58. 予約のゆくえと、職人の崩壊
コジインでの視察を終えた俺は、今後の計画を練り直していた。
ドランたちの教育問題は一旦保留。まずは手元にある最強の武器――「熟成済みウイスキー」の販路拡大だ。
前回は試供品を渡しただけだったが、今回は本格的な取引の話もしなければならない。
「よし。リリのところへ行こう」
アーモン商会の飲食部門トップ、リリ。
彼女にこの酒を持ち込めば、間違いなく高値がつく。
だが、ただ商談をするだけというのも味気ない。あの店は料理も絶品だった。
「スピディ!」
「へいよ」
呼ぶと同時に、天井の梁からひらりと影が落ちてきた。
相変わらず無駄に身軽な男だ。
それにしてもいつからそこに待機していたんだ、ネタに命かけてるな。
「アーモン商会のレストランに予約を入れてきてくれ。商談も兼ねるが、今回は純粋に食事も楽しみたい」
「りょーかい。人数は?」
「とりあえず4人席で確保してくれ。日時は……直近で空いている一番早いディナーで」
「あいよッ!」
風のような速さでスピディが窓から飛び出していった。
ドアを使え。
それから一時間もしないうちに、彼は汗ひとつかかずに戻ってきた。
「旦那、取れたぜ。3日後のディナーだ」
「早いな」
「へへっ、受付の姉ちゃんにちょっと良い顔したら、キャンセル待ちの枠をねじ込んでくれたのさ」
スピディは鼻の下をこすった。
こいつの軽薄さと【速】の能力は、こういう使い走りの時にこそ真価を発揮する。
「席は4人掛けだ。で、誰と行くんで?」
「そうだな……」
俺は顎に手を当てて考えた。
爺様はすでにクルム村へ戻ってしまった。畑仕事が恋しいらしい。
ロリーナを連れて行こうかとも思ったが、彼女は3日後は自宅に戻る予定だ。たまには家族と過ごす時間も必要だろう。
「たまには、母上を誘ってみるか」
普段、屋敷で父と俺の板挟みになっている母だ。美味しいものでも食べて息抜きをさせてあげたい。
早速、母ディーファの元へ向かい、趣旨を伝えた。
「まあ! アルヴィンちゃんとデート? 嬉しいわあ!」
母はパッと顔を輝かせ、その長身を折り曲げるようにして俺を覗き込んできた。
明るく豪快な母が喜ぶと、それだけで部屋全体がパッと華やいだような気がする。
「でも4人席なら、もう一人くらい行けるわね……そうだわ、ナンブルも連れて行きましょうよ」
「ナンブル兄さんを?」
「ええ。あの子、お父様に似て頭はいいけど、少し根詰めすぎなところがあるから。美味しいものでも食べて、少しは外の空気吸ったほうがいいわ」
なるほど、次男のナンブルか。
長男のソーバンと共に父に従って王都へ行っていたが、特に目立った動きはなかった。
だが、父譲りの計算高さがあるなら、商会との取引を見せておくのも勉強になるかもしれない。
「分かった。3人で行こう」
◇
予約の日まで少し時間がある。
俺は、屋敷の敷地内にある工房へと足を運んだ。
マンダルはあれからずっとここに住み込みで作業をしている。
蒸留酒製造のための「超音波熟成機(紫の鉱石入り)」のメンテナンス状況を確認しておきたい。
カン、カン、という小気味よい金属音を期待して扉を開ける。
「マンダル、いるかー? 酒の具合はどうだ……」
言葉は、途中で止まった。
熱気溢れる工房。そこには確かにマンダルがいた。
だが、俺の知っている「偏屈で頑固な職人マンダル」の姿は、そこにはなかった。
「ばぁ〜ぶぅ〜」
…………は?
俺は我が耳を疑った。
薄汚れた作業着を着た厳つい爺さんが、顔面を雪崩のように崩壊させ、小さな女の子相手にデレデレとした声を上げている。
「お、おいマンダル……? 何かの呪いでも受けたのか?」
「む? おお、アルヴィンか! 待っておったぞ、これを見ろ!」
マンダルは俺に気づくと、足元にいた子供を抱き上げて誇らしげに見せてきた。
2歳くらいの、愛らしい女の子だ。
「ひ孫のミランダじゃ! どうだこの可愛さ! 天使じゃろ!?」
マンダルの背後から、青年が顔を出した。
以前、クルム村で会ったマンダルの孫、ランダルだ。
「お、なんだ村で会った坊主じゃねえか。ここにも出入りしてんのか?」
ランダルは気安く片手を上げてきた。
彼は俺が領主の息子だということを知らない。
村で会った時も、マンダルの周りをうろちょろしている子供くらいにしか思っていなかったようだ。
まあ、その方が気楽でいい。
「久しぶりだね、ランダル。その子は?」
「俺の娘さ。じいちゃんが最近ここにいるって聞いたから、顔見せに来たんだよ」
なるほど、ランダルの娘か。
マンダルの一族は代々男ばかりだと聞いていた。つまり、待望の女の子というわけか。
「見てみぃ、このほっぺ! マシュマロより柔らかいぞ! 」
マンダルが太い指で頬をつつく。
ミランダが「キャッ」と笑うと、マンダルはさらに顔をふにゃふにゃにして悶絶した。
(……鍛冶馬鹿男が、このザマか)
俺は呆れると同時に、時の流れを感じていた。
かつての友に、ひ孫ができた。
それも、こんなに平和な顔で笑える日が来るなんて。
「おい爺さん、顔が溶けて床に落ちそうだぜ」
後ろからついてきていたスピディが、ニヤニヤしながら茶々を入れる。
「うるさいわ! お前のような軽薄な男には、この高尚な可愛さは分からん!」
「へいへい。で、仕事の方はどうなんで? ちゃんと進んでんの?」
「当たり前じゃ! ワシを誰だと思っておる!」
マンダルはミランダをランダルに慎重に手渡すと、一瞬で「職人の顔」に戻った。
……いや、まだ口元が少し緩んでいる。
「酒の熟成装置なら完璧じゃ。紫の石の反応も安定しておる。いつでも出荷できるぞ」
「さすがだな。……その切り替えの早さは見習いたいものだ」
俺は苦笑しつつ、工房を見渡した。
新しい命と、新しい技術。
アケニース家は、確実に前に進んでいる。
「じゃあマンダル、3日後のディナーには極上の酒を手土産に持っていくからな。準備を頼む」
「おうよ。……ミランダ〜、じいじは仕事してくるからな〜♡」
再びデレデレに戻ったマンダルを背に、俺たちは工房を後にした。
ランダルが「坊主も大変だな」なんて言いながら手を振っている。
平和だ。
だが、この平和を守るためにも、3日後の商談は絶対に成功させなければならない。




