってこいよ?」
「ああ、約束する」
俺は紹介状を懐にしまい、鍛冶場の熱気から抜け出した。
行き先は領都の工房。
石鹸ビジネスの立ち上げメンバーが、これで揃いそうだ。




