60. 料理人の矜持と、凍える原石たち
そこからの時間は、優雅なディナーとは打って変わって、火花散る戦場となった。
「ふざけないでよ坊や! この品質でその卸値? 足元を見るにも程があるわ!」
「適正価格ですよ、リリさん。これを作るのにどれだけの手間と『新技術』がかかっているか。それに、これはただの酒じゃない。『時間』を売るんです」
「ッ……! 言葉が達者なガキだねぇ!」
リリがテーブルを叩き、俺も負けじと笑顔で切り返す。
母ディーファと兄ナンブルが、オロオロとフォークを握りしめたまま固まっている。
だが、これは必要な儀式だ。
リリはアーモン商会の重鎮。ここで舐められれば、今後の取引すべてで主導権を握られる。
「いいですか、この琥珀色は『革命』です。王都の貴族たちが、金貨を何枚積んででも欲しがる未来が見えませんか?」
「……くっ」
「一本あたり金貨2枚。これ以下にはまけられません」
俺が提示した強気の価格に、リリが眉間にシワを寄せ、唸る。
商売人としての彼女なら、ここで「高すぎる」と席を立つか、さらなる値下げを要求する場面だ。原価計算を詰めれば、もっと叩ける余地はあるはずだからだ。
だが、彼女はそうしなかった。
彼女の視線は、契約書ではなく、テーブルに残されたグラス――琥珀色の液体に釘付けになっていた。
「……はぁ」
長い、長い溜息。
リリは肩の力を抜き、呆れたように笑った。
「負けだよ。……商売人としては突っぱねるべきなんだろうけどね」
彼女はグラスを手に取り、愛おしそうに香りを嗅いだ。
「料理人としてのあたしが、この酒を手放したくないと叫んでるんだ。『この味に相応しい対価を払え』ってね。……悔しいけど、あんたの勝ちだ」
彼女の瞳には、商売の損得を超えた、職人としての純粋な敬意があった。
やはり、この人は信用できる。
「ありがとうございます。……とはいえ、この酒事業は今後、アケニース家の正式な事業となります」
俺は居住まいを正した。
「最終的な契約の詰めは、春に父マーランが戻ってから、うちの家宰と行ってください。正式な卸値や取引量の決定も、その時にお願いします」
「あんたが決めるんじゃないのかい?」
「僕はあくまで『開発責任者』としての約束を取りに来ただけですので。それに、僕が決めるより父と交渉したほうが、リリさんにとっても『戦いがい』があるでしょう?」
俺が少し意地悪く言うと、リリは「可愛くないガキだね」と苦笑しつつ、手を差し出してきた。
その掌は熱く、少しゴツゴツしていた。
俺たちはガッチリと握手を交わした。
「約束は守りましたよ。『一番先に卸すのはリリさんの店だ』と、父にも申し送っておきますから」
「ああ。期待してるよ、アルヴィンちゃん。……春が待ち遠しいねぇ」
◇
店を出ると、外はすっかり夜の帳が下りていた。
冷たい風が吹き抜け、母が身震いしてショールを羽織り直す。
「寒いわねえ。早く帰りましょう」
「そうですね。スピディ、馬車を回して」
俺たちは馬車に乗り込み、帰路についた。
ナンブル兄さんは「金貨2枚……原価率を考えると利益率は……いや、父上ならさらに……」と、まだブツブツ計算している。この兄も大概、父に似て数字の虫だ。
馬車が街外れに差し掛かった頃だった。
窓の外を眺めていた母が、ふと声を上げた。
「あら……?」
「どうしたの、母上」
「あそこの小屋……あんなに寒いのに、子供たちが外にいるわ」
母の視線の先。
街道沿いにある、農具小屋のような建物。その壁際に、小さく丸まった影が三つあった。
中に入ろうともせず、外壁に張り付くようにして、互いに身を寄せ合って震えている。
「可哀想に……。なぜ中に入らないのかしら。あそこなら風もしのげるでしょうに」
母の言葉に、俺は目を凝らした。
「いや、入れないんですよ」
「え?」
「あの小屋は、誰かの所有物です。鍵がかかっているか、あるいは持ち主に見つかるのを恐れているのか……。勝手に入れば不法侵入で捕まりますから。だから、風除けになるあの壁際で耐えているんです」
行き場のない子供たち。
身なりはボロボロ。薄汚れた服。
明らかに、孤児だ。
(……鑑定)
俺は流れる景色の中で、彼らに焦点を合わせた。
【名前:セイン(7歳)】
【能力:剣王】
【名前:ザック(11歳)】
【能力:剣士】
【名前:レン(5歳)】
【能力:奇才】
「――は?」
俺は思わず声を漏らした。
馬車が通り過ぎる一瞬。網膜に焼き付いた文字の羅列。
ザックという11歳の【剣士】。これは分かる。戦闘に身を置く者たちの家系ならありふれた能力だ。
だが、7歳のセインが持つ【剣王】?
(見間違いか……いや、確かに『王』と出た)
王クラスの能力。
それは、その道の頂点に立つことができる「器」を持つ者にのみ与えられる称号だ。
もちろん、持っているだけでは意味がない。今はただの非力な7歳児だ。磨かなければただの石ころで終わる可能性だってある。
だが、その「素質」があるという事実だけで、希少価値は計り知れない。
さらに、5歳のレンという子の【奇才】。
予測不能の才能。
なんだあいつら。
路傍の石ころだと思ったら、とんでもないダイヤモンドの原石が転がっていた。
「スピディ! 止めろッ!!」
俺は叫んで、御者台との間の小窓を叩いた。
キキーッ! と馬車が急停止する。
「ど、どうしたのアルヴィンちゃん!?」
「ごめん母上、ちょっと拾ってくる!」
俺は驚く母と兄を置いて、馬車から飛び降りた。
後ろからスピディが「おい坊ちゃん!?」と慌ててついてくる。
俺は三人の子供たちの前まで走った。
彼らは突然現れた俺たちに驚き、ビクッと身を縮めた。
一番年上らしきザックが、二人を庇うように前に出る。その手には、木の棒切れが握られていた。
「……な、なんだお前ら」
声は震えているが、その構えには意外と隙がない。
11歳。【剣士】の少年だ。
後ろにいるのは、怯えた様子の弟らしき少年と、状況が分からずキョトンとしている一番小さな子。
「怪しいものじゃないよ。……いや、怪しいか」
夜中に馬車を止めて走ってくる貴族の服を着た子供。怪しさ満点だ。
俺は努めて優しく、笑顔を作った。
「君たち、家は?」
「……ねぇよ」
ザックは警戒を解かない。
「親は?」
「……死んだ」
「全員兄弟?」
「こいつ(セイン)は弟だ。剣術道場の……親父が死んで放り出された。……そっちのチビ(レン)は、知らねえ」
ザックは、一番小さな子を顎でしゃくった。
「行き倒れてたのを拾ったんだ。親はいねえみたいだし……置いてくのも寝覚めが悪いから、一緒にいる」
なるほど。
剣士の血筋を持つ兄弟が、さらに身寄りのない【奇才】を拾って、三人で生き抜いてきたわけか。
11歳の少年が、弟と他人を守るために、木の棒一本で。
(……いいな)
能力だけじゃない。その気概が素晴らしい。
俺は振り返り、追いついてきたスピディに指差した。
「スピディ、連れてきて」
「はいよー。……って、ええっ!?」
スピディが素っ頓狂な声を上げるが、俺は無視して子供たちに向き直った。
「君たち、腹減ってる?」
「……っ」
三人の腹が、合唱するようにグウと鳴った。
それが答えだ。
「うちに来れば、飯が食えるよ。暖かいベッドもある。……来るかい?」
俺が手を差し伸べる。
ザックは、俺の手と、後ろの立派な馬車、そして震える弟たちを交互に見た。
迷い。警戒。
だが、弟の「おなかすいた……」という小さな呟きが、彼の決断を後押しした。
「……本当に、飯食わせてもらえるのか?」
「うん。死ぬほど食わせてやる」
「……分かった。行く」
ザックはそう言うと、震える手で持っていた棒切れを強く握り直し、俺を真っ直ぐに睨みつけた。
「だが、条件がある。……俺が何でもする。どんな汚れ仕事でも、死ぬまでこき使ってくれて構わない。だから、こいつらには絶対に手を出さないでくれ。安全だけは約束してくれ!」
必死の形相だった。
自分たちが貴族に拾われてどうなるか分からない恐怖よりも、後ろの小さな二人を守ることを優先したのだ。
(……11歳で、そこまで腹を括れるか)
ただの【剣士】の才能だけじゃない。その自己犠牲の精神と責任感。
俺はますますこの少年が気に入った。
「約束するよ。君にも、その子たちにも、絶対に酷い扱いはしない。僕の名前と名誉にかけてね」
俺が真っ直ぐに見つめ返して断言すると、ザックの目からわずかに険が取れ、彼はようやく棒切れを下ろした。
俺はすかさずスピディに目配せした。
スピディは「へいへい」と肩をすくめ、素早い動きで三人をごぼう抜きにして馬車へと運び込んだ。
「え、あら、まあ……!」
馬車の中で、母ディーファが目を丸くする。
泥だらけの子供たちが三人も放り込まれてきたのだ。普通なら悲鳴を上げるところだ。
だが、母は一瞬で状況を理解(というより母性が爆発)したらしい。
「まあ、なんて冷たい手……! ナンブル、毛布を貸してあげなさい!」
「えっ、僕の!? ……はいはい、分かりましたよ」
母は三人を抱き寄せ、自分の体温で温め始めた。
さすがアケニース家の母。この包容力は最強だ。
俺は馬車に乗り込み、再出発を命じた。
揺れる車内で、温かい毛布に包まれた三人は、まだ信じられないといった顔で俺を見ている。
(7歳の【剣王】に、11歳の【剣士】、そして5歳の【奇才】か……拾った、で済む話じゃない。立派に育ててやる。)




